経済・政治・国際

2017年7月 2日 (日)

アメリカ帝国主義の勝利

31058051 今回の都議選もまた、すべては茶番であり、予想通りである。であるからと言って、諦念している訳でもない。都政なんて関係ない。もう何年も上京していない。旅行や冠婚葬祭などの機会があるが、すべて断っている。東京が嫌いだからである。多分、2012年に東北大震災ボランティアの後で、秋葉原に立ち寄ったのが最期と思われる。大体、選挙は選挙公示日には大勢が決まっているのが専門家の常識である(余程の風が吹かない限り決定)。選挙運動員を経験したことがあるが、選挙運動では、手応えと票数の値踏みは具体的にしっかりと行われているのであり、知らぬは選挙民なのである。公明の支持者が共産党への支持票になる訳でもなく、選挙運動期間は(票数)確認に過ぎないのである。投票行動をしない無関心層など基本的に当てにならないのであり、支持層固めが狙いなのである。学校教育の中では、政治行動は一切禁止されているのであり、長い義務教育と高等教育によって非政治化され、無関心層を醸成させるのが日本の教育なのである。それは、確定申告時に如実に顕現している。学校教育では、確定申告のことについては全く教えられておらず、労働者もまた確定申告を自らすべきとは教えられていない。選挙の好きな保守層は脱税と節税のために殆どが確定申告を行うのであるが、無関心層は税意識が全くなく、余計な税をむしり取られても平気な面をしている。多くの国民もまた税意識が希薄なのである。ところが、世の支配層は、必ず確定申告をして、必ず自分の言うことを聞く政党に投票するのである。その代表的な例は、竹〇平蔵である。しかしながら、この人物は表を張る玉ではなく、政界の渡り鳥であり、権力者に常に帯同し、権力欲にかぶれたコイケが担うこととなっている。動機が不純なことから、コイケもまた遂には捨てられる運命なのだが、これにシンジロウが加わると強力な悪臭となって日本国民は苦難を強いられる筈である。元々、「維新」など相手にされていないのである。選挙における投票行動とは、選挙陣営にとっては、支持者名簿が収集明記され、支持者にとっても情実とコネというWin-Winの関係となっているのであり、したがって、一度として、民主主義国家であった試しはないのである。野党と東京都民の完敗であり、都議選の唯一つの関心は投票率のみである。半分に行かなかったら実質四分の一の選挙民の支持にすぎないのであり、本来無効である。それにしても投票行動した東京都民は、大阪府民に負けず劣らず、野党や批判勢力を認めない翼賛の選択したのであり、後は無党派層に期待するしかない。大都市は、いよいよ異臭を放ち続けているのである。

 大都市の喧騒から離れ、梅取りと梅漬けの準備、及び田畑の草取りに専心する一日で、休日なのだが余裕のない一日を過ごした次第である。

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2017年6月30日 (金)

悪魔の正体

2017062917310000_2 夕方、田んぼの水入れをしようとすると、思わぬ西山からの激しい驟雨のために、全身ずぶ濡れになってしまった。午前に、嫁さん孝行しようとお出掛けした後、暑さを凌いでの午睡後に馳せ参じたところである。水田が湛水できて喜ばしいことなのだが、パンツまで浸透して、大慌てで帰宅。すべて更衣する程の雨脚だったので、今日はこれにて農作業は中止と相成った次第である。雨雲が空を覆い、水田に雨滴が激しく降り注ぐ天候で、山が霞んで見える。風の具合を見ながら一回限りの除草剤を散布するタイミングが取れない日々である。
 先日、信毎を開いていると(共同通信提供)、全国の土地の2割(38万㎢×0.2=7.6万㎢=760万㏊)が所有者不明というニュースを目にした。九州の面積を上回るという。都市化、少子高齢化の波の中で、耕作放棄地を始め、農地の転用など、土地への執着力が減っているのだろうが、恐らく、荒廃農地は耕地面積440万haの内、30万㏊を既に超えていることだろう(国土に占める農地の割合は約12%であり、欧米のそれは5割前後である。日本の森林面積は約66%であり、いかに日本の国土が森林で覆われていて、農地としては利用制限と限界があることが分かるだろう)。したがって日本の農業は、海外のような大規模農業が絶対不可能なのである。農地集約による小規模化(日本の農家の殆どは零細農家である)が精々のところである。北海道農業ですらアメリカ農業の二分の一程度の規模なのである。日本の農業をどうするのかという岐路・選択が厳しく国民に問われているのである。
 その問題以上に切実なのが、科学技術の劣化の問題である。タカタや東芝などの企業の落城がそのことを象徴している。情報産業化への流れを見誤り、基礎科学の軽視などが考えられ、理工系の学生・研究者が日の目を見ずに置かれて、役立たずの政治屋や企業家や文系出身者やスポーツ・芸no人などの報道ニュースで覆いつくされている。アベ夫婦を始めとした政治の私物化はその最たるものである。神戸「正論」懇話会では、かけそばチェーン店を全国展開すると絶叫している。身内の中でしか説明できない小心者である。その昔、泉南地方を行脚したことがある。同じような建売住宅が居並んでおり、一様に犬を飼っており、一様に青い新聞入れがエントランスに括り付けてあって、その景観に戦慄を覚えたことがある。京阪神・和歌山では少し安価な、その新聞の購読者が多いのである(関西地方のニュースをよく見ると、その映像が屡々目にするだろう)。その新聞とは、産経新聞のことである。アベもまた、この御用新聞を精読していることだろう。他方、東京はと言えば、「都民ラストの会」=第二自民党が喧しい。大都市は増々腐臭を放っているのである。

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2017年6月18日 (日)

愚民信仰(同穴)の契り

2017061519050000 田植えは終了したが、捕植がまだである。とにかく、田畑の農作業に忙しい。今年は降水量が異常に少ないのだが、その影響は甚大である。農産物の減収必至である。天気予報はまるで当てにならない。ならないどころか、天気概況や最高・最低気温を、したり顔で解説しているのだが(それがどうしたというのだ)、予報士としての仕事を果していない。何のための資格なのか疑っている。そんなことは表示すれば分かることで、一々解説は要らない。また、一地方の東京の天気予報も要らない。だから、基本的に全国の天気図だけで必要十分なのであるが、人間だけが生きているのではない、ということも敢えて強弁したい。洗濯だとか、花粉だとか、そんな情報なんて要らない。草花やら、昆虫やらの風土情報をもっと知りたい。まったく、中央の人間が考えることは知れてる。アホらしい。今の自分の意識が奈辺になるのかすら分かろうとしないその感性は、アベのそれに相似している(無知と無恥である)。モリ・カケそば問題もあるが、国際医療福祉大のこともあるし、そもそも国家戦略特区なんて要らない(「国際」と名称したり、それを謳う学校など胡散臭い)。マスコミも特区についての詳細な報道と検証をしていない。ところが、長野県政も特区指定を申し込むということである。あの無能な知事を始め、県政首脳部の考えることである。何が「母国で技能を生かしてもらう」だ。要するに、安価な労働力を補充するためだろ、というのが本音である。その企画にJAが噛んでいるとも言われている。そんなことより、先ずすることがあるやろ、と思うのだが、如何せん、農業に無知な諸氏と農政の「プロ」の合作企画であるからやむを得ないことである。国家戦略特区など、経済の活性化のためではなく、一部の権力者による国家資本(国有財産と税金)の強奪に過ぎない。それはモリ・カケそば問題で明々白々になったのであるが、この淵源は小泉政権にあったのである。来る内閣改造では、必ずや小泉の息子が起用されるであろう。国民の怒りが充溢している現在、益々アベ自民党を打倒しなければならない時期が到来しているのである(既知な都議選など、ほとんど意味がない)。女性暴力事件をもみ消したアベ政権は、同時に国民をバカにしている「強姦」内閣であるのだが、これに同調する一部左翼・リベラル層の愚民信仰にも留意しなければならないことである。インテリ左翼もまた、常に愚民信仰に辿り着くのである。

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2017年5月24日 (水)

非国民上等!

33408659_2 「暗黒の時代」が到来したようである。社会主義の「冬の時代」を髣髴させる事態である。時代は核とミサイルの軍事優先となり、「共謀罪」法案のように、人々は国民主権を放棄したかのようである。人々はその権利を放擲し、天皇が日本国憲法を健気に遵守するという転倒している有様である。世界の為政者は、その権力を行使して狂奔している。日本国も例外ではない。支持率三割弱の、最も無恥で無知の政治屋が放縦に居直って居座り続けている。背任と汚職にまみれていながら、国民的関心と追及もなく、居丈だけに振る舞っている。そして重要なことは、都市の住民が中心となってこれに追随していることである。これなくして彼らの傲慢は決して成立しないのである。かの為政者どもは都市住民が率先して選択しているのである。決して(一部の)地方ではないのである。都市部の政治屋が三権と社会的地位を占有しているのである。これが腐臭を放っていることをなぜ認めないのか。例証はいくらでもある。テレビニュースや番組を賑わしているのは、ほぼ殆ど都市出身の住民なのであり、都市の大学は都会人ばかりになって社会的地位を獲得するために奔走しているのである。都市の毒害は地方にまで波及して、この地方の知事(東京都出身で元横浜副市長)は中央政治に従順で、地方の遺産を浪費しているだけであるが、何と県民の5割が支持しているという異常事態である。『村に火をつけ、白痴になれ』ではなく、『街(都市)に火をつけ、白痴になれ』なのである。つくづく思うに、かの70年闘争の課題は何も解決されず、その遺産は活用されていない。運動を担った人々は年波と諦念の中で、歴史の藻屑に沈下しようとしているのである。大逆事件以降の社会主義運動でもそうだったのである。歴史は決して嘘は吐かない。伊藤野枝は大正期のアナーキストである。しかしながら、ものの見事に社会から制裁を受け、最期は大杉栄と共に、関東大震災の最中に、簀巻きにされて井戸の中に放擲され惨殺されたそうである。寺院に嫌われてお墓はただの自然石のみなのである。常識的に考えれば悲惨の極みであるが、野枝の訴えの方が一等優れている。貧乏上等、わがまま上等。すべての常識を覆せ。「貧乏に徹し、わがままに生きろ。それが伊藤家(野枝)家訓である」(p7、52)。自分の生死は自分で決めろ(p44)。「あなたは一国の為政者でも私よりは弱い」(p114)。「この腐った社会に、怒りの火の玉を投げつけろ!」(p133)。どうせ希望がないならば、なんでも好き勝手にやってやる。絞首台にのぼらされても、かまうものか。非国民上等。「国家の害毒は、もうバラまかれている。そう、友だちは非国民」(p162)なのである。この心意気こそ、今の時代の人びとが学ぶべきことなのである。ちっとも「暗黒時代」でも「冬の時代」でもないのである(これこれこれ参照)。

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2017年5月 6日 (土)

逝かれた人々

33382836 やっぱりな、と思うだけである。今年の4月23日、拉致問題の国民集会において、それが「内閣の最重要、最優先の課題」であり、「解決する」と決意表明しているのだが、これは全くの嘘である。もしそうなら、今頃は解決していることだろうし、況や、その発言が飛び出したのは、北朝鮮の核・ミサイルが「切迫」(政府広報)している時期の発言がために、「この人はやはり逝かれている」と思い至った次第である。また、その解決のために米国の協力と連携が必要であるとして、自ら積極的に先導しようという気概もないのは明々白々である。それだけではない。拉致被害者の家族がこの妄言に唯々諾々と付き合わされて、キリスト教と神道などの右派勢力である「救う会」に牛耳られているために拉致問題が一向に国民的な悲願とならないのだな、と彼らに同情の念を禁じ得ない。田原氏には「変なものを付けてるだけ」と揶揄される始末である。要するに、完全に政治的に利用されているのである。北朝鮮問題などと煽っているアベなのであるが、他方で、連休中に自ら率先して(閣僚の半分以上も右に倣い)外遊に興じ、ゴルフや飲食に耽って弛緩しているのであって、こんな内閣なら自分でもできるなあ、と呆れてしまう次第である。お粗末な政府である。国会議員や政党も然りである。さぞかし、アベ首相は稀有で、最も優秀な天才的大宰相であろう。それでもって戦犯である祖父の顰に倣って、憲法改悪を表明しているのである。呆れてものも言えないとは、このことを言うのである。夫婦揃って「神ってる」のだろう。やっぱり、逝かれたニッポン、である(自分が日本人であろうが、米国人であろうが、中国人であろうが、そんなことはどうでもいいことである)。
 この本の著者もまた悲惨である。元々、この書の狙いが「人類が歩んだ旅路をなぞり、どのような経緯でここまで到達したのかを明らかにすること」(p11)であるのだが、科学力と創意工夫で食料生産力を向上させてきた歴史を振り返り、人類の過半以上が都市に集中した(2007年)21世紀の食糧問題は、問題なく解決していくだろうという安穏とした内容である。農業史としても俯瞰的に詳述されているので初心者にとっても分かりやすく修習できる。ラチェット(歯車)-ハチェット(手斧)-ピボット(方向転換)というキーワードを駆使しながら、人類は前進-破綻の危機-方向転換してゆくという進歩史観である。人類は「偉大な成果」(p243)を収め、「勝利を積み重ねて」(p246)、「大躍進の時期を迎えた」(p246)と賛辞を送っている。本当にそうなのだろうか。確かに著者は、一方で、「矛盾に満ちた豊かさ」(p257)と懸念も感じているのだが、他方で、この温暖化や生物多様性や持続可能性などの問題が山積しているにも拘らず、やがて方向転換して解決を見るだろうという見解に墜することは、火を見るよりも明らかだろう。分かりやすさが故に陳腐な見解に帰着するのは、英米の学者には特徴的なことである。
 (追記-2017,5,10)
 もう一つ。ブラジルの伐採された熱帯雨林の惨状に涙ぐんだ著者は、末尾において、こんなことを結論的に叙述している。「いまわたしたちは農耕をする種から都市生活をする種に変わろうとしている。少数が食料をつくり、大多数の人びとがそれを食べるという最新の取り組みは始まったばかりだ」と。「都市の暮らしも自然界とのかかわり合いなしに成り立たない」(p262)と言いつつも、帝国主義的な搾取や大地からの過剰な強奪、都市と地方の格差や南北間対立などに無関心を決め込み、その変容を無条件的に肯定する著者の近代人的な思考に、疑念と苛立ちを覚えるだけである。

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2017年4月24日 (月)

文科省の家庭教育支援?

Img1 家庭の教育力が低下している、と言う。誰が言い出しているかといえば、文部科学省である。正確に言えば、文科省の「生涯学習政策局男女共同参画学習課家庭教育支援室」である。冗長な名称部署であるが、行政とはそういうものである。国家が共謀罪の導入を目指している、現在進行中の国会審議の次は、家庭教育支援法が企図されているらしい。国家主義者による権力の私物化が漸進している中で、第二次朝鮮戦争の軍事挑発がなされ、いよいよ戦争国家化が成就されようとしている事態なのである。既に、道徳(戦前の修身)の教科化が決定し、来年度から教科書が使用される。国家による洗脳教育が一段と進行するのである。これと並行しての家庭教育支援法である。いじめ・非行を叫び、子どもの貧困が注目され、母子家庭世帯の増加や青少年の引き籠りを捉えて、少子高齢化に危機感を抱く政府は、家庭の中にも手を突っ込む目論見なのである。その時、当事者の自己責任と親の責任が常に問われ、己と己を中心とする社会通念を強制するのである。利潤追求するために金融資本は常に家庭の解体を主導するのであるが、政府はそれを国会で法制化して施行する。原因を作ったものがこれを「是正」するということのメチャクチャからして、テロ等準備罪以上の悪法になることは間違いない。動機が不純であることから民衆が総動員されるのである。確かに地域社会は分断され、子育てが孤立し(孤育て)、人々が貧困化し、家庭環境は変化している。ひとり親世帯の貧困率は半数を超越している。反政府側の人々の中で、どれだけの人が家庭と家庭環境の実態を認識し、関心を抱いているのだろうか、と自問しなければならない。もしかすれば、もう後戻りができない時期なのではないか、と考え及ばなければならない時なのである。極右翼政権であり、政府官僚や司直は保身と追随に走り、マスコミは政府広報化している有り様は、同時に、主権のある人民のチャンスであることも知らなければならないのである。

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2017年1月25日 (水)

云々(でんでん)閣下へ

33359404 トランプ大統領就任ということで、いきなりTPP離脱署名というカウンターパンチを食らわせられた安倍内閣云々(でんでん)は、トランプ詣でに慌てふためいている様で、国会論議は相変わらずの茶番劇になっている。世界全体としては、右翼潮流云々(でんでん)が幅を利かせており、選挙戦の途中からトランプ当選は予想できたはずである。グローバリズムと格差の増大のため、エスタブリッシュメント(既得勢力)云々(でんでん)をこき下ろすことが右傾化を促進したのである。果たして、「民主主義」云々(でんでん)が試される変動期なのである。"We will make America great again"というトランプは、凋落したアメリカ人のプライド云々(でんでん)を刺激して、支持率調査の結果とは異なり、大いに歓迎されているのであるが、ビジネスマンとしての彼の信条は、根っからの右翼であり、その証拠に、欧州の右翼政党云々(でんでん)の歓迎を受けているのである。同類の「遅れた右翼宰相」であるアベは、会いたさ見たさ云々(でんでん)の「籠の鳥」になっている始末である。一方のトランプは、いの一番にイスラエル首相と電話会談し、血盟を誓って直接会談を約束しているのである。トランプの政策は、瑕疵云々(でんでん)があるが一見もっともらしさを伴っている所に肝があるのである。国家権力は、口をあんぐりと開けて混乱と陶酔と諦念云々(でんでん)を待っているのである。よく、歴史修正主義者は南京大虐殺について全否定する。これだけの物証と証言云々(でんでん)があっても全否定するのだ。彼らは屡々「自虐史観」と称して罵倒するのだが、自虐上等なのである。日本人が、自分自身と日本の歴史云々(でんでん)を対象化して相対化すること程、よい意味での人間らしいことはない。自虐したことのない人間を信用することはできないからである。その昔の宴席で、知人の爺さんの言葉を覚えている。酔いが回った所為なのだろう。下士官として中国大陸に派兵された体験を、後ろめたさを感じることなく、民間人を叩き切った自慢話云々(でんでん)を語ったである。彼は人望のある地方公務員ということだったのだが、一瞬宴会場が凍りつき、ほどなく何事もなく宴会は続けられたのである。戦争体験者の誰もが沈黙し開き直った歴史的事実を口走ったからである。久しぶりの著書を味わってみて、その相変わらずの三好節云々(でんでん)に感心したものである。「自虐こそ理性である」(p194)に特に反応したのであるが、使い古呆けた19世紀の超越論的哲学の理性云々(でんでん)というよりは、知的直観力というべきか。いずれにせよ、本年は混乱の予兆となる一年とみて間違いないだろう。無論、云々(でんでん)閣下に知的直観力がないことは疑うべくもない。

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2017年1月12日 (木)

貧乏上等

33519667 三島事件というのをご存じだろうか。当時幼少の私は、帰宅した際に兄から告げられて、「ついにやったか」という多少の興奮しかなかったが、兄は随分取り乱した様子だった。自分としては、文学少年であったために、新潮社の広報誌である『波』を読み続けていたこともあって、三島の自死については予想されたことであった。むしろ、その後の反応に興味があった。この時代錯誤の事件に、新左翼や全共闘は気後れと弔意を示し、右翼や文学界は才能への遺憾と弔辞を表明したのである。誰も彼も、そろいもそろって奇体な反応であることに失望したものである。日本の知識人も大したことないんだな、という感想である。事実、その後の文学の廃頽は進み、もはや自分もそうなのだが、趣味を読書などという粋人は皆無というべきである。これは別に、三島事件が契機であるというべきでなく、むしろ、三島事件を生み出すような文学界の有り様が生み出したのである、と断言してよい。今では、小説の類は全く読まない。何の役には立たないからであって、現実の力の方が文学よりは突出しているからである。実際、今期の芥川賞は誰かと問えば、殆どの衆人は知らない。それ程のことなのである。これは、文学界だけではなく、芸能界、マスコミ、学会、経済界、政界など、いずれの世界でも共通している傾向であって、とても慶賀すべきことである。この本の中では(p185~)、例えば、現代の支配的イデオロギーとして、「機会の均等」論や「自己責任」論や「努力した人は報われる」論や「トリクルダウン」論の四つが打ち破られるべきものとして列挙されている。これらはすべて日本政府によって宣伝・扇動されているイデオロギーであり、世界的にも流布されているものである。これ以外にも、「経済のグローバル化」論や「命の平等」論や「投票権の平等」論など、骨の髄までに遍満しているのである。著者は都市部の新中間層に期待を込めているのだが、それは以上の意味においては、三島由紀夫と同じように、夢物語であると言わなければならない。それ以外の確実な方途は、既に、今も、そして将来もあると言わなければならないのである。

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2016年12月 9日 (金)

真珠湾攻撃の再来

33502673 信濃毎日新聞(信毎)の今朝の「斜面」を寝ぼけ眼で読んだ。勤勉や分かち合いとは真逆のカジノ法案を急ぐアベ政権を辛辣に批判した内容である。「政治家がうそをつくのは当たり前」という「悪性のニヒリズム」が日本を蝕んでいると政権批判しているのである。これは、「農業情報研究所」さんが大ニュースと取り上げているのだが、この「悪性のニヒリズム」というのがポイントである。これはポピュリズムの裏返しである。首相の傘下には補佐官、秘書官、内閣官房参与など、ろくでなしが蜷局(とぐろ)を巻いているのである。この中で、内閣官房参与には国民のことなど毛頭念頭にないポピュリストが居並んでいるのであるが、その中の一人で小泉の秘書から首相秘書官にのし上がり、長野県政の参与と併せて、Wアベの参与として暗躍している人物がいる。この参与は、成果としてはゼロなのであるが、権力を嵩にして未だに政界を渡り歩いているのである。それにも懲りずに、松本歯科大学の特任教授にもなっていて、歯科大学で何を講義しているのやら皆目見当がつかない。思想信条が分からない。それはともかく、悪性のニヒリズムというからには、良性のニヒリズムというものがあるのかというと、それこそニーチェの克服なのであるが、ニヒリズムを誤解する人たちは、悪性のニヒリズム(無)に陥ってばかりなのである。だから、彼らは「生」への欲求がない。だから、アベには他人はどうでもいいのであり、一人、部屋の中でぶつくさ「神ってる」(この流行語大賞は野球好きの愚者の選択である。ちなみに、野球は大嫌いである)そうである(昭恵談)。安倍内閣を終了するのは簡単なのであるが、野党を始め、左翼・リベラリストが分かっていないだけのことである。足場が同じであれば無理なのであり、足場が同じでなくとも、この人物のことがまるっきり分かっていないのである(これ参照)。そうやって、日本は崩壊してゆくのである。いつもとは違い、TPP法案なども使い、真珠湾攻撃が既に始まっているのである。

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2016年12月 3日 (土)

消費社会の申し子

20171 政治の右傾化=劣化は世界的傾向のようで、益々地球的規模で破滅に向かっているのは、むしろ喜ばしいことである。政治の世界よりも、現実の世界の方が劣化が激しいのである。気が付いていない余人も多いのであるが、学問の世界(例えば歴史学会)の衰弱も甚大なのである。例えば、東大や早・慶大卒・教授というのは、愚か者であることを自白することなのであり、「無知と無恥」の代名詞なのであるが、親の平均年収が1000万円以上であり、殆どは大都市圏出身者で占有されているのであり、貧乏な地方出身者であれ、大同小異なのである。これらの人物が、何か革命的な事業を成就できるのであるかと問われれば、まず不可能と言わなければならない。日本社会は実に階層社会になっており、成し得るとなれば、己のステータスを維持することを旨とする小人となること位しかないのは否めない。もうそんなことは考えないようにしているからストレスも溜まることはないのであるが、「有識者会議」に名誉教授やら、評論家や有象無象の人物の名前を聞くと身の毛がよだつ程である。国際教養や国際関係や国際政治・経済や国際開発などと銘打つ学問など似非学問なのであるが、要するに、御用学者の養成機関なのである。それだけではなく、左翼・リベラリストの中にも、共産党だけでなく、似非左翼も加わって船頭多く、民衆の意思とは懸隔した議論を繰り返しているばかりか、誤った議論と慢心を披歴するばかりで、間違いも認めない有様を連綿と繰り返しているのである。阿呆の都会人が跳梁跋扈する訳である。目糞鼻糞を笑うとはこのことなのである。猛省を促したい。遅れてきた世代の自分が開示するのは憚ることだが、全共闘運動は自己否定や己のあり方との決別を通して国家権力と闘うことを目指したのであるが、それが今では、自己肯定の時代なのである。商品経済の申し子として、一人一人がオレ様となって我執と現状肯定をしている風潮となり、事実認定や歴史認識や言論による批判など、まったくもって論外になっているのである。かばりか、嘘と詭弁で逆立ちしているのである。そういう人物がこの国の首相や都知事などとなっているのであるが、それは政治家だけではなく、日本や世界全体に蔓延しているのであって、隗より始めよの如く、一刻も早く、日本国は滅びるべきなのである。

 休日の一日、農業講習と球根の植え替えと温泉入浴をして終了した次第である。

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