日本の近・現代史

2018年9月26日 (水)

農村青年の軍隊体験(再掲)

337104851 日清戦争前の農村社会は、江戸時代のそれと殆ど変化はなかった。明治維新から30年弱経過しているのだが、明治中央政府は天皇制近代国家の形成が急務だったのである。大日本国憲法(欽定)の制定(1889年)によって、臣民には納税と兵役の義務が課せられたのだが、天皇の親署のある教育勅語の発布(1890年)によって、事実上、三大義務として国民に捉えられ始めたのである。勅令は明治憲法に規定されてはいるものの、憲法から独立した天皇の大権として発布される命令だったのである。ちなみに、軍人勅諭はやはり天皇の命令として軍人に下賜した訓辞である。維新期に信州の片田舎に出生した山口袈裟治(18731965)は(従前)、二十歳に兵役義務に服し、近隣の名士などの送別を受けて、「陛下万歳、兵役諸氏万歳」と謁する中で出立し、赤羽練兵場に入営するのである(p8)。この頃の男子は、未だに小学校や兵役は必ずしも浸透していた訳ではなく、軍人の社会的地位も相対的に低かったが、山里の家に養子に入った山口にとっては、国家と養子先への義理として出征したものと思われる。だから、まだ若輩であった彼の表現が拙いとは言え、就役の慶びの言葉は見当たらない。寒村の中では、出征旗や「数十の国旗等、盛んに祝砲を放ち、送別員は山と為した」(p8)とあるが、皇民化教育も未熟で、未形成の在郷軍人会の見送りもなかったのである。謂わば、この時期によくあった出稼ぎ感覚に近いものであっただろう。しかしながら、この出郷と軍隊経験は、「差別なく公平な」軍隊内の生活を通して、国民意識の萌芽となったのである(『明治・大正の農村』、大門正克著、岩波ブックレット、p36)。実際、入隊した工兵第一大隊での生活は、教練や演習、靖国参拝、酒肴の下賜、外出での東京見物や面会の楽しみ、軍歌の奉唱、三大節や宮中行事の国家祝祭への動員などで彩られている。とりわけ、行軍の頻回には、「余は炎暑中の(十里余りの)行軍は今度は初めてで・・・非常に困難した」(p21)と珍しく弱音を吐いている。ところが甲午農民戦争を契機に日清戦争が開始され、彼は、敷島の和歌の顰に倣って決死の和歌を認めている。君の為 今ぞ死ぬ身を 思いしに 又故郷の花を 見るらん」これは、本居宣長と「抜刀隊」等の軍歌の合作と思われる。この時代、明治政府は「君が代」や軍歌の創作によって忠君愛国思想の注入に努めていたのである。とりわけ、日清戦争前後には、軍歌は盛んに作曲され、「敵は幾万」は最も広く唄われて、「抜刀隊」と併せて明治を代表する軍歌となっている(Wiki)。また、後者は、以降自衛隊の現在まで、一貫して軍隊の行進曲として通用している(『日本の詩歌』別巻日本唱歌集、園部三郎、中公文庫)。園部は、「これらの(つきつめた気持を表現した)軍歌の大部分がもっていたヨナ抜き五音長音階は、その後の歌のほとんどすべての基本音階となった」(p63)という卓越する見解を開陳している。 

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2018年9月19日 (水)

日本社会の肉腫

2018091711270000 自民党の総裁選なぞ、何の関心がない。どいつもこいつも、シンジロウにも何の期待を抱かない。それどころか、幼少期から田英夫や古谷綱正(ともに戦争体験者)の「ニュースコープ」を毎夕かぶりつくように視聴していた自分にとって、ベトナム反戦運動や安保・沖縄・大学闘争と三里塚闘争が身近の現実と比考して、中学生期には政治意識を涵養されたのである。当時の世相は、政治参加が当たり前だったのであり、今日での保守的に馴致された大学人や職業人とは無縁だったのである。選挙年齢に到達してからは、棄権もあれば、投票しても自民党には一票も投じたことはないのは道理である。「自民党は、社会保障や貧困対策には熱心でなく、労働の規制緩和を進めたり、富裕層の減税を繰り返すなどして、長年にわたり格差拡大を放置し、むしろその拡大を促進してきた政党である」(橋本健二『新・日本の階級社会』p38)からだけではない。橋本教授は、自民党が特権階級や富裕層の特化した階級政党になったと析出し、リベラル派の結集を訴えているのである。しかしながら、自民党は、一貫して、戦前の戦争責任を免じて戦犯どもの巣窟となり、経済の側面から国民を篭絡してきた政党である。全く反省していないのである。この政党は、常に政財官界などに勢力を維持して、民主政治を方便にして国民を支配する寄生特権層である。そして今や、富裕層やネット右翼の巣窟となっているのである。ほとんどの調査や選挙では、話半分なのであって、約2割ほどの(他の保守政党を加えれば高々3割)支持者から成り立っていることは明らかである。つまり、旧来から支持している地方富裕層、都市の特権層と富裕層、および勘違いしているネット右翼等のカルト化した集団である。当初から、ネット右翼とは勘違いした中間層であると見ていたが、それは正しかったのである。「奴隷のくせして主人のまねごと」をしているだけなのである(栗原康)。自民党の勢力は、地方から都市の特権階級(世襲議員を始めとする)と富裕層へと変遷しているのである。アベは憲法改悪を謳い、イシバは「国家・国民」を開口一番とする右翼であり、シンジロウは、超帝国の要求を汲む新自由主義者である。どいつもこいつも日本社会の肉腫なのである。自民党は、「階級政党」どころか、とどのつまり、「極右政党」に終着するのである。

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2018年7月29日 (日)

酷暑と「維新」の影響

2018072710120000 38日目の田園風景である。今年の夏は異変である。熱波のために自作野菜がよく育たない。日照りのために萎れたり、枯れたりするものが続出し、収穫物が少ない。弱った枝葉を食いちぎる虫害も見られる。さらに、虫たちは暑さのために土に潜って根を弱らせているのではないか。既に、果樹農家では日焼けの被害が報じられている。酷暑のために白菜・セロリ・レタスの生育が進まず、需要期のスイカ農家は果皮の日焼け対策に大わらわだそうである。「さわやか信州」でも、軽井沢が最高気温30度越えになっているのだが、高級リゾート地には全く関心がない。西日本の産地野菜が品薄状態であり、長野県下では、酷暑に加えて少雨という天候もあって、お盆にかけて更に高騰するということである(以上、『信濃毎日新聞』紙面より)。マスメディアの天気予報は猛暑→熱中症という高温報告にとどまって注意勧告しているばかりで、その社会的影響を少しも報じていない。こんなところにも人間中心主義が徹底されていて、憤慨するのみである。これもまた極右政権という人災に逢着するのである。西日本豪雨だけでなく、今回の台風12号でも休養するそうである。かの腐敗した最高権力者は、気が小さいくせに虚言を弄して内実は何もなく、結局何もできずに「地位に恋々として」三選に狂奔しているのである。何もできないし、しようともしていないのである。吉田松陰を始め、長州・山口県の馬鹿さ加減には辟易している。まだ明治を引き摺っているのである。

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2018年7月15日 (日)

稲の分蘗を見て

2018071509230002 記録によれば、田植えが6月17日だから、今日は28日目。最高分蘗期はおよそ定植後60日だから、幼苗はぐんぐんと伸びている。もう少しで青田になり、そよぐ風に枝葉を靡かせるだろう。9時過ぎなのに、噴き出る汗をタオルで何度も拭いながら畦回りをして成長の具合を観察するのである。気の早い隣りの田んぼは、中干し後の水入れを開始してもいる。気候が早まり、何事も早め早めになっている農業である。だが、生来の怠け者である自分は、他の仕事をこなしつつ、遅れ遅れの農業になってしまっているのは否めない。畑作業は思うようにならないが、絹サヤやピーマンなどの世話が何とか間に合っている始末である。
 西日本豪雨による災害では、知り合いの安否は確認できたが、極右政権の弛緩は止めどもないことになっている。西日本は東日本と異なり、土が重たく赤土が多いために土砂災害は甚大となる。また、日本の河川は急流なので、巨大地震災害と並んで、豪雨対策は国を挙げての取り組みが緊要なのである。気象庁は重大な事態を警告したにも関わらず、「赤坂自民亭」なのである。これに対する批判は、ある意味では正しいのだが、マスコミが恐る恐る報じるようになっているのだが、「宴会」批判は本質ではないのである。むしろ、この悲惨な状況を政権浮揚に利用していること(ショック・ドクトリンこれも)を周到しておかなければならないのである。実は、明治維新もそうだったのである。「志士」どもは、非常事態を利用し、自分たちの利害のために興国論や覇権論、軍事大国化に成り下がって敗戦を準備しただけだったのである。西郷隆盛や坂本龍馬などは徹底的に斥けなければならないのである。三島由紀夫のカリカチュアも然りである。2020年のオリンピック開催は、2011年から始まる第二の敗戦を告げる晩鐘となるだろう。この豪雨被害と同じような事態の最中にオリンピックは敢行されるのであるから。悲惨の事態に遭遇して初めて日本人は決起できるかどうかが要なのである。そのような認識が、稲の分蘗ように、全国津々浦々に遍満するかどうかが問われているのである。

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2018年6月24日 (日)

女たちの戦争責任

2018061909060001 田植えは17日の午前に終了する。が、補植ができない。多忙の為、体力保持のために休むのであるが、自然は待ってくれない。この間に、高群逸枝の『娘巡礼記』(岩波文庫)や渋谷定輔の『農民哀史から六十年』(岩波新書)などを繙読している。しかしながら、年々歳々、愚鈍の頭は益々固陋になって、殆ど機能しなくなっている。それでも生きなければならないのである。研修や会議などで事なかれ主義を決め込む自分に愛想を尽かす日々である。
 満24歳の若き高群は故郷・熊本を後にして、半年間の四国遍路の旅に立つ。頃は、1918年6月、大正デモクラシーの全盛期でもあり、直後には、シベリア出兵や米騒動など、国内の戦時体制化と階級闘争とが激化しつつある時期である。
    おどろかじ 疑ひもせじ 世の中を
    さみしく独り 旅ゆくわれは
 巡礼の動機は、「あとがき」によれば、どうやら人生の煩悶と恋愛問題らしい(これにはあまり関心がない)。若き女の巡礼姿は奇怪と好奇の眼に晒されるのだが、当時の世相と人間模様が見事に描写されている。貧困と絶望にある庶民の姿である。他方、高群の観念的な思考は、その時代の青年層に特有のものである。その乖離が掻痒の感を覚えるのである。結果として、高群の母性主義が「聖戦」として侵略戦争に加担してゆくのが残念なことである(これ参照)。されど、24歳の自分を思い返すと、恥じ入るばかりである。
 
 

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2018年6月 5日 (火)

梅雨入り前に

2018060218320000 明日にも梅雨入りする気配である。ひと月以上、ブログとはご無沙汰である。農事が始まり、あれこれと手配と実働をしなければならないのだが、今年は事情があって、人生残り少ない(?)時間を割かれているのである。日本が壊れてゆくのを斜に構えながら眺めることも乙なものである。全てが可笑しい。意味もない野球が嫌いになって久しいが、大谷がどうのこうのとスポーツニュースがやかましい。ワールドカップ・サッカーに向けてのピークアウトした人選で何ができるのか。アメフトなぞ、本来選手を駒としたスポーツじゃないか。国民栄誉賞を貰って喜ぶ、お目出たいスケート選手、軽蔑あるのみである。大体、スポーツで激励、なんてとんでもない驕りであり、噴飯ものである。アベによる国家の私物化や政・財・官・学・法曹・マスコミ・芸能・スポーツ等の腐敗と無力化、大いに結構である。笑いが止まらない。文書改竄どころでなく、国の最高法規も改竄されるとあれば、日本国終了となるのである。なあーんだ、みーんな愚か者ばかりじゃないか。いいぞ、いいぞ。鯛は頭から腐る、というのは本当だな。嘘つきはアベの始まりということで、社会そのものが虚妄と化しているのである。子どもに嘘をつけ、開き直れ、という道徳を教え込むアベとアソウである。自民党は極右政党であるが、政治・外交の無力、財政赤字の垂れ流しと国民への責任転嫁、国家の私物化が席巻している。これに3割弱の国民が悪乗りしているのである。誠に喜ばしい限りである。しかしながら、アベとアソウは死ぬまで辞任してはならない。中途半端はダメである。どこまでも零落してゆかなければならないのである。誰にも相手にされない程に奈落の底までお付き合いしなければ、人々の理解を得ないのである。次期首相は大変だねえ。全てを入れ換えなければならないのである。もう一度の敗戦を処理しなければならないからである。あの敗戦時以上に、政治責任を国民総体に問わなければならない大事業(真の革命)の責務を負うのであるから。半世紀ほど前に、安保・沖縄闘争や大学闘争で問われたことが現代に蘇っているのは確かである。

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2018年4月28日 (土)

近代日本の科学技術への「総括」

33706317 さすがは元東大全共闘代表である。論旨明快である。資料を渉猟するだけでなく、安保・沖縄闘争や大学闘争において突き付けられたのであるが、放置されている諸問題についての言及もなされていて、大変な労作といえるのではないか。近代化した日本の150年を問うているのである。このことは、多くの人士によって認識され、論及が急増しているのである。例えば、ある高校の日本史の授業では、学習プリントが出題され、大テーマとして「日本の近代化はどのように行われたのか」が問われ、そのための視点として、「なぜ、日本は近代化に成功したのか。その過程で失ったもの、犠牲にされたものなど問題点は何か」と提示されている。また、「最近、『明治維新はまちがいだった』という本や、『家康江戸をつくる』という本が話題となっている。これはなぜか」と補足している。山本の岩波新書は、序文で要点がほぼ語り尽くされているが、重要なのはその論証である。日本語や日本の学者に特有な曖昧模糊とした論説が多い中、山本の記述は一等鮮明である。今年も春の叙勲が内閣府から発表されているが、スポーツ選手やら芸能人など、若いうちから勲章にイカれるようでは話にならない。思想信条が問われているのである。貰う方も貰う方であるが、山本にとっては、それらを遙かに凌駕する業績となるのは間違いがないだろう。本当の仕事とは、こういうものなのである。
 今年の春は目まぐるしいほどの忙しさであり、ゆっくりと鑑賞したり、リラックスができないことである。街路樹や庭木では、もうハナミズキが満開を過ぎているのである。種蒔きを始め、農事を急がねばなるまい。

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2018年3月23日 (金)

曲学阿世の国史学

33565344_2 講座派と労農派との日本資本主義論争は、1930年代前半に生起したのだが、この論争は30年代後半には国家権力の弾圧によって強制終了させられた。この論争は、究極的には、左翼論客による日本の革命戦略をめぐるものであって、戦後になっても決着を見ていないと言えよう。敗戦後の歴史学においては、昭和史論争、ファシズム論争、そして「革新」派論から総力戦体制論へと展開しているのである。昭和を睨む歴史学者の面々は、戦争を体験したり、証言した世代から記憶と記録の世代となり、もはや歴史資料を渉猟して考察するしかない現実となっている。だからが故に、巷間では虚偽の歴史観や歴史本が幅を利かせ、書店の店頭やネット上に溢れ返っているのであるが、この主要因は歴史学者のだらしのなさの故なのである。彼らは政治家などの日記や天皇実録などの第一史料を漁ってばかりいるのであるが、それらへの批判もなく政治史中心の歴史を把握して通史を論述しようとするものだから、結局、気の抜けたサイダーのような歴史記述となってしまうのである。
 さて、総力戦体制論は、敗戦の前後の連続性を強調するものである。学生時代には、単位取得のために参考図書として、山之内靖の『マルクス・エンゲルスの世界史像』という出世作を精読したことがあるが、当時の東大では疑似マルクス主義者による学問が席巻していたのである。そして海外の学問の成果を吸収して、それが恰も自分が編み出したものとして取り繕う曲学阿世の学者ばかりだったのである。そんな連中が唱道し始めたのが総力戦体制論なのである。ならば、日本の歴史、特に日本の近現代史を読み解く場合、一体何が必要なのかを次回に詳述してみたい(続く)。

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2018年3月 7日 (水)

軍部の台頭と近代天皇制

33559108 この巻では、「憲政の常道」の時代から軍部主導の「挙国一致」内閣の時代までを取り扱っている。次に続くのは近衛新体制の時代であり、結果的に国家的破滅に収束するのである。憲政の常道とは、第二次護憲運動によって成立し、五・一五事件によって崩壊した政党内閣制である。多数議席を獲得した政党が内閣を組織するという政治的慣例である。決して法的拘束力がある訳でない。裏を返せば、明治の「元勲」が鬼籍に入って藩閥・超然内閣への飽きからくる大正デモクラシーによる精華というべき慣例であったのであるが、実態は西園寺公望(唯一生き残った元老)の首班指名に基づいて天皇の大命降下という方法に拠っているのであって、元はと言えば、「大日本帝国憲法には、首相決定のルールが定められていない」(p4)のである。明治憲法は伊藤博文が中心となって井上毅らが起草したと言われているが、これがまた、出鱈目な憲法なのであった。天皇、天皇、天皇・・・と天皇親政を謳い(欽定憲法)、その大権を規定しているからである。だから、著者はエピローグで天皇制と明治憲法に逢着せざるを得なかったのである。言うまでもなく、統帥権は天皇の大権であり、内閣(行政)からは独立していたのであり、軍部は天皇の不可侵性または神聖性を盾に権力介入から伸長へと進展したのであった。これには、腐敗した政党・財閥勢力や明治以来の天皇制に洗脳された臣民意識という少なくとも40年以上にわたる歴史背景があったのである。「戦争が廊下の奥に立ってゐた」(渡辺白泉)という俳句があるが(この句の戦争とは憲兵の意であるらしい)、戦争は少しづつ浸潤し、段階的に一気に進捗するのである。軍部が国家権力を掌握して侵略戦争に敗北した責任は、当然の如く、近代天皇制にもあるのであって、ここで戦争責任問題にもなるのである。戦後に成立する「日本国憲法」は、大日本帝国憲法に基づいて帝国議会で承認され、枢密院の可決後、天皇の裁可で公布されたのであるが、ここで注目したいのは、戦後憲法でも天皇制は生き続けているということである(法的継続性)。天皇制問題は、決してタブーとするのではなく、戦争反対を貫くためにはこの問題を避けて通れないのである。著者が最後の一文で、「近代天皇制が、政治統合の主体としての実質的な機能を依然として封じ込められる一方で、国民統合の象徴としては無制約に解き放たれていく、そうした時代でもあった」(p241)という指摘は、現代にも生きているのである。

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2018年2月 9日 (金)

大正日本の正体

33537432 大正時代の日本について論じるのは、非常に気後れを感じる。なかなか一概に論じることはできないのである。この巻は、大正期を国際化時代という視点から立論して、概ね成功していると思われるのだが、歴史研究者によくあるように、政治家どもの暗闘史観によってその時代をイメージするのでは、どうしても不満を覚えてしまうのである。元老や政党政治家による権力闘争の分析に終始して、大正デモクラシーへの言及が過少であり、置き去りにされているのである(著者は殆ど大正デモクラシーという用語を使用していない)。そもそも、明治、大正と元号で(一世一元制度)時代を考究することに疑念がある。明治維新以来の天皇制イデオロギーの支配に屈することになるからである(これは現在でも支配的なイデオロギーである)。また、階級闘争史観からの歴史本は、多々存在しているように錯覚されているが、殆どないのが実状であって、ほぼ天皇制もしくは国民国家の視点として上梓されていると断じてよい。国民国家というイデオロギーもまた、はぎとり難いほど浸透しているのである。
 さて、大正時代は、大まかに概括すると、護憲運動に始まり、普通選挙を引き換えに治安維持法の成立に終わる。対外的には辛亥革命や第一次世界大戦、ロシア革命などの影響を受け、対内的には政党政治と社会運動という大正デモクラシーに彩られている。著者の言うように、立憲主義から民本主義へと「都市の民衆が政治的主体という時代が始まった」(p208)とも規定できるだろう。しかし他方で、自立・孤立と国際協調との対立項で迷走しながら、対華二十一箇条要求に見られるように、満蒙の権益を死守するだけでなく、中国侵略への衝動も底流に流れていたのである。老壮会、猶存社、行地社などの右翼結社が次々と結成され、高畠素之や上杉慎吉(東大教授)等は、国家主義的団体を創始しているのである。三度にわたる対外戦争に勝利した帝国日本は、ナショナリズムの激しい坩堝に入り込むことになった訳である。1925年の治安維持法の制定は、大正デモクラシーを根絶しにして、軍部や右翼団体の台頭を招来するものとなり、大正時代の終着点なのである。そういう意味において、大正時代は、アジア・太平洋戦争の敗戦を準備した時代とも定義できるのである。特筆すべきは、関東大震災に乗じて、国家に反逆した大杉栄や伊藤野枝等が、国家(憲兵隊)によって惨殺されていることである。この甘粕事件亀戸事件に憤激した難波大助は虎ノ門事件を惹起し、ギロチン社や労働運動社のアナーキストたちは大杉の復讐を誓ってテロリズムに走っている。これらもまた大正末期の事柄である。明治維新によって創造された天皇主義国家は、依然として日本を覆い尽くしているのである。大正時代は、一方ではデモクラシーの時代でもあり、他方では「抑圧・圧制の時代」でもあったのである(これ参照)。
 

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