音楽

2020年4月17日 (金)

コロナ人災中にあって


 
 しんみりしているが、強さをも感じる動画である。危機の時代にあっては、人の命や人生など、失ってはいけないもの・ことがあることを思う。杏のSNSによれば、その意図は少し違うようだが、国家による人災は、人々にとって最大の災害であることを再認識するものである。
  『教訓1』の中で加川良のメッセージは、命・人生の一回性の視点に基づいて(当たり前!)、国家の企図からの遁走を推奨する反戦歌である。
  死んで神様と 言われるよりも
  生きてバカだと 言われましょうヨネ
  綺麗事 並べられた時も
  この命 捨てないようにネ
  青くなって 尻込みなさい
  逃げなさい 隠れなさい
という4番の歌詞に、そのエッセンスが凝縮されている。
 杏はまた、3番の歌詞の一部を、
  腰抜けヘタレ ひ弱で結構
  どうぞ何とでも こう呼びなさいヨ
と改作しているが、これがいかにも彼女らしい。「女のくさった」という差別的表現が許せなかったのだろう(「男になれと」が残されたのが残念だが)。「バカ」「腰抜け」「ヘタレ」「ひ弱」と真に自認することほど難しいことはないが、歴史の偉人たちはそのことを痛烈に訴え、対して現今の政治家や官僚どもは、一部を除いて、その正反対のことを成しているのである。

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2020年2月24日 (月)

落日の日本

33261358  昨日、犬あっちイケーの『のど自慢』を眺めていて嘆息したのは、歌謡曲・演歌もしくはJ-POPばかりになっていて、人口に膾炙する歌唱曲がなくなり、歌詞内容も空疎で平板になっていることだった。1970年までは『のど自慢素人演芸会』という番組名であって、長唄・講談・民謡など多種多芸であったのだが、絶滅危惧種の民謡もまた、21世紀になると番組から消衰したとの事である。人々は生活に即して唄うことはなくなったのである。その代表と言えば、AKBや嵐ではないか。容姿やダンスが注目され、リズムやメロディー中心であって歌詞など付け足しに過ぎない。言い換えれば、ふわふわしているだけの事なのである。
 魯迅といえば、中学校の国語教科書にも取り扱われて、覚えている者が多いのではないか。自分も光村図書の教科書で読んだような気がする。「気がする」というのは、あまり印象に残っていないからである。多分『故郷』であると記憶する。覚えているのは精々、北原白秋の『落葉松』と志賀直哉の『清兵衛と瓢箪』と宮沢賢治の『よだかの星』と太宰治の『走れメロス』程度である。関心は文学になく、理数系科目だったからやむを得ないだろう。
 彼は中国近代文学の父とも称され、日中の青少年に影響を与えているが、取り分けて、日本人の読者は多く、人気が高いと言わねばならない。太宰治の『惜別』という小説の中でも演出されている。しかしながら、太宰の魯迅青年像は、太宰流に多分に脚色されており、参考にはならない。それはあくまでも、「独立親和」を願っての、敗戦直前に国の委嘱を受けた国策小説である。そのフレーム内のフィクションにすぎない。太宰は魯迅の文学論や思想には全く関心がなく、魯迅の革命性には微塵も触れていない。むしろ、他の革命的な中国人留学生と距離を置く人物像として描かれている。傍観者としての太宰自身を投影しているのである。しかしながら、戦争賛美や戦意高揚を促すものとなっていないことが幸いしている。「真の愛国者は、かえって国の悪口を言う」、「東京の人の愛国心は無邪気すぎる」などと細部で巧妙に批判しているが、大要は変わらない。だから、あくまでも小説として楽しむだけのことであり、両者の文学観への嗜好は読者に委託されているのである。しかしながら、革命性がないことによって、日本人は何度も敗戦に際会することになるのである。もっともっと、この無能なアベ政権は、行き着くところまで続行すべきなのである。

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2017年2月12日 (日)

軍歌一考

07351079_2 実は、軍歌についての晋遊舎ムックを一冊所有している。CDが二枚付録として収録されている冊子である。少し日本の歌に興味が高じて、調べている最中に衝動買いしてしまったのである。これも古本屋行きである()。著者は軍歌研究の第一人者であるが、やはり慶応大出身である。慶応は、早稲田と共に、既に地方出身者が三割を切っており、首都圏のローカル大学に墜しているが、ごく一部の例外を除いて、御用学者と体制護持派の巣窟になってしまっているから、学問的にはほとんど信用していない。これからも劣化が進むであろう。これが故に、危機感を覚えた慶応大学は、地方学生向けに、独自の奨学金制度を充実させているそうである。ところで先のムックであるが、その第一章において、さも偉そうに記述されている事柄は、当たり前と言えば当たり前である。つまり、軍歌は戦争とセットであり、「皇軍」のみならず、娯楽として推奨され、民衆が追い求めたものである。換言すれば、侵略戦争へ国民を総動員するための方途なのである。軍歌そのものは、総力戦を戦う上では必要不可欠な手段なのである。これはあまり知られていないが、外山正一、山田耕作、北原白秋、古賀政男、古関裕而など、戦前の著名な作詞・作曲家で、軍歌に無縁な者は全くいないのである。明治期以降には、政府は学校教育(唱歌)を通じて忠君愛国精神の涵養を図ったのであり、その意味では、東京音楽学校(現・東京芸術大)の功罪は大きいと言わなければならない。そういう私も、1960年代に兄の所有する月刊誌『丸』を耽読したり、零戦や戦艦武蔵のプラモデルを製作したり、朝日ソノラマのソノシートで密かに「ラバウル小唄」や「月月火水木金金」や「同期の桜」などを暗誦している。戦後になっても、まだまだ戦争の影響下にあり、映画やテレビでは戦争を懐古する番組が製作されていて、「戦友」というテレビ番組を視聴した記憶もある。倒錯していた時代が、まだまだ続いていたのである。そして、その伏流水が現今滲出し始めていると言っても過言ではない。辻田はそのムックでは、娯楽としての軍歌の危険性を綴っているが、その問題意識は全く切開せずに、結尾で、軍歌が楽しいと懐古する愛国主義者や軍歌に詳しい人気声優を紹介しているだけで、肝心なそれを放置してしまっているのである。軍歌の内容を「反面教師」(p10)として詳細に知るだけでは軍歌のことは分からない。日清戦争期には、戦争熱にうなされて、軍歌が1300曲以上創られたということであるが(p11)、他方の園田は、その時代の軍歌によって、「それ以降の日本の歌曲のほとんどすべてが行進曲調となってしまった」と嘆き、「二度と再び軍歌をうたわねばならぬ時が来ることを拒否する」(p63)と宣言している。また、小学館版『日本の歴史』26巻において、宇野俊一は、「今に蛆虫チャンチャンを打ち払い・・・うちころせ大砲で・・・撃て撃て突け突け、君の為国の為」などと絶叫した外山正一を、「当時の碩学であることを思うと、その低劣さにはあきれはてるしかない」(p75)と慨嘆している。日本軍歌の父と称される外山正一(東京帝大)だけでなく、彼と共に「抜刀隊」の原曲他、軍歌を多数創作した井沢修二(東京音楽学校、長野県出身)もまた、当時の時代風潮を差し引いても、それに負けず劣らず愚か者である。

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