イデオロギーとプロパガンダ
『家の光』6月号の読書エッセイで、この本が紹介されていたので読んでみた。戦争の記憶がオーラルヒストリー(口承史)でも究明が至難な時代となっている。その点では、信濃毎日新聞の「鍬を握る」連載は目を引いた特集である。ぜひ単行本の刊行を期待している。日本一の満州開拓団と義勇軍を創出した長野県の歴史を反芻するだけでなく、戦争というものの本質を解明するのに役立っているのである。先の読書エッセイでは、祖母の日記を読んで、「お国と言うものは本当に恐ろしい。一番愛しい人を連れて行ってしまう」という祖母の呟きと嘆きが胸に迫ると表白されていた。まことに国家は理不尽である。命と生活を(更に、なけなしのカネさえも)奪い取るのである。国家そのものが詐欺集団となっているのである。
生成AIをも駆使する日々の詐欺事件の頻発とマスコミを使った虚偽情報に晒された生活の中で、人々は彷徨うだけでなく日常的に利便性というイデオロギーに惑わされている。拝金主義の世の中で、政権維持のための法がまかり通り、政治屋と体制を護持する産業界は国民の生活には何の関心もなく、利権と現状維持のみが社会を覆い、連合とマスコミは政権に迎合し、学会や司法も忖度する有様である。すべてが腐敗しているのである。「優秀」な人物ほど腐敗しているのである。何がないかと言えば、良心と本当の学識である。加えて、他者を思いやる識見がないのである。根本は学制であり、大学進学のための普通科をよしとする教育制度である。学校教育はこれを基準とする制度となっている。問題は職業教育、政治や社会についての関心(具体的には、憲法の三原則や税制や確定申告など)を育てない教育、人々の職業(特にエッセンシャルワーカー)に対するリスペクトを育てない教育である。普通教育一辺倒の教育制度があり、偏差値に象徴される教育制度であり、これらをすべて改変しなければならないだろう。しかしながら、国家の中枢には、これを成し遂げる人物は一人としていないだろう。これが現実なのである。テレビを眺めていると、T大とK大系のニセ学者が登場するだけでなく、政治屋の二世・三世議員が蔓延っている。阿呆の連中が改革を成し遂げられるだろうか。人々の生活が苦しくなるにつれて、政権党の支持は激減し、その対策のためのプロパガンダが激増するだろう。アメリカの政治を注視したらその意味が分かるのではないか。それが日本の近未来の姿でもあるのである。
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