日本の近・現代史

2022年12月 2日 (金)

防衛論議のアホらしさ

34334660 何で今頃になって、この新書が再刊されたのか分からない。戦記物として文庫から新書で再刊されるのは、稀有と言わねばならないだろう。いずれにせよ、以降再版されることはないと思われる。戦後77年も経過して人々の記憶は薄れ、防衛費倍増を岸田内閣はうちだして、早速財源問題に終始しているようである。政府は既にウクライナ戦争への賛意表明をして、戦争に加担しているのであるから、より一層の戦争構築への企図(戦争国家化)と断じなければならないだろう。尖閣諸島の領有問題を除けば、中国との政治・外交問題は、ほぼないのである。つまり、中国と戦争する必要性は全くないのである。台湾(帰属)の問題は中国人民の問題である。にも拘らず日本政府は、南西諸島の軍事基地化を推進して、結果として沖縄を戦場化する目論見である。対基地ミサイル先制攻撃の構想があるようだが、(国会審議もなく、憲法違反の)米国製ミサイルを導入しての閣議決定は、原発54基のあることから、一瞬によって日本列島が焦土と化すのは目に見えている(ウクライナ戦争以上に、悲惨を極めるだろう)。また、日中共同声明によって対日戦争賠償請求権を放棄した恩義もあるのである。さらに、米国も畏怖する軍事大国中国と戦争をして勝利できるとでも思っているのか。中国敵視の軍事力増強は、第二次日中戦争の契機ともなり、何ら権益に資するものではないのである。尤も、共産党主導による強権的な中国政府に賛同している訳でもないことは、言わずもがなである。
 さて、『松本連隊の最後』である。歩兵150連隊の南方出征から敗戦までの記録であって、私見で断定しない、戦争賛美しないという著者の二大方針に従って、調査と聞き取りで構成された戦記である。それは戦争体験した作者にとって〈わが青春の墓標〉でもあった(p429~430)。概要は東洋経済ONLINEでも取り扱われている。要は、無謀な太平洋戦争の実相記録である。この本の解説者であって、実際に中国への従軍体験のある故・藤原彰氏が記述したように、「戦争が庶民にとって、名もなき兵士にとって、何であったかを正確に記録したものは多くはない」のであって、「犠牲者の大半が、戦闘行動による戦死ではなく、水死、病死、栄養失調死、餓死であったという事実」(以上p452、これこれを参照。これも)を知らねばならないのである。だから、政府・防衛省や歴史修正主義者による防衛論議など、アホらしいのひと言である。パンドラの箱に唯一残っていた希望すら失ってしまうからである。
 

| | | コメント (0)

2022年9月 3日 (土)

平和は創造するものである

07490846 『「日本」ってどんな国?』を斜め読みすると、その資料・データから如何に日本という国家が衰退していることが分かるというものだろう。しかしながら、衰退は大いに歓迎であるという立場である故、別にどうというべきこともない。自分が日本人であろうと、アメリカ人であろうと、中国人であろうと、ましてや国際的に(国際という言葉には不信感を抱いている)嫌悪されつつあるロシア人であろうと、どうでもいいことである。ここでも多くの日本人と見解が相違していることは自覚している。それで文芸春秋ムックの『戦争と日本人』である。思春期に読書の鬼と化し、昼休みと放課後に図書館に通い詰めた日々において、文学や哲学・思想の叢書を読破していたのだが、合間に読む雑誌は『文藝春秋』ではなく、『世界』や『展望』、そして『朝日ジャーナル』だった。当時、『文藝春秋』は唾棄すべき「良識ある大人」が読む雑誌であって、錚々たる右派文化人が寄稿していたのである。例えば、海軍上がりの阿川弘之や司馬遼太郎や田中美知太郎を覚えている。振り返れば、『文藝春秋』は昨今の右翼雑誌群と寄稿人士が重複しているのである。だから、時々瞥見する程度だったのである。彼らは戦争を遂行し、戦後も領導した連中であって、「神社本庁」や「日本会議」に蝟集しているのである。そして例の悪名高い統一協会(キリスト教会と全く関係のないカルト協会)と野合してきたのである。だから、社会の肉瘤たるアベの国葬には絶対反対なのである。政教一致の憲法違反はさることながら、失政を極めて国税を簒奪した悪党の国葬なぞ、笑止千万である。
 さて肝心なそのムックであるが、その山本五十六は「ずるくなくちゃ、国際的交渉は出来ないよ(笑)」(p11)と結局軍人としての自己に恃んでいる始末である。近衛文麿は、西園寺公望を自由思想家などと心酔しながら、政治的に軍部に追い詰められた無能である。また、国際連盟脱退を主導した松岡洋右は、その後「静養、静思、沈黙。これが現在の私の一切なのである」(p18)と戯言を弄しながら、「満蒙は日本の生命線」と称し、実際に満鉄総裁や「松岡外交」によって中国に介入して侵略戦争の道を拓いているのである。読んでいても気持ち悪い。文藝春秋にしても、記者としての批判精神が全く欠落している。呆れた連中である。多くの日本人が誤解しているように、平和を実現するためには、日本の被害に拘泥してばかりでは覚束ないのである。さらに平和は守るものではなく、創造する(政治的に勝ち取る)ものなのであることを再認識しなければならないのである。カルトの統一協会ですら「平和」という言葉を弄しているのである。国葬や憲法改悪や防衛費増大などと唱える右派勢力のように、覚悟もなく呑気に構えているようでは戦争は繰り返すのである。
2022090206020001_20220904175201  稲の受粉は終わり、稗取りとすずめ対策の段階である。東北と北海道地方は大雨の影響でリンゴや稲の被害は如何ほどだろう。心配である。当地では桃の収穫も終え、葡萄の採取時期となっている。これに稲の収穫が続く。6月中旬の田植えなので、9月中旬に落水して10月半ばに収穫となろう。稲穂の状態を見ながら水管理に専念しなければならない。農業は底の浅い怠惰な右ねじの人間には務まらないのである。

| | | コメント (0)

2022年7月16日 (土)

現況の問題点

2022070317500000  参院選挙が終了した。与党の大勝である。物凄い戦争国家化であり、憲法改悪への道筋が立ったと言うべきである。戦後77年にして、この様(ざま)である。覚悟もない愚かな一部の国民がこれを選択したのである。アベ狙撃事件をして「民主主義への暴挙」という論調があるが、これは全く当たらない。アベ(だけでなく自民党)と統一協会との関係が浮上しているが、これは50年以上前からの因縁である。当時から原理研との闘いは、希望を抱いた大学入学者にとっては、悪魔との闘いとして喫緊な課題だったのである。隠然として、合宿への勧誘、ニセ大学新聞への加入・支払い、霊感商法・献金、家庭・家族崩壊など、洗脳が問題になっていたのである。その結果、自民党などの政権政党への影響と癒着と支配が浸透し、反共主義の協会方針が自民党の憲法改悪案と相似しており、アメリカ帝国主義よろしく、まさしく、政教一致の憲法違反となったのである(憲法第20条)。マスメディアの腐敗も戦前の歴史における教訓となっているのだが、これは最も重要な一つの指標であるが、看過されているようである。スマホの普及化によって、国民を分断して支配しているのである。そしてこの間の政教一致である。
 人知れず、急速に、何の検証もなく物事が進展している事態に対して、人々はその危機を感得するべきである。それは思考を奪われた保守の側でも同様である。人と人との心を通わせた会話は殆どなくなり、功利的で事務的となっている。都市はそれが当たり前になっている。テレビは国民の生活に関心がなく、つまらない会話やニセの笑いが溢れ、答えが初めから用意されている(画一化)。都市は無反省にビジネス志向が謳歌して、個人の思いは委縮している。都市の電力が、地方の収奪によるものであることも忘却している。また、そうした総合的視野をもった教育もなされていないのである。地方においても、学校教育は地域振興の為には何の役にもなっていないのである。教育は、中央集権化して連綿と地方を収奪することによって成立しているにも拘らず、立身出世と私利のために、医学部や東大(慶応大)志向に集約しているのである。自己の確立を放棄した人間が、国家権力に飼い慣らされているために、(高学歴な人間ほど)戦争に歓喜しているである。この事態が何となくおかしいという疑念を抱くべきなのである。この感覚なければ、ただ単に監視されるということだけでなく、加速するAIやBTによって、すべてが人類(ホモサピエンス)の改変と終焉から地球消滅へと向かう懸念があるのである(岡本祐一朗『いま世界の哲学者が考えていること』、『哲学と人類』など)。

| | | コメント (0)

2022年2月20日 (日)

戦中派エリートの限界

31840595  少し関心があったので、『血にコクリコの花咲けば』と、『手記ー私の戦争体験』を併読してみた。ともに図書館の廃棄(リサイクル)本である。前者の著者(1923~2007)は経済学者として高名であり、遠藤周作司馬遼太郎と同世代の戦中派である。山田風太郎もその一人である。森嶋通夫と司馬は学徒兵として出兵し、遠藤と山田は浪人生活のまま肋膜炎のために入隊を免れている。
 さて当該の森嶋の著書であるが、彼の生き様は反皇国史観と反マルクスという「意地」(principle)の塊である(単行本p16~17)。換言すれば、完全なる個人主義者であり、戦時の国体明徴の時代にあって、日本の閉じられた社会(天皇制軍国主義体制)に対して反抗したと思っていたのである。しかしながら、なぜ徴兵に応じるのかという問いに対して、彼は、「学問内の戦いは国民の誰もが背負うべき一般的義務(兵役の義務)をまぬがれて戦われるべきではない。だから私においては従軍と『学問的反戦』は両立していたのである」(p103)と誤魔化している。学問的反戦とは何なのか。この出版にあたって、編集者から「なぜ反戦運動が起らなかったか」について記述の要請をされていたのである。明治憲法において、国民の義務は兵役と納税の義務であり、国民の権利は、主権が天皇にあって法律の範囲内で認められた臣民の権利なのであった。
 また彼は、「国民の多くが義務だと言われて従軍させられているのに、自分たちだけが忌避するのは背徳的であるから、私たちは義務を果たしただけに過ぎない」(p267)とも言い訳している。だから彼は、明治中期以降や昭和初期における天皇制の凶暴化に対する批判を何度も繰り返して、末尾において、明治期に形成された国体観念と、明治体制に個人のプリンシプルの尊厳と不可侵を明記しなかったことが天皇制の凶暴化を惹起したのであると結論づけている(p278~278)。その見地から、彼は(宇垣)特攻や戦艦大和の特攻を徹底批判しているのであるが、肝心な明治体制そのものへの批判にまで及んでいないのである。そもそも英国王室のような「マイルドな天皇制は個人主義や民主主義と両立」(p278)しないのである。英国王室や天皇制を批判して国民主権と基本的人権の獲得のために、彼以前にあった、血みどろの民衆の闘争史を知らないか、無視しているのである(歴史認識の欠如)。海軍の通信将校としての彼の優遇は、「軍隊外では想像を絶する食糧不足であることをはじめて知った」(p207)という認識の怠惰であり、「海兵団での夕食は楽しかった」(p221)そうで、敗戦日の夕食には酒と赤飯とぜんざいが提供されたそうである(p241)。彼自身が自省しているように、偽善的愛国者(hypocritical patriotism)として戦争時代を生き抜いたのではないか(p243)。そのことはまた、夫人も喝破していたように思われる(p133、268)。

| | | コメント (0)

2022年2月 8日 (火)

『昭和の記録 私の思い出』

2022020812440000   「降る雪や明治は遠くなりにけり」(中村草田男)という俳句があるが、昭和もまた遠くなったものである。何と、明治維新から敗戦までと、敗戦から本年までは、それらの間隔は等分の77年なのである。そして、昭和が終焉して33年も経過しているのである。この『昭和の記録 私の思い出』を10日間を要して漸く読了した。「歴史は庶民によって作られる」という言葉さながらに、昭和の時代状況を彷彿させる好著である。権力側の改憲派の増長と庶民側の護憲の衰退という時代の流れの中で、庶民の歴史を発掘することは大いに意義のあることである。教科書の歴史は殆ど権力者側の記録であって、これだけが日本の歴史ではないのである。よくある日本史は、天皇と武士どもの権力闘争の歴史であり、こんなものをいくら学んでも現実の生活には何の役に立たないである。インテリと称される層が新自由主義者どもにコロッと騙されるのは、洗脳され易く、生活の知恵がないからである。自然環境が破壊されて人心が荒廃するのはこれがためである。だから、権力者側の改憲は峻拒すべきであって、民衆の側の改憲はよりよい憲法へと断行すべきなのである。守旧の改憲派は歴史を巻き戻すものだからである。今こそ人々は前期の近現代史を総括して、次の時代を創始しなくてはならないのであるが、テレビやインターネットを眺めると、頭が右螺子の人物と情報が蔓延している有様である。時代錯誤とガラパゴス天国の日本に成り果てているのである。
 以下に読書感想を記すと、①小林謙三さんの「朝鮮ユキさんのこと」の一文が秀逸であった②戦前と昭和30年頃までは北信州の農業は穀桑式農業なのだなと再確認した③実業に従事していた者は強い④当時の様々な思い出が焦点を帯びて具象化できた⑤「父との思い出 雪の綿内駅」もまた感動的な文章であった⑥戦争や赤貧的窮乏によって斃れた人々の歴史(筆記されていない歴史)もあり、記憶されてしかるべきであること⑦「野菜は頭で作るもんじゃないで」(p471)という言葉は印象的であったことである。
 この本の掉尾は、「昭和の記憶・・・我が家の『昭和』には、『粘り強さ』と『ひたむきさ』そして『家族の笑顔』があったのだと、しみじみと感じています」(p476)で締め括られているが、昭和は誠に激動の時代であったが、ただ一つ付記すれば、天皇の元号で時代を象徴させてしまう不名誉を恥じなければならないことである。 

| | | コメント (0)

2022年1月14日 (金)

「・・・物語」?

34283229  満蒙開拓青少年義勇軍に関する研究は、現在形として白熱しているようである。この論評は義勇軍に関する著者の研究を総まとめしたものである。ミレニアムの初めに、長野県歴史教育者協議会が編纂した『満蒙開拓青少年義勇軍と信濃教育会』の中で、幼い少年たちを満蒙への義勇軍として動員した信濃教育会と教師の責任が問われたのであるが(こちら参照。これこれも)、この上梓本は「信濃教育会が教員赤化事件以降に右傾化し、国策に順応したと捉える」見解を一面的と批判しているのである(p227)。そして、「義勇軍をはじめとする満州移民の送出に郷土教育運動が影響を与えている」(p同上)のであり、興亜教育運動の高まりによって、役場・学校(教育)・父兄の三位一体となって義勇軍送出の強力な要因となったのである(p91)、と主張しているのである。確かに、原因を多元的に指摘し、議論に一石を投じて新しい視座を供与するという意義はあると思う。
 しかしながら、その見解は信濃教育会(と教員の)戦争責任の所在を曖昧にする点で看過できないのである。無論、教育会だけでなく、他にも義勇軍送出に関与しているのは疑いがないが、拓務省によって進められた郷土部隊編成運動との関連で、「義勇軍と教育会との関係で留意すべきことは、義勇軍(青少年)の送出というよりは、教学奉仕隊・中隊幹部・義勇隊指導員の選考と送出であったと思われる」(p20)という一節は意味不明である。ただお国の方針に従っていただけであるとの、よくある開き直りと誤解されるのではないか。田河水泡の「親父訓練」という漫画を例に出して、このストーリーに「教員は登場しない」(p116)という恣意的な一文を挿入しているのも解せない。義勇軍に志願するように直接本人や父母を説得したのは誰なのかは明白である。戦前のことを語る時、戦中派の人々は「みんなそんな(御国のためという)時代だったんだ」と答えるのが一般的である。彼らの名前からして國男、昭三(天皇の即位礼)、忠男、君子、勝子、和子などである。また、実際に義勇軍に応募した動機として8割が先生(教師)なのである(p85~86)。予科練を志願した古老(存命)によれば、「弟も義勇軍に応募したが、みんな割当てだった」という証言を耳にしたことがある。私もまた、その当時の少年であったならば、出自や成績などからして義勇軍に好んで志願していただろう。信濃教育会は満蒙開拓平和記念館建設に200万円寄付したとのことだが、先ずもって必要なのは、反省と平和への告白・決意宣言なのである(それは議長声明でお茶を濁す日本基督教団も同様である)。
 第二に、この本で気になるのは、足を踏まれた側を考慮していないことである。侵略された側への配慮や引き上げた義勇軍や苦渋の教師たちの証言である。そこを曖昧にした歴史研究は、結局一面的にならざるを得ないのである。歴史は資料の渉猟だけではなく、現代史においては歴史的証言もまた一級資料なのであって、後者を欠いた歴史研究は、客観性に欠けるばかりでなく、研究家の先入観(解釈)という陥穽があるのである。「郷土教育運動」と「興亜教育運動」と「農山漁村経済更生運動」(p91)との異同と解説がなく、「郷土教育運動」と満州移民との関連もよく分からず、タイトルに「・・・物語」とあるのも全く理解できないのである。

 

| | | コメント (0)

2021年12月 4日 (土)

女性の時代

Iimg900x12001589569509dbwirt631178  東栄蔵の『信州の教育・文化を問う』を読んだ折に、紹介されていた本が『昭和・女を生きる』であった。市中で入手できないので図書館で相互貸借で借受して熟読してみた。長野県カルチャーセンターでの文章講座において、横関光枝さんは「わが青春の”空白の年表”」という原稿を書き上げたのである。時は1986年である。その後1990年に、その原稿を基にして上記の本を上梓したのである。片田舎の貧農に生まれ、一軍国少女として生きた女の半生記である。
 彼女は1929年(昭和4年)の生誕であるから、都合、昭和の時代を生きたのである。家父長制という厳しい現実の中で、女として周囲から邪険にされ、農業の働き手として酷使され、文学も横文字も知らずに軍国少女として戦争末期に御牧ケ原修練農場で実習した体験が綴られている。昭和になっても明治の社会は依然として続いていて、「農村の女性の一生は、男性とくらべると『いえ』との関係がつよく、『いえ』(家父長)を媒介にして社会とむすびついていた」(『明治・大正の農村』大門正克、岩波ブックレット、p14)のである。人々は、社会的矛盾と生活の困窮に苦しんでいたのだが、女性は更に性的差別という重圧が加わっていたのである。著者は、「私の生きた少女時代は真暗闇で、目の前の物の正体が何も見えなかったのである」と悲嘆している(p47)。昭和19年(1944年)、14歳の彼女は国民学校高等科を卒業して、「(女なんて)穀つぶしだ」(p71)と蔑まれた父の下から離れたい一心で、一年間御牧ケ原修練農場に入所する。国家による自力更生運動の一環として創設された学校である。御牧ケ原の台地は、古代から望月の牧として馬の生産地として著名である。時は昭和不況の影響もあり、戦争は益々激化している頃である。もしかすれば、彼女も「大陸の花嫁」として渡満したかも知れない(p60)。彼女にとって、ここでの体験は、家族も含めて誰にも開陳していない「心に傷ついた哀しみ」(p63)であった。まことに書くという行為は心の棘を抜くことなのである。
 敗戦後も、「七つ泣き鼻取り」(誘導が難しい牛の鼻を取って代掻きをする学童の仕事。大人への試練としての農事)の仕事もやらされ、母と一緒に女の性を父親から罵声を浴びせられたが、彼女は本に出会った。歌も母から覚えた。家出して母の愛情にも気が付いた。そして貧乏な小学校教員と結婚する。その後は貧窮の中でも、出産と子育てをしながら多くの女性との出会いを経験し、女性としての自分を回復していく記述で感動的である。「女になんか生まれなければよかった」と母と泣いた過去の私は、今となっては苦労も吹き飛び、「私は幸せだった」(p231)と満足感を噛み締める。男女同権、男女共同参画、男女雇用機会均等の時代と呼称されているが、むしろ、これからは女性の時代ではないかと思われる。横関さんのような女性は身近にも多くいたが(90歳代以上)、彼女の、自分史として総括したその内容は、歴史学的にも民俗学的にも貴重な文献となっているのである。

| | | コメント (0)

2021年10月27日 (水)

『海と毒薬』

32574388  今夏、偶然に『しかたがなかったと言うてはいかんのです』を視聴した。九州大学生体解剖事件に関連して人間の罪と罰を遡及するドラマであった。自省をしない戦中派がよく口にした「しかたがなかった」という言葉とは魔法の言葉であり、責任を放棄した言葉である。現在においても自民党や公明党の広報では、自分たちが政権を担って日本を破滅してきた責任すら放棄して、「新しい時代を皆さんとともに。」「日本再生へ新たな挑戦。」と臆面もなくスローガンを掲げる始末の悪さに呆れてしまうのである。3割程度の残党の戦争派が存在する限り、総選挙の結果は予想がつくと言わねばならない。無党派層の覚醒と投票行動に期待するしかないのである。
 そのドラマを契機として、いち早くその事件を取り上げた遠藤周作の『海と毒薬』(実際は『遠藤周作文学全集』1の読書であり引用である)を読み込んだのである。それに絡んで大学教養部での単位取得のためのフランス文学講座を想い出す。教養部の片隅の教室でたった二人の学生を相手にしたカトリック教徒の教授を想い出す。モーリヤックベルナノスなどの小説を手掛かりとして、学生に発表させてフランス文学を研究する講座であった。モーリアックは、厳格なカトリック教徒として執拗に人間の内面を暴露して神の無い人間の悲惨を追究した作家であるが、二人の学生は遠藤周作に20年遅れで次から次へとモーリヤックの小説を耽読したのである。遠藤は、勝呂医師をして、「仕方がないからねえ。あの時だってどうにも仕方がなかったのだが、これからだって自信がない」(p102)と独白させている。また、生体解剖に加わった戸田医師にも、「やがて罰せられる日が来ても、彼等の恐怖は世間や社会の罰にたいしてだけだ。自分の良心にたいしてではないのだ」(p157)と心中を告白させている。遠藤は、登場人物のガソリンスタンドの主人にも、「中支に行った頃は面白かったなあ。女でもやり放題だからな。抵抗する奴がいれば・・・突撃の練習さ・・・シナに行った連中は大てい一人や二人は殺(や)ってるよ」(p95)と表白させてもいる。どの人物にも毒薬を含まれ(含ませ)ているのである。私的な感想を言えば、日本人にある例の制度は、日本人の特性として終始一貫して醸成されていて、日本の通史としてキリスト教の普及を阻んでいるのではないかと思っている。

| | | コメント (0)

2021年10月 3日 (日)

現代の感情と思考

20200119120728753165_6a8b22e8e9655fe581e  立憲民主党の枝野代表の「自民党は変わらない、変われない」という批判は、けだし至言である(立民党を支持している訳ではないが)。そして自民党新総裁の人事を一瞥すると、そのことが判然とする。相変わらずの世襲・派閥政治であり、強欲・反動政治である。自民党の本質から考えて、日本の没落は確定したようなものである。
 『満蒙開拓の手記』を図書館で借り受けて、その実相を把握するために読んでみた。一般開拓団約22万人と満蒙開拓青少年義勇軍11万の総勢32万人の凄絶な体験記の一部である。長野県から渡満した地域は「満州国」の、さらに東北部であるソ連国境付近が多いために、ソ連軍の参戦後は逃亡・帰国のために阿鼻叫喚の引き揚げ体験が大半である。文字通り侵略戦争の盾とされたのである。肝要な点は、それが国策の下で敢行されたことである。このことは忘れてはならないことである。戦後補償は軍人・軍属ばかりで、遺族会は戦後において終始一貫とした自民党の支持団体となってきたのである。これに反して、開拓の人々は一顧だにされずに放置されたのである。その惨状は先にこのブログ記事にも紹介したのであるが、こちらの手記の方が経緯と実情と戦後について詳細であり、青少年義勇軍たちや満蒙開拓に随伴した看護師や教師たちの手記もあって広範な記載となっている。夫や子どもを失いながら帰国した婦人たちは、侵略戦争の責任を問い(p122)、国への怨恨を吐露し(p185)、平和を誓う思いを訴える(p283)ものが比較的多いのである。そして、家産を始末して渡満した引き揚げ者には、「内地に帰っても、しばらく親戚の家を渡り歩いたが、誠に苦痛にみちたものでした」(p269)と、補償もなく白い目で見られて艱難は続いたのである。中国在留邦人の問題がその証左である。70年代までの平和教育から、今ではそれも忘却しつつある現代にあって、これらの体験記などの一級資料を渉猟することは、同じことを繰り返さないためにも意義があるのである。戦後の長野県教育においては、中央ではなく県独自の教科書で習った時代もある(現在は理科と生活だけとなっている)。科学的で合理的な思考が求められたのだが、現代においては、戦争体験者の負い目や苦難は記憶から失われ、一時的で右翼的感情や思いが横溢している時代なのである。自民党の総裁選(権力闘争)において、そのことが如実に顕現しているのを見たのである。

| | | コメント (0)

2021年9月 5日 (日)

侵略戦争の総括を超えて

33114470  この本を読んでの感想は、自分もまた戦前生まれならば軍国少年になったのではないかとの疑いを覚えたことである。想い起せば、地方紙の新聞少年であった自分もまた、新聞屋の作業台に寄り掛かりながら読んだ新聞には、高度経済成長による日本の躍進を報じる記事が満載され、それを眺めてほくそ笑んでいたのである。完全に国家によって絡めとられていたのである。戦後、米ソ対立の冷戦下、朝鮮戦争によって息を吹き返した日本経済は、ベトナム戦争によってこの世の春を満喫したのである。しかしながら、石油危機とベトナム戦争の終結と共に終了したのである。つまり、日本経済の戦後的発展は、世界の相対的安定期と共に出発して戦争によって繁栄した経済なのである。その後の経済停滞は、開発途上国によるキャッチアップという要因と、経済政策の錯綜や構造改革とグローバル化の遅滞などと誤解されているが、最大要因は自民党政治である。戦前の政党政治の腐敗とその戦犯たちがが結集した自民党は、戦後になっても疑獄事件を継続して、80年代のナショナリズムの高揚によって国粋主義者の巣窟になっているのである。二世以上の議員や派閥の領袖の跋扈は自民党の本質なのである。菅の辞任もそれが原因でもある。菅の哀れは総理総裁になった時に、実家を映したマスコミ報道に既に想定されたことである。家族・親族の誰も居住していない実家の映像が映し出されたのである。郷土を捨てて大都会での立身出世を目論んできた人生であることは判然としているのである。①猥雑な世界観と政治信条②実行力の不足③コミュニケーション能力の欠如である。こんな人間たちが権力を握ったらどうなるかは推断されたことなのである。
 ある大臣が首相と連日直談判して落涙する姿を報道で見たが、これは民衆にとって全く理解不能である。偽善の涙である。彼もまた社会の肉瘤に過ぎないことの証左である。自己の体験を検証して批判・反省することはとても大変なことで、できずに一生を終える人も多い。この本の著者は、率直に軍国少年として体験したことを綴っているのだが、今一つ総括に欠けると思われるのである(大変申し訳ないが)。運がよかったのである。しかしながら、他の多くの日本人にとっては苦難の歴史だったのである。「満州国は日本がアジアの中に描いた理想の国として、あらゆる人材・巨額な資本・先端的技術などを投下して全力を挙げてつくり上げようとした国家であったと思います」(p265)という野放図な一文は、「平和な世界の実現を目指さなければならない」(p270)という強い願いと何ら矛盾したものではないのである。体験だけでは経験とならないのである。もっと体験を客体として措定しなければならないのである。90歳以上の戦争体験者が愈々過少になっている時代にあっては、益々聞き取りと記録が必要となっている。小・中学校時代の月曜の朝礼では、校長・教頭らが平和の大切さを訴える訓辞が多かったのであるが、むしろ今の時代だからこそ、意識して戦争勢力を一掃することに踏み込まなければならないのである。
 

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧