『民俗学入門』
民俗学(folklore)は実質柳田國男が創始した学問である。日本全国にある大学で、民俗学の研究者は少ないが、巷間では民俗学徒は数多い。文化人類学は基本的に「人間とは何か」を扱っていて、誤解されて、民俗学が文化人類学の一種として見做されることもある。ポストモダンは、言語や文化人類学研究の精華としてフランス哲学(構造主義)を中心に隆盛を誇ったのだが、人間を抹消するその反ヒューマニズムと関係性のみに集約される、ある意味での決定論とに、現代の哲学者は疑念を覚え始めているのではないか。民俗学はその間隙をこじ開ける学問の一つであると思うが、今の所、一部の人々を除けば大いに評価されているとは思えない。また、近現代化の時代潮流の中で、失われる資料と中央集権化やグローバリズムとによって、民俗学の役割が終焉したと唱える者もいる。
『民俗学入門』は、そうした民俗学の現状に一石を投じた著作であると思っている。概括的で読者にも分かりやすい。著者によれば、「民俗学は、普通の人々の日々の暮らしがなぜ現在の姿に至ったのか、その来歴の解明を目的とした学問」(p231)と定義される。目的と方法論についても著者の見解が披歴されていて、読者の評価が分かれるが、それらの見解もまた民俗学徒にとってみれば刺激的である。柳田國男は民俗学の目的を「経世済民」と毫も疑わなかったが、柳田も宮本常一も時代の中を生きて学問をした人たちであったのである。民俗学徒から見れば、世界史や日本史は権力者どもの歴史に過ぎない。それに気付いた人の中に和歌森太郎や網野善彦などがいる。両者ともその民俗学的見地が日本史に反映されていたのだが、現状は未だ支配階級の歴史記述となっているのである。世界史的に見れば、現代のグローバリズムや新自由主義は、アメリカ帝国主義による支配のためとも考えられる。その自由と民主主義は本当であるのか。現今話題のChat GPTは人間を解放するのか。人間の思考と倫理を剥奪するものとなるではないのか。他方、民俗学は足下から考える。故に、ただ単に民俗資料の蒐集するだけでなく、そこからあらゆる疑問が派生し、未来の展望が開示されるのである。
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