資本主義つれづれ
フジメディアHDの傘下であるフジテレビの腐敗は、40年以上前からの周知の事柄である。それは、「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンに象徴されている。当時はテレビがなかったので全く縁がなく、視聴する暇もなかったのである。その頃、南河内を徘徊したことがあって某都市の家々を観察していると、軒並み、青の産経ポストと犬を飼っている風景にゾッとしたことを想い出す(それ以上に学会の隆盛に辟易したのだが)。さすが司馬遼太郎をもてはやす風土があるんやなと逆に感心したのである(大阪の名誉のためにいうが、本来の大阪は全く異なる。司馬メモも参照)。フジの企業(セクハラ・パワハラ)体質は今更ながらのことであり、関西一円の維新の席巻と同じく、丸山真男の「タコツボ文化」というべきか。
近頃「令和の米騒動」と話題になっているが、これは1918年の米騒動とは異なり、未だ民衆の闘いとはなっていない故に騒動とまで言えない。農政批判と農協や農民への安易な批判に加えて、新自由主義の農業評論家がこれに便乗して日本の農業を破壊しようとしているのである。そんなに米が食べたいなら自分で作ったらと思うのだが(耕作放棄地など幾らでもある)、または輸入小麦に恃んで「貧乏人は麦を喰え」と放言したとされる池田勇人(この発言を知らない現農水大臣にも呆れたものである)に倣ったらいいのである。麦飯の方が白米より栄養価が高いのである。これを転機に農業や農家への関心を深めることが望まれるのだが、資本主義の生産力主義に洗脳された近現代人には、農業を社会的評価が低く儲からない産業にしている現状においては、ほぼ不可能と言えるだろう。
大学受験の社会科目で世界史と日本史を選択したが、特に世界史は記憶すべき事項が多かったが、その西洋中心の世界史でも役に立つことがある。例えば、ギリシアにあるアクロポリスは、嘗て樹木に覆われていた筈であるが(NHKの番組で見たことがある)、今は岩肌の切り立った丘の上の廃墟となっているのである。日本の神々では、鎮守の森になって子供の遊び場になっていたとするのが定番である。『7つの安いモノから見る世界の歴史』は、ラジ・パテルが共同著者の一人であった関心から繙読してみたのだが、実はムーアの主張を全面展開する著書だったのである。その中に、「プラトンと同時代の人びとは自然を軽んじ、丘陵地帯の森林を乱伐して丸裸にしてしまった」(p26)という記述がある。ここに西洋の自然観が表意されているのである。
ところでその著作は、ウォーラーステインの世界システム論を論拠にした世界生態論(world-ecology)の展開であり、テーマは「より広範な生命の網(Web of Life)と資本主義との関係」(p37)である。「資本主義は、自然を破滅することによってではなく、できるだけ低コストで自然から価値を得ることによって繁栄している」(p36)とあるが、その下線部の真偽を熟慮したいものである。
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