川中島平の諺と農事(生活)暦

川中島平の農事の諺(現在、工事中。随時UPします

 「人間の通った後には砂漠が残る(After the man , the desert)」という諺があります。そうならないための、連綿と続く農業もあります。以下の諺は玉石混交ですが、人類・農民の英知が輝く、後世にとっても有用なものを蒐集してまいります。

 「自然に強制を加えてはならない。むしろ、これに従うべきである」(エピクテトス)

・「桜が咲いたら種蒔き準備、桜が散ったら種を蒔け
 凡そ平均気温10度でソメイヨシノが咲きだす(4月半ば)。いよいよ一年の農事が始まる。先ず田の耕耘と野菜を苗作りをしなければ。5月連休の農事(稲の苗床作りや野菜苗の植付け)に間に合わせなければならない。しかし、八十八夜を過ぎても、5月半ばまでの遅霜が気がかりである。当地(北信の平地)では、農事は4月半ばから12月の始め(野沢菜の収穫)までの約8ヶ月である。
・「イネは千倍、ネギは百倍
 イネの分けつ力の凄さを表現しています。一万倍になるイネもあるそうです。
・「田んぼの草を7回取ると、姑が死ぬ
 田んぼの草取りは重要で、大変な仕事だ、という意味です。
・「イネ(作物)は人の足音を聞いて育つ
 農家の務めは、暇さえあれば作物の様子を見ることである。
・「ナス(ビ)の花は、千に一つの無駄がない
 花は無駄がないので、収穫の都度、追肥が必要である。
・「郭公が鳴いたら豆を蒔け
 大豆の播種時期は、地温が15度以上になる五月です。
・「葛の花が咲いたら、大根を蒔け
・「トウモロコシは、跨げなくなるまで育ったら、次の種を蒔け
 切れ目なく収穫できるヒントです。
・「四里四方から採れるものを食べて、五里四方の種を蒔け
 地産地消が無駄のない消費社会です。
・「初物を食べると、七十五日長生きする
 本当に旨いものは市場に出回りません。
・「夕焼けに鎌を研げ
 明日は晴れるから準備をしておかなければなりません。
・「夏うんかは肥やしになる
 生物が増えて田んぼは賑やかになる(生物多様性)。これでイネは生長する。
・「つばめが低く飛ぶと天気がくずれる
 虫が高湿度で低く飛ぶので、それを捕食するつばめは自ずと低空飛行になる。
・「夕焼けは晴れ、朝焼けは雨
・「冠着(姨捨)山に雲がかぶれば雨
 川中島平の古老から聞き取りました。同様に、「茶臼山に雪が降れば里(川中島平)にも降る」であろう。気象学的にも、経験的にも正しい。川中島平の百姓の目線が感じられる。気象の変化が激しい山並みが平地の暮らしと農事に密接に関連していた。「聖(山)に雲が被れば雨」、「ひじり曇れば雨となる」とも言う。
・「冠着山の雪が鹿の子になったら麦に肥しをやれ
・「冠着山に残雪があるうちにゴボウ、ニンジン、ジャガイモを蒔け
・「犀口からの夕立は大降り
・「百姓は稲をつくらず田をつくる
・「稲は地力で、麦は肥しで採れ
 穀物栽培の要諦。
・「半夏(はんげ)すぎまで田植えはするな
・「二百二十日までの出穂は実る
・「すじ蒔き小満、田植え半夏、出穂二百十日、刈取り秋彼岸
・「苗代・田植・出穂・刈取三十五日
 川中島平の稲作の決まりごとであった(1970年頃まで)。ちなみに、小満とは、新暦で5月21日頃、半夏とは7月2日頃、二百十日とは9月1日頃、秋彼岸とは9月23日前後のことであるが、実際のところ、苗床作りは五月連休、田植えは七月初め、出穂はお盆頃、刈取りは十月十日頃と記憶している。それというのも、麦刈りは、桑の芽だしを待って春蚕を掃きたて、6月下旬には上蔟を終えて、果物の袋かけを終えてからのことであって、その後、耕耘、代掻きとなり、田植えは7月に入ってからであり、そのため「日本一遅い田植え」となったのである。
「(稲の)種蒔きは(遅くとも)八十八夜まで」
・「水くれ(やり)十年
 信州では、「水やり」でなく、「水くれ」である。成育の可否を決定する灌水技術の困難さを指す。「水かけ三年」という言い回しもある。
・「昼寝は(春の)彼岸から(秋の)彼岸まで
 川中島平の農家では、繁忙期にはお昼飯の後、昼寝をします。典型的な複合経営農家ばかりでした(稲作やら養蚕(果樹)やら畑仕事で)。この束の間の休憩時間に訪問(電話)するのはご法度でした。居間でのごろ寝が当り前です。暑さや日差しが傾き始めた頃に目を覚まして、再び、夜真っ暗になるまでの野良仕事に出向きます。目の回る忙しい時期には、早朝3、4時から12時間程、身を粉にして働きます。
・「精農は草を見ずして草を取る、中農は草を見て草を取る、惰農は草を見て草を取らず
・「麦藁でご飯が炊ければ嫁に行ける
 薪は風呂焚き用、稲藁は「藁仕事」用に、小麦の藁は藁屋根用に取って置く。残るのは大麦の藁しか残らない。これでは「おき」(木を燃やしてできた火)ができず、川中島平では、おのずと「おやき」は蒸篭で蒸すことになり、「へえくべおやき」でなく、「ふかしおやき」となる。
・「菅平に十一の字(地肌)が現れたら種を蒔け
 東方の山の雪形が農事を知らせる善光寺平の言い伝え。水稲の播種を知らせる諺。
 尚、川中島平南部では菅平は遠望しにくい。これ参照。
・「竹の花が咲くと凶作
・「苗半作
・「田植え(植付け)半作
 苗代作りは5月連休にするのが一般的であった。子供も含めて家族総出での「苗代作り」は丁寧に行なわれ、その年の米の出来を左右する大事なものであった。そうして苗が無事に育ち、田植え(植え直し)も終ってやっと一安心。あとは除草や病虫害や水管理さえすれば収穫は見込めるだろう。百姓の感慨の一言である。
・「そば七十五日
 播種から収穫までが短いそばの特長を表す。
・「麦の刈り取り三日なし
 北限の二毛作地帯であった川中島平では、麦の収穫期は梅雨期であって、一時的な梅雨晴れの時に収穫していた(1960年代まで)。驟雨があると、急いでリアカーに積載して、家の土間や縁側に収穫した麦藁を入れ込んだものである。雨に濡らしたり、早刈りや遅刈りも品質悪化要因である。麦刈りの時期はそれほど見極めが難しいのである。また、麦の穂にはハリがあり、肌にチクチクして痛痒いことこのうえなく、幼心に辛い思いがしたものである。
・「天長節(文化の日)までに麦播き終えれば心配なし
・「山が近くに見えると雨
 川中島平は山に囲まれている。農事の合間にふと目をやると、そこに山があるという環境である。蒸気が上がると屈折率の関係で、山がよく見える。
・「星が瞬いたら風が吹く
 夜空の星を眺めて作物を気遣う百姓の心がけ。
・「小森なす、横田きゅうり、寺尾すいか、塩崎ごぼう
・「朝靄、川霧
 「春立つをかすみ、夏立つをもや、秋立つを霧という」という北信の諺があると言うが、放射冷却によって大地が底冷えして川中島平に靄が立ちこめたり、川の蒸気が冷やされて川筋状に霧が立ちこめることがあるのが冬によく見られたが、近年は少ないように思われる。尚、視程が㎞以内のものが霧で、10㎞のものが靄というらしい(Wiki)。
・「お湯が沸いてから鰹節削れ
 削る傍から鰹節は鮮度が落ちてゆきます。
・「バカの三杯汁
 貴重な塩を使い、手間を掛け、具沢山のおつゆを大切に長持ちさせようとする古人の知恵。信州には海がなく、したがって塩は貴重な調味料である。
・「三年みそに四年(余念)なし
 食べ始めると余念がないほど旨く、四年目になると味が落ちる、という三年味噌の謂い。
・「梅はその日の難逃れ
 一日に一つ食べると食中毒防止になる。同じような諺に、「梅干しは三毒を消す」がある。三毒とは、食べ物の毒、血の毒、水の毒である。食中毒と水あたりなどに効果がある。
・「カエルが鳴いたら雨
 常識的な天気予報。
・「ご飯を粗末にすると、目がつぶれる
 米一粒でも大事にした時代があった。
・「どんど焼きで焼いた餅を食べると風邪を引かない
 歳神様が守ってくれる。
・「女心と秋の空
 変わりやすいことの例え。男の方が単純なのである(笑)。
・「暑さ寒さも彼岸まで
・「桃栗三年、柿八年
 この諺の後に、「柚子の大馬鹿十三年」もしくは「梅はスイスイ13年、梨はゆるゆる15年、柚(ゆず)の大バカ18年、ミカンのマヌケは20年」(臨済宗?)と続くこともある。
・「桜切るバカ、梅切らぬバカ
・「秋茄子は嫁に食わすな
 解釈は何種類かあるが、「旨いからといって沢山食うと(身体を冷やすから)跡継ぎを産む嫁に矢鱈食わせてはならない」という医学的見地と子孫繁栄を願う見解が真っ当であろう。
・「本家の東側に分家を建てるな
・「粒々辛苦
 米作農民の非常な苦労(1960年代まで)ということから、こつこつと苦労をつむこと。あるいは、並々ならぬ苦労のこと。機械化(70年代から)により、大分米作りは楽になった。
・「蒟蒻(コンニャク)は体の砂払い
 こんにゃくは体の中にたまった砂を出すはたらきがあると考えられ、特に、男の子にはよく勧められた。
・「ミミズにしょんべん(小便)すれば、チンボが腫れる
 土を耕作してくれるミミズの役割を知っての故事である。
・「上質のおいしいようかんを思わせるような土を作る
 苗代の土作りの要諦を示す格言。
・「七つ泣き鼻取り
 牛の鼻を取って代掻きの誘導をする学童の仕事。一人前の働き手となる試練。

川中島平の農事(生活)暦(現在、工事中。随時UPします

1月(睦月)
 正月は、年神様をお迎えし、豊年と家族安寧を祈る月である。2日以降になると、大人は年始の挨拶回りや来客で忙しく、子供はカルタ取りやトランプ、花合わせ、双六などをして、炬燵にあたりながら遊ぶ。
 1日  元旦・初詣 雑煮を食べ、お神酒を戴いてから、近場の神社に初詣に赴く。近年は善光寺や武水別神社(お八幡さん)に行く人が増えている。また、菩提寺にも挨拶に伺う。三が日内に、内輪や親戚、友人・知人に挨拶を済ます。戦前は「四方拜」といい、学校に登校し、列席の中、君が代、年の初めの歌を斉唱し、式典終了後紅白饅頭を貰い、生徒たちは嬉々として下校した。
 2日 仕事始め・書初め 昭和10年代までは、男衆は藁打ち・縄綯いや果樹の剪定、女は縫いもんを行い始める。書初めは、江戸時代末期、寺子屋教育の普及から一般化し、どんど焼きで燃やして字が上手になることを願う。
 6日  小寒  「寒の入り」なので、寒さが厳しくなり、「寒中見舞い」となる。
     戸部の御旅屋(おたや) 6日の明け方前から方々から出かける。
 7日  七草 餅に飽きた頃合、七草を入れた粥を食べて万病を防ぐ。
 11日 鏡開き お供えした鏡餅を食べて一年の健康を願う。
 15日 どんど焼き(松本地方では、左義長) 正月飾りや旧年中の達磨などをご神木の周りに括りつけ、幸運を祈った。また、五円玉を投げ込んだりして「ご縁」と家内安全を願った。
     小正月 女正月と言われ、新年の挨拶で親戚の家を訪問したり、宿泊する。嫁は実家にも帰ることができる。
 21日 大寒  最も寒いとされる時期。

2月(如月)
 川中島平では、零下となって一年で最も寒い季節。当地では、積雪が問題ではなく、北風を伴う寒さが厳しく、人々は半纏を着て、股引を穿いて打ち震えるのである。一日中、氷点下の曇り空を見上げることが屡である。だから、「寒い」でなく、「さびー」と云う。口が回らないのである。農家では、男衆は藁打ちや縄ないを、女衆は機織や縫い物、布団などの綿入れや打ち直しを行なう。60年代までの子供たちは、休校の寒中休みを炬燵や屋敷で過ごす。
 3日 節分 豆まきの仕事は仕事は子供。大豆から落花生に変わりました。
 4日 立春 農事の開始日。この日から数えて、「八十八夜」や「二百十日」となる。
 19日 雨水 雪が雨に、氷が融けて水になる。

3月(弥生)
 3月の北信州(川中島平)は、依然として北風が寒く、雪が舞うこともしばしば。遠い山々は冠雪をいただいているが、臨む日差しに大地は少しづつ和らぐ気配がする。さりとて、朝晩の寒さで霜が降ることがしばしば。葉物野菜の閑散期。ピーマン、なす、トマトなどの播種とジャガイモの植え付けの準備。果樹は剪定を終え、散薬や薄肥えを施す。中旬以降平均気温が5度以上(植物期間がスタート)になって、植物の生育が始まるのである。
 6日  啓蟄 虫が這い出してくる。
 15日 涅槃会 お釈迦様の入滅日までには、やしょうま(やしょんま)を作って仏壇に供えてから食べる。
 18日 彼岸入り
 21日 春分 ぼた餅を作って墓参する。春の便りを聞く頃。大根や人参や青物を蒔く。
 24日 彼岸明け
      彼岸が過ぎると信濃路も漸く春めき、「味噌炊き」を始め、味噌作りに励む。  

4月(卯月)
 すっかり日差しが和らぎ、草花が百花総覧に次々と咲き誇り出します。(3月下旬以降)梅→(4月)杏・桜→桃・梨→(5月以降)林檎の花というように、川中島平を彩ります。しかし、農家に花見をしている暇はない。養蚕の傍ら、麦の土寄せ、自家用野菜の播種や植付け、苗代作りの準備などの農作業に追われ出す。平均気温は10度を越えて中旬には桜の開花(平均開花日15日)が見られる。「桜が散ったら種を蒔け」という諺があるが、信州では、播種はプレハブ温室で既に始まっているところもある。
 5日 ひな祭り、清明 草木の出芽がはっきりして来る。
      桜餅やアラレを作り、女子の成長を祝う「桃の節句」である。
 8日 潅仏会、花祭り 3月から5月頃、ヨモギの若葉で草餅を作って供える。
 20日 穀雨 初さめが穀物の発芽を促す。

5月(皐月)
 かつての二毛作地帯の川中島平では、ゴールデンウィークには苗代作りを終える。一年で一番日差しが強く、日照時間が長い春本番である。夏野菜の播種や植付けもしなくてはならない。水田のための用水路整備(堰掘り)の仕事もある。平均気温は15度となり、成育が盛んになり出す。
 2日頃 八十八夜 遅霜を心配していたが、その心配がなくなる。「八十八夜の別れ(泣き)霜」。
 3日 憲法記念日
 5日 こどもの日立夏 夏が始まる。この頃にはお米の種蒔きを終える。
 21日 小満 草木が相応の大きさに成長する。

6月(水無月)
 梅雨が始まる。大凡、6月9日から7月18日の40日間が平均である。信州の年間降水量は1000mm以下であるが、この時期にその1/4程の降雨がある。現在では田植えが始まり、かつてよりひと月早まっている。
 5日 端午の節句。男の子の祝い。柏餅を供え、菖蒲湯に入り、鯉のぼりを揚げる。
 5日 芒種 芒(のぎ)のある穀物を播種する。麦刈りを始め、田植えの準備をする。
 11日 入梅 
 21日 夏至 昼間が最長。

7月(文月)
 養蚕に田植えに一年で一番の農繁期。目の回るような忙しさのため、子供たちも6月下旬からの農繁休みには、苗運びやおこびれ準備など、できることを手伝う(昭和30年代まで)。梅雨明けと共に、じりじりとした暑さの中、草取りもまた本格的になる。 
 2日頃 半夏(生) 二毛作の川中島平では、この頃、田植の最盛期。 
 7日 小暑、七夕(新暦) 梅雨が上がり、暑さが厳しくなる。
 22日 大暑 暑さが最も厳しい。一連の農作業を終え、土用丑の日には、タニシやドジョウを捕らえて英気を養う。

8月(葉月)
 暑い日が続くが、朝晩の冷え込みもあり(日較差)、空気が乾燥しているため、「さわやか信州」となる。お盆前後に稲の出穂・開花期となる。トウモロコシ・里芋・西瓜・トマト・胡瓜・(丸)茄子・唐辛子・ピーマンなど夏野菜の収穫。結球白菜。煮物大根の播種。桃の収穫最盛期が8月いっぱい続く。朝まだきからの収穫と水やりと追肥に忙しい。下旬には台風対策を立てる。
 6日 広島原爆記念日
 7日 七夕 竹に飾りや願い事の短冊を括り付けて軒先に飾る。翌日、川に流す。          
 8日 立秋 残暑見舞い。秋の気配は朝晩の冷え込みが大きくなっていることにも感じる。日較差は水稲や果樹の生育に貢献する。 
 9日 長崎原爆記念日
 12日 お花市 お供え用の切り花を駅前通り(や近所の川辺・畑など)で購入する。
 13日 迎え盆 お墓掃除をし、迎え馬や送り牛、供花を終えて、麦藁(近年はシラカバに化けている)を家の角々で焚いて先祖の霊をお迎えする。「じいやん、ばあやん、この明かりで(を頼りに)、おいらい、おいらい」などと唱える。大概の家庭では天ぷらを揚げる。
 14日 お盆(薮入り)・・・おごっそう(おやき)を仏壇に供えてから食する。それが終ると、公民館前で、相撲大会や盆踊りに興じる。盆踊りは、大概、炭坑節や木曽節であった。
 15日 敗戦記念日
 16日 送り盆 麦藁を焚いて「じいやん、ばあやん、この明かりで、おけらい、おけらい」などと唱えて先祖の霊をお送りする。これを終えると川中島平には直ちに秋の気配が忍び寄り、子供たちの夏休みも終了する。
 23日 処暑 暑さが止む。
 29日 旧八朔

9月(長月)
 台風が過ぎると豊穣の秋を祝う秋祭りが始まる。
 7日 白露 秋の気配が強くなり、白く露が結び始める。
 15日頃 十五夜(中秋の名月) お月見
 22日 秋分 彼岸の中日。

10月(神無月)
 米や秋野菜の収穫の喜びを感じながら、冬の準備を意識しだす。長野県内の初霜日はおよそ10月28日前後である。野菜の大方は霜が降りると枯れてしまう。
 8日 寒露 露が冷たく感じられる。
 10日 この頃、川中島平では稲刈りの最盛期。はざ掛けの直後に麦蒔きをする。その後、稲こき(脱穀)からフルイにかけ、唐箕で選別してからネコに広げて乾燥する。朝晩は冷え込み始め、農作業は忙しい。
 23日 霜降 晩秋の晴天が続き、霜が降り始める。

11月(霜月)
 紅葉のシーズンが始まる(楓の平均紅葉日は2日)。朝霜の毎日になり、林檎や大根・人参・葱・ほうれん草・牛蒡・長芋・白菜・里芋などの野菜の収穫に追われる。農事は終了し、年の瀬の準備が始まる。えびす講で年末商品を買い込み、晩秋の夜空を彩る花火に歓声を上げる。一霜毎に野沢菜は柔らかくなり、風物詩である野沢菜漬けが庭先で行なわれる。夜には柿を剥き、吊るし柿が家々の軒先にぶら下がる。 
 3日 文化の日 日本国憲法公布。
 7日 立冬 寒い冬が始まる。
 初旬 篠ノ井えびす講 川中島平のえびす講。
 22日 小雪 北風が強くなる。
 23日 長野えびす講 全国有数の晩秋の夜空を彩る煙火大会がある。寒い。

12月(師走)
 川中島平(信州全般も)では、お正月よりも、それを迎える過程と大晦日のお年取り行事が重要である。室作り、すす払い、掃除、障子張り、餅つき、しめ縄作り、餅切り、と続く中で、幼心に高揚感を覚える。大晦日の夜が一大イベントであり、掘り炬燵で温もりながら、お年取りの料理に箸を動かす。最高の料理が居並ぶのである(したがって、お正月はお雑煮を食べるだけで、基本的に「おせち」料理はない、と記憶する)。クリスマスが普及するのは、バブル時代(80年代)以降のことである。
 7日 大雪 平地にも雪が舞い始める。
 8日 事納め 正月の準備を始める。
 13日 すすはらい 家の中を清掃して煤を掃う(一般的には、20日以降の吉日に行なう)。また、障子張りをし、しめ縄(松の枝に飾る)作りに取り掛かる。
 22日 冬至 昼間が最短。夜が長い。南瓜を食する。
 28日 餅つき 早速、お供え餅(鏡餅)を仏壇と神棚(又は床の間)に供える。 
 31日 お年取り、二年参り 「洗い出し」をしてさっぱりした気分で新年を迎える。近年は、近場の神社ではなく、善光寺まで出かけて二年参りする(若)者も多い。

 参考文献

   『白桃と野の花』〔改訂版〕、山﨑袈裟恵、三和印刷、2012
   上記の本は、この川中島平の(特に桃の)農事と植生について詳細に語られている、珍しい自費出版物である。農業に従事した者のみが理解できる内容もあり、植物学に関する学究肌の観察眼が光っている。
 『信州いいやま 暮らしの風土記』、農文協、2010
 『野菜づくりの手引き』、長野市農業公社、2009
 『信州いいづな 食の風土記』、農文協、2010
 『歴史の中の里人たち』、岡澤由往、龍鳳書房、2010
 『イロリ端の食文化』、今村龍夫、郷土出版社、1992
 『青木村の郷土食』、召田富子、オフィスエム、2011
 『高田の今昔』、篠ノ井高田長生会、1978
 『今里区誌・今里今昔物語』、今里区誌編集委員会、2012
 『写真ものがたり 昭和の暮らし』、農文協、2004
 『信州の空模様』、信濃毎日新聞社、1988
 

 

 

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