農業・農事

2017年7月21日 (金)

写真集を読み解く

2017072111410000 兎に角暑い。冷涼な信州である筈であるが、朝から気温がぐんぐん上昇して、日中は家内で過ごすこととなるのだが、正午前に所用の帰途、田んぼに寄ってみた。分蘖途上でいよいよ中干しに入るのだが、これが難しい。隣の精農家の田んぼは中干しに入っている。教科書によると、最高分蘖期で田植え後60日である筈なのだが、様子を見ながら経験を重ねる他はない。畑では、それなりに収穫できているのだが、シソの葉の栽培は失敗して、直売所で購入して、本日、白梅酢の上に投入した。梅漬けではなく、梅干しの作業は続いているのである。後は天日干しである。年金だけでは到底生活できないので経済活動をしなくてはならないのであるが、田畑の見回りをしながら様々に思念していることである。今年は野菜の生産を中心として工夫しながら栽培している。
201706191642214388 いき出版のこの写真集を一つ一つチェックする。解説はどうでもいいのだが、写真が語る昭和の分析である。漸く、高度経済成長のまでに至りついたのだが、この所、身心だけではなく、脳の方も呆けてきて、寄る年波は如何ともし難い。理解できたことをメモ風に書き残しておく。
①大正時代まで脱穀は千歯こきを使い、昭和になって足踏み脱穀機を使用し始めた。大正時代まで、江戸時代そのものの農業であって、手作業の稲作が慣例であった。
②キャベツの栽培は戦前にも行われ、甘藍(玉菜)と呼ばれていた。
③養蚕王国・信州の端緒は江戸時代初期であった。
④戦前は国民服と割烹・モンペであり、戦後になって若者から始まって洋装が広まった。
⑤戦後、歌謡と演劇の青年団活動が盛んであり、生活改善と農業技術改良から、菅平硫黄鉱害反対運動浅間山米軍演習化反対運動へと政治化したが、青年の都会流失によって運動はやがて消失した。
⑥昭和30年代には、養蚕・畜産・果樹などの複合経営であったが、機械化の流れの中で、耕運機や脱穀機などの普及したのであるが、所得格差の拡大によって農業は衰退の一途をたどることとなる。以上。

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2017年6月30日 (金)

悪魔の正体

2017062917310000_2 夕方、田んぼの水入れをしようとすると、思わぬ西山からの激しい驟雨のために、全身ずぶ濡れになってしまった。午前に、嫁さん孝行しようとお出掛けした後、暑さを凌いでの午睡後に馳せ参じたところである。水田が湛水できて喜ばしいことなのだが、パンツまで浸透して、大慌てで帰宅。すべて更衣する程の雨脚だったので、今日はこれにて農作業は中止と相成った次第である。雨雲が空を覆い、水田に雨滴が激しく降り注ぐ天候で、山が霞んで見える。風の具合を見ながら一回限りの除草剤を散布するタイミングが取れない日々である。
 先日、信毎を開いていると(共同通信提供)、全国の土地の2割(38万㎢×0.2=7.6万㎢=760万㏊)が所有者不明というニュースを目にした。九州の面積を上回るという。都市化、少子高齢化の波の中で、耕作放棄地を始め、農地の転用など、土地への執着力が減っているのだろうが、恐らく、荒廃農地は耕地面積440万haの内、30万㏊を既に超えていることだろう(国土に占める農地の割合は約12%であり、欧米のそれは5割前後である。日本の森林面積は約66%であり、いかに日本の国土が森林で覆われていて、農地としては利用制限と限界があることが分かるだろう)。したがって日本の農業は、海外のような大規模農業が絶対不可能なのである。農地集約による小規模化(日本の農家の殆どは零細農家である)が精々のところである。北海道農業ですらアメリカ農業の二分の一程度の規模なのである。日本の農業をどうするのかという岐路・選択が厳しく国民に問われているのである。
 その問題以上に切実なのが、科学技術の劣化の問題である。タカタや東芝などの企業の落城がそのことを象徴している。情報産業化への流れを見誤り、基礎科学の軽視などが考えられ、理工系の学生・研究者が日の目を見ずに置かれて、役立たずの政治屋や企業家や文系出身者やスポーツ・芸no人などの報道ニュースで覆いつくされている。アベ夫婦を始めとした政治の私物化はその最たるものである。神戸「正論」懇話会では、かけそばチェーン店を全国展開すると絶叫している。身内の中でしか説明できない小心者である。その昔、泉南地方を行脚したことがある。同じような建売住宅が居並んでおり、一様に犬を飼っており、一様に青い新聞入れがエントランスに括り付けてあって、その景観に戦慄を覚えたことがある。京阪神・和歌山では少し安価な、その新聞の購読者が多いのである(関西地方のニュースをよく見ると、その映像が屡々目にするだろう)。その新聞とは、産経新聞のことである。アベもまた、この御用新聞を精読していることだろう。他方、東京はと言えば、「都民ラストの会」=第二自民党が喧しい。大都市は増々腐臭を放っているのである。

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2017年4月 4日 (火)

闇市派の農業論

33568994 野坂昭如は、2015年の年末に黄泉に旅立っている。この刊本は、焼け跡闇市派として、農業に関して、(特に都市生活者の)日本人に対する、歯に衣を着せぬ警世書である。アベ・日本政府が掲げたTPP法が、トランプ米国大統領の出現によってあえなく潰(つい)えたのだが、今後は日米による二国間貿易協定(FTA)へと推移してゆくことなるだろうが、これは日本の農業の崩壊に直結する問題である。野坂の論旨は、タイトルにあるように極めて明快である。農業に関しては、この本の中で、興味があったのは三点ある。一つは、彼が都市生活者の思い上がりを指弾していることである(p105~118)。都市生活者には「農民を切り捨てる考え方がひそんで」おり、「今の農村、農民のおかれている、いわば八方ふさがりの状態は、都市にすべての原因がある」として、一度飢えてみるしかない(p154)と直言している。現代の市場主義経済、もしくは新自由主義経済とグローバル化の淵源は前川レポートである(これも参照)。そして第二に、この前川レポートを指針とする中曽根内閣は、土光敏夫を財界から引っ張り出して第二臨調会長に据える。その結果が、民営化と規制緩和に邁進する、その「土光が始めた悪魔の原発事業」である。その国策に従って、東芝は非情な経営危機に至っているであるが、この野坂の刊本には、土光との喧嘩対談が掲載されている(p56~80)。1975年の頃だから、土光敏夫は経団連会長(=財界総理)として辣腕を振るい始めた時期である。ところが、この対談を熟読すると、農業に対する土光の無知が暴露されているのである。彼は肥料仲買商の次男として岡山市の近郊に誕生して、都会に出て技術者として出世街道をひた走るが、「中学までは親父を手伝って百姓やっていた」というが、これは少し怪しい。嘘が混在しているのは権力者のやり口である。土光の発言の中で、「農村問題としての面から見ると、いまはもう地域社会というものが破滅してしまっている」(p58)という一点のみ首肯するのであるが、その問題を何ら追及しようとしてはいない。解決策として、効率的な農村ができるように農業基盤の整備をして、その地域に工場などをミックスさせるという、ありきたりの提唱をするだけである。何のことはない、形を変えた日本列島改造論である。「めざしの土光」、「無私の土光」と称される人でも、言い訳と開き直り、自負と自画自賛で対談は終了している。第三に、何と野坂はこの川中島平を訪問して、講演と、農業婦人三人との懇談をしているのである(p119~130)。

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2017年3月15日 (水)

改革は地方から

2017031511590001 冬越しした玉葱の苗が、寒さを乗り越えて残っている。黒マルチした玉葱の半分は生存できなかったが、籾殻で覆った玉葱は、健気にも三分の二弱は生き残っている。信州の冬は、積雪が問題ではなく、むしろ内陸性気候の大地の寒さは半端ない。氷点下が当たり前の如月の寒さを凌いで生き残るその生命力には感嘆するより他はない。籾殻の威力を改めて認識することとなった。昼前に、田畑の様子を初めて観察するために出かけた休日である。そして、抜けのある個所の補植である。半世紀前の川中島平では、寒さに強い麦作が当たり前なのであったが、現在では所々でしか眺めることができない。それほど、自然は一面では過酷なのである。したがって、農業は経済成長とは無縁なのである。農業の構造改革が一部で叫ばれ、成長産業化に腐心する政府の目論見は必ず失敗する。自然と風土を無視する政策は、大地と人間(文化)を殺してゆくのである。農業は人々に安定した食料を供給するのが使命なのであって、成長戦略などまったく無用なのである。それを切り破ると、土地の荒廃、資源の簒奪と枯渇、生態系の破壊、農業産業の棄損などの負債を負うばかりで、むしろ農業そのものの破壊となるのである。よく、日本には資源がないなどと脅迫する輩が跋扈しているが、むしろ、日本ほど資源豊富な国柄はない。自然と気候、土地と人民の存在である。有害な人間が政治や経済やマスコミや芸能界などを領導しているのであるが、これがいつまでも続くようであれば日本も消滅を迎えることとなるだろう。しかし、それでも生き残らねばならない。豊洲と森友問題など益体もない問題で大都市は腐臭を放っているが、改革はむしろ地方から勧められなければならないのである。だから、洗脳としての在京キー局TV番組は、今では、ニュースですら見ることがない悠々自適な毎日であるが、こんな田舎にも、昼過ぎの二回、オスプレイの往来を仰いでしまったのである。米軍横田基地と関山演習場とのそれであろう。沖縄の人々を苦しめている常在戦場化が少しづつ進んでいる様である。

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2016年12月21日 (水)

農業崩壊の原因と理由

32384845 こういう児童書を読むと、概略を掴めるので至便なこともある。児童向けであるから、読みやすく分かりやすい。しかし、結構な値段であるので、どうしても図書館で調達することになる。しかも、図書館の農業陳列棚は、ごく一部の狭小分野を取り扱うものや、市場経済学者による、日本の農業を破滅するための類のものや、家庭菜園向けの野菜関連のものが多い。しかしながら、知りたいのはそういうことではないことが少なくないのである。それは、農業分野に限ってみれば、農業技術や技能は工業とは異なり、自然や地域性によっても左右するだけでなく、農作物の仕立て方が各人各様なことから、継承性という点で、相当の困難に直面しているのである。実際問題、その技術は、ほとんど農業後継者に伝達されていない。しかも、篤農家は激減しており、喫緊の課題となっているのである。日本農業の衰退の理由は、むしろそれが主因なのであるという指摘がある。果樹農家が卑近にも多いのであるが、彼らは寡黙であり、精農家であるために、そうそう伝授してくれるわけではない。また、高齢化と後継者不足のために(この半世紀の間に、農家戸数は3分の1以下になっており、恐らく、既に200万戸を切っていることだろう)、離農や兼業化してしまった家々も多く、住宅地が混在してしまって(里山の消失)、農業を継続する環境でなくなりつつあるのが現状である。TPP問題は、単純に農業や農協つぶしという訳ではなく、金融部門を狙い撃ちしているのである。要は、協同性を破壊して株式会社化することであり、目的は、経済・信用・共済事業の資産を総取りすることなのである。そして、農協は農業生産のための営農指導のみに特化せよ、というのである。これでは採算が取れなくなるというものである。小泉の息子は、三浦大根も農業も知らないネオリベラリズムの大根役者なのであるが、ど素人が自民党農林部会長というのだから笑わせる。経歴が、やはりというべきか、あのアメリカの「名門」コロンビア大学院で特務機関の教育を受けて修士号を取得したということだから、親父共々、胡散臭い政治屋なのであり、親米派であることを押し隠していないのである。こういう輩どもが農政に関わること自体が農業崩壊に拍車をかけているのであるが、かてて加えて、都市消費者の味覚劣化と無関心が棹差しているのである。

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2016年11月 4日 (金)

亡国の論理

33145982 「結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」との妄言は、TPP衆院委員会で強行採決することで嘘だということが満天下に明らかになった。嘘が平気でまかり通るということは、青少年の気性を毀損するものである。「道徳教育」を推奨するものが、平気でだまし討ちをする(想定内の)政治状況は殆ど「お笑い」の次元であり、自民党とは党名そのものからして自由と民主主義とは全く無縁なことは、当の昔から周知の事実であったのである。そして、この事態もまったくもって予想した事態なのである。羊頭狗肉とはよくぞ例えたものである。お笑い草である。政党政治への不信、これが侵略戦争の主因であった。それに代わったのが軍部だったのであり、その淵源は天皇制を利用した明治政府であり、右翼テロと裏切りの長州藩なのである。いい加減、歴史学者は目を覚ましたらどうか。福島原発人災の張本人が首相の地位にあり、TPPや東京オリンピックの主導者であり、日本国を破滅に導いていることは、勿怪の幸いである。何期でも宰相を継続するがいい。「小出し(小池)劇場」などは流れにさおさすに過ぎない。何の影響もない。両者とも四面楚歌の中で討ち死にしてもらいたい。どんどん「活躍」してもらいたい。日本がアメリカや中国やロシヤの属国であってもどうでもよい。日本国がなくなればよいのである。また、彼らの妄想するサザエさん一家は藻屑の中に消えてしまったのである(これも参照)。

 残り蚊を 叩く勇気や 萎え果てて

 そんな日本の政治状況はお構いもなしに、今日は快晴の天候であったので、玉葱の植え付けをしました。里山は色づき、空気も清涼である。研究のために、近代農法の黒マルチの畝ともみ殻マルチのそれを併置して試行してみた。虫の気配が少ない中、畝を立てて苗を床に据える。コスモスと枯草だけが畑の中で見守る。それでも、人は生き延びなければならないのである。

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2016年9月 9日 (金)

見極めの困難

2016090907110001 今朝、田んぼの様子を見ようと自転車で向かい、眺めると、大分、畦に雑草が繁茂している。水加減やキラキラテープの補正や雑草を少々刈り取っていると、隣の田んぼのおやじが遅れてきて、二連の稲刈り機を始動していた。挨拶をして眺めていると、穂一本残さないように見事に稲刈りをしていた。おやじは上農の農家である。雑草など、どこを見ても蔓延っていない。もち米は早々刈り取ってある。刈り取りしているのはうるち米である。嫁さんは朝の家事なのか、いない。黙々と稲刈り機を操っている。おやじの田植えは確か6月5日だから、今朝で96日目の稲刈りである。品種はコシヒカリで間違いない。種蒔きから田植えまでは大凡一か月位であるから、種蒔き後、126日程での収穫である。少々早いんでないかえ、と思うが、農協や県の農政部のお触れでは、夏の高温障害のために成長は早く、胴割れ米や品質劣化防止のために、稲刈り時期の前倒しを奨励している。隣のおやじは専門家であるからして、稲の具合の観察力に間違いはないから、他品種ということもあって、わが家の稲刈りは10日ほどしてからの20日以降ではないかと予測している。もう一つの目安は、出穂後から50日までの胴割れ米と青米防止という基準であるが、出穂は、教科書的には8割と記述されているが、農協の講座によれば、5割の出穂ということである。記録によれば、我が家の出穂は8月17日(5割)であるから、今日で出穂後23日であり、結局、9月26日から10月6日での稲刈りとならなければならないということで納得した今朝である。それにしても、隣のおやじの稲刈りは早いと言わなければならないが、出穂後40日と考えるならば、あるいは、稲架かけ米であることと高温障害ということを考慮して、35日と考えるならば、おやじの稲刈りは適期なのかもしれない。いづれにしても、うちは9月最終週となることは認められたのである。

 虫の音や 老ひて机に 積読す

 稲刈り適期の見極めの困難と比べれば、この国の首相と東京都知事のやることなすこと、すべて、予想通りであり、見極めの容易な政治屋である。この国で生きているのが嫌になるほどである。しかしながら、人は決して国を憂いてはならないのである。

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2016年7月13日 (水)

中沢正弘のこと

33403585 今月初めに逝去された中沢正弘氏を振り返るために図書館を訪ねると、年度初めに、こんな作品を著していたのに驚いて借用した。恐らく、集大成の絶筆であろう。彼の小説には風という言葉が付き纏っている。タイトルでは『風に訊く日々』がそれであるが、文章の中でも度々見かけることが多い。そしてこの三部作の中では、「人間があれこれいると、いろいろな風が吹く」(p124)とある。無論、自然にある風のことではない。それは押して知るべし、ということだろうが、ここで彼のために来歴を記してみたい。前書き推薦文を書いた日本農民文学会会長の野中進と、後記の解説をした崎村裕に詳しいが、もう一度、概略を明らかにすることとする。中沢正弘(1933~2016)は、農村不況が吹き荒れる1933年(昭和8年)に出生し、この辺りの農民の子弟が通う更級農学校(現・更級農業高校)を卒業し、果樹栽培を中心とする典型的な専業農家を営みながら、二十歳前後から小説を執筆し始め、阿部知二との知遇を経て地道な著作活動を続けたのである。「新しき村」に関わった父親の薫陶を受けて、農業経営の傍ら、農民と農村の有り様を基底にしながら、それを作品化する文字通りの農民文学であったと言えるだろう。しかしながら、農民と農業を取り巻く環境はすさまじく過酷である。世界的な経済成長神話がある一方、国家的規模の破綻が具現化し始めて、人類存亡の危機が到来しているのである。離農・離村の過疎化に伴って「限界集落」という言葉が生まれている。これは村落共同体だけのことでなく、都市部の中にも現出しているのである。国家なぞ消滅しても構わないが、人は人としてやめる訳にはいかない。生きてゆけないからである。この本では、中沢は後書きを付け足しているのだが、それには「健気(けなげ)に生きる山村の人たち」(p169)とある。文明の衰亡と萌芽にある今の時代の有り様を凝望する文学者として、彼の実直な眼差しが光っている。中沢はまた、「もう血縁頼みの時代じゃないわなあ」と一人の登場人物に語らせている(p63)。こういうことも含めて、いろいろと聞きたかったこともあったが、新聞のおくやみ欄を見ながら、彼の訃報を悼む者である。

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2016年7月 3日 (日)

おいこら自公

2016070211440000 分けつ期に入り、加速度的に稲は大きく成長してゆく。しかしながら、日本は崩壊に向かって収斂して行くばかりである。参院選挙は改憲勢力に有利という報道がなされているが、ここが岐路である。後世になって、人々は気が付くこととなるだろう。一人区である長野選挙区は、政権党には重点地区らしくて、時の首相が3度も訪問して、「落下傘候補」と野党統一候補を非難しているが、そういう自分たちが都会育ちの二世・三世議員の落下傘候補なのである。そればかりか、日本人の生命と財産を守ったこともなければ、政党助成金や年金や政治資金など税金を詐取するトンデモナイ勢力なのであるが、石も卵も靴も投げつけることをしない日本人であれば、また、投票を棄権する日本人であれば、奴らのしたい放題なのである。もう日本は戦争国家化の完成期になっているのであり、いつでも戦争ができる状態なのであり、改憲は目前である。いな、改憲など必要がないと言えるだろう。だから、アベコベミクス(経済)一本で選挙戦に打って出ているのである。結果、悲劇ではなく、喜劇が演じられようとしているのである。

 家族が見ていたクイズ番組で、やはりお笑い芸人司会者が、ひな壇芸人一堂に向かって、「答えられなければ地方に飛ばすぞ」という差別言辞で笑いを取っているのを一瞥した。地方は怒らなければならない。政権党に投票などしている場合ではないのである。ましてや、TPPには翻意して地方と農業を全滅させようとしているのである。地方は「都市に奉仕する肥し」になっているのである(宮本常一)。「お維こ等自公」と怒りの声を挙げなければならない。棄権は自らの権利を放棄するばかりでなく、年金・拉致・財政赤字・社会福祉・経済格差などの問題について、何一つ解決できない政権党への信認を意味するのであって、これこそ奴らの望むところなのである。換言すれば、嘘と詭弁と虚偽に満ちた政権党は、それ程、どん詰まりの危機に陥っているのである。

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2016年6月16日 (木)

芸no人 右傾の政治に 竿をさす

2016061018540001 10日午前に代掻きを終えて、11日午後に田植えを完了。私事が加わって、多忙な毎日であった。が、世相はマキゾエ不信任コールで、狂態を呈しているようである。公金・税金の公私混同など、「まともな」政治家であれば常識である。でなければ、政治家なぞやってられないのである。自公の支持があっての都知事だったのであるが、これには何人も疑問を呈さない。それに、あまり(甘利)にも酷い収賄事件はどうなったのか。マスコミの袋叩きによって全国民まで巻き添えにして、辞任まで要求する始末であった。たかがテレビのキャスター如きがマキゾエ辞任を要求する有様に、お前は何様だ、する仕事が違うやろ、と画面に怒りをぶちまけてしまった次第である。これ以外のことも含めて、事実を究明して報道することやろ。東京都に就職した大学時代の知り合いによれば、週末は業者とのゴルフ三昧ということである。巨悪は眠る。金である。○○利権である。マキゾエ都知事は、もう少し頑張って都議会を解散してもらいたかったことである(これが議会制民主主義の常道である)。しかしながら、命を脅されては詮方ないと同情している。
2016061218170000 政治だけでなく、日本社会全体が液状化している様である。自民党が自由主義と民主主義と真逆の羊頭狗肉な政党であることは、ちょっと常識的に考えれば分かることである。また、テレビ離れしている若者向けの番組制作や東京一元化の報道ぶりなどを見るにつけ、人々の行住坐臥を改変することを狙っているとしか思えない。地方は東京(都民)ほど愚かではない。カネ塗れの脳みそ、欲望に忠実な愚か者たちの群れ。芸no人が政治に口を出して芸を磨かない有様で、旨くもない繁盛店に行列をなす。仲間内でしか笑えないギャグや喧噪でしかない面妖な文化。おまけに、俯いてばかりで自己愛のスマホ馬鹿。作られた虚飾の中で消費するしかない様態。働くことが自己実現でなく、生命を摩耗するだけの人生。クレジットやケータイ決済で自分の財布を献上するシステムなど不必要である。都市が巨大化すればするほど都市は腐臭を放ち、貧乏だった子供の頃、興奮してよく観た怪獣映画の怪獣が、都市を襲うことになるに違いない。

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