書籍・雑誌

2017年2月24日 (金)

日清戦争の核心点

92406 山川版『日本史小辞典』の内、〔日清戦争]の項を念のために採録してみたい。まだ手元に置いているのであるが、機会あれば古書店に売り飛ばす予定である。
 「1894~1895(明治27~28)に主として朝鮮の支配をめぐって戦われた日本と清国との戦争。日本は早くから朝鮮への進出を意図したが、壬午・甲申両事変で清国の朝鮮での勢力が拡大すると、対清戦争準備および朝鮮に対する保護の準備を進めた。94年に朝鮮で甲午農民戦争がおこり清国軍が鎮圧のため出兵するや、日本軍も出兵。日本は欧米各国の動向を見守りつつ、日清による朝鮮の内政改革を提案し、清国の拒否にあうと単独改革を主張し、清国との戦機を求めた。7月16日日英通商航海条約を調印するや、日本軍はただちに王宮を占領し、豊島沖で清国軍艦を攻撃し、8月1日に宣戦布告した。装備・訓練にすぐれた日本軍は、指揮・装備の不統一な清国軍を圧倒。制海権の争奪をめぐる黄海海戦で勝利し、朝鮮半島の成歓・平壌の戦に勝ち鴨緑江を渡り、遼東半島に進出した。95年2月威海衛を攻めて北洋艦隊を全滅させ、3月には遼東半島を完全制圧した。また、朝鮮では再蜂起した農民軍を鎮圧し、甲午改革によって朝鮮の保護を推進した。ここに欧米各国も講和の斡旋に動き、とくにアメリカの仲介で・・・4月17日に日清講和条約が結ばれたが、直後に三国干渉のために遼東半島をやむなく放棄。また朝鮮の従属化をめざした甲午改革も、三国干渉直後のロシアの朝鮮進出もあり挫折した。日本の動員兵力約24万人、戦費2億余円。」
 戦争そのものとその動向を説明することが主眼であることとは言え、この記述は朝鮮と朝鮮人民からも清と清国人民からも見ていない。また、日本を含めた帝国主義列強の意図が明らかにされていない。つまり、なぜ、日清戦争が戦われたのか全く分からない。また、日清戦争の意味とその後の影響が不明である。まったくもって、よく分からない内容となっている。目新しい学問的成果もない。日清戦争の核心点は何か、これから順々に論及したいものである。明治時代の息吹を残していた親父より上の世代を振り返りながら、探索したいものである。『家郷の訓』もまた、その時代のあり方を調べるための足掛かりとして破読したいものである。
 

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2017年2月17日 (金)

差別と偏見の奈辺

33445752 世に差別と偏見は満ち溢れている。当事者に関わる者さえ、それに気が付かないことが多々あるのだ。故に、益々問題は解決されない。例えば、介護である。「してあげている」という意識が過剰の為、当事者をいよいよ困難な境地に追い詰めていることさえあるのである。そして、介護者はそれに気が付かないのである。水平思考ができないのである。この典型的な例がこの国の為政者である。政府や国会の担い手がこのようであるから、成果どころか、いじめや差別の温床となり、いつまでたっても変わらない。挙句の果ては、自分ができない腹いせに、人(野党)を詰ることに専念しだす始末である。こうなったら、世も末である。それだけではなく、介護する側でも、やたらに講習や研修が増えて現場を疲弊させ、資格を創出したり、技術論に溺れる輩が登場して跳梁跋扈するのである。何をか況や、と思うのみである。挙句の果てに、外国の例を持ち出してそれを直輸入し、偉そうに講釈を垂れることもある。一体、どうなっているのか、と日々思うのであるが、巷間にはそんな輩が満ち溢れているために、ともすれば、諦めの境地にもなってしまう。問題は、差別と偏見なのである。認知症についてのイメージと誤解である。これは、介護する側が創作したものですらなく、社会そのものの遍満する意識の反映である。しかしながら、介護する側が、そのことを自覚することさえなく、何の反省もなく、権力者として振る舞うことが問題なのである。それが認知症の当事者の力を奪取し、無力化していることすら考え及ばないのである。認知症の困難は、記憶障害だけではなく、意欲が低下し、疲れやすく、気力低下して空虚感を覚えているのであるが(p27)、それに寄り添う介護者は皆無である。それでも生きようとする認知症の人の人権など無視するのである。「認知症とともに歩む人」はほとんどいない。このような中で、認知症の人々が生きているのである。人として認めてほしい、という彼らの叫びが聞こえるだろうか。「してあげる」より、「一緒にしたい」という望みが聞こえるだろうか。一人の人間として認めてほしい、「私たちは単なる介護の対象ではなく、私たちが形成する社会の一員」(p46)なのであるという人間らしい願いを、全く無視しているのが、他ならぬこの国の為政者なのである(沖縄の例)。その筆頭がアベであることは多言を要しない。

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2017年2月12日 (日)

軍歌一考

07351079_2 実は、軍歌についての晋遊舎ムックを一冊所有している。CDが二枚付録として収録されている冊子である。少し日本の歌に興味が高じて、調べている最中に衝動買いしてしまったのである。これも古本屋行きである()。著者は軍歌研究の第一人者であるが、やはり慶応大出身である。慶応は、早稲田と共に、既に地方出身者が三割を切っており、首都圏のローカル大学に墜しているが、ごく一部の例外を除いて、御用学者と体制護持派の巣窟になってしまっているから、学問的にはほとんど信用していない。これからも劣化が進むであろう。これが故に、危機感を覚えた慶応大学は、地方学生向けに、独自の奨学金制度を充実させているそうである。ところで先のムックであるが、その第一章において、さも偉そうに記述されている事柄は、当たり前と言えば当たり前である。つまり、軍歌は戦争とセットであり、「皇軍」のみならず、娯楽として推奨され、民衆が追い求めたものである。換言すれば、侵略戦争へ国民を総動員するための方途なのである。軍歌そのものは、総力戦を戦う上では必要不可欠な手段なのである。これはあまり知られていないが、外山正一、山田耕作、北原白秋、古賀政男、古関裕而など、戦前の著名な作詞・作曲家で、軍歌に無縁な者は全くいないのである。明治期以降には、政府は学校教育(唱歌)を通じて忠君愛国精神の涵養を図ったのであり、その意味では、東京音楽学校(現・東京芸術大)の功罪は大きいと言わなければならない。そういう私も、1960年代に兄の所有する月刊誌『丸』を耽読したり、零戦や戦艦武蔵のプラモデルを製作したり、朝日ソノラマのソノシートで密かに「ラバウル小唄」や「月月火水木金金」や「同期の桜」などを暗誦している。戦後になっても、まだまだ戦争の影響下にあり、映画やテレビでは戦争を懐古する番組が製作されていて、「戦友」というテレビ番組を視聴した記憶もある。倒錯していた時代が、まだまだ続いていたのである。そして、その伏流水が現今滲出し始めていると言っても過言ではない。辻田はそのムックでは、娯楽としての軍歌の危険性を綴っているが、その問題意識は全く切開せずに、結尾で、軍歌が楽しいと懐古する愛国主義者や軍歌に詳しい人気声優を紹介しているだけで、肝心なそれを放置してしまっているのである。軍歌の内容を「反面教師」(p10)として詳細に知るだけでは軍歌のことは分からない。日清戦争期には、戦争熱にうなされて、軍歌が1300曲以上創られたということであるが(p11)、他方の園田は、その時代の軍歌によって、「それ以降の日本の歌曲のほとんどすべてが行進曲調となってしまった」と嘆き、「二度と再び軍歌をうたわねばならぬ時が来ることを拒否する」(p63)と宣言している。また、小学館版『日本の歴史』26巻において、宇野俊一は、「今に蛆虫チャンチャンを打ち払い・・・うちころせ大砲で・・・撃て撃て突け突け、君の為国の為」などと絶叫した外山正一を、「当時の碩学であることを思うと、その低劣さにはあきれはてるしかない」(p75)と慨嘆している。日本軍歌の父と称される外山正一(東京帝大)だけでなく、彼と共に「抜刀隊」の原曲他、軍歌を多数創作した井沢修二(東京音楽学校、長野県出身)もまた、当時の時代風潮を差し引いても、それに負けず劣らず愚か者である。

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2017年2月 5日 (日)

征清日誌と和歌

51dtwmk33l__sy373_bo1204203200_ 1894年(明治27年)7月22日の(従前の)日誌には、「この時我等兵卒の者は、朝鮮事件の急の電報が来たのかと思う」(p21)と書き残している。朝鮮事件とは、日本と清国との決戦が不可避となる豊島沖海戦前の急報であろう。朝鮮王朝には、既に日本からの最後通牒が送られていたのである。そして、直ちに王宮占領して手中にし、清軍掃討作戦で追撃し、豊島沖海戦勝利を待って平壌攻略へと進撃してゆくのである。信州の山村出身である山口にとっても、出兵が俄かに要請される事態なのである。ここにおいて、彼は件(くだん)の和歌を認(したた)めたのである。
 君の為 今ぞ死ぬ身を 思いしに
 又故郷の 花を見るらん
 これを意訳すると、「天皇陛下を奉戴するこの大日本帝国のために、たった今、死ぬ覚悟を固めたのであるが、再び古里・故郷の花を見るだろう(想像推量)」となるだろうか。前回、「決死の和歌を認めた」と皮相的に書き記したが、真実のところ、山口には逡巡があるのである。決死の覚悟であったならば、「今ぞ」でなく、「今こそ」と、より強調した表現をするべきだし、下の句では反語の係助詞を採用するべきところである。例えば、それでもイマイチの和歌ではあるが、
 君の為 今こそ死ぬ身 思ひけれ
 又故郷の 花や見るらむ
 意訳すると、「天皇陛下を奉戴するこの大日本帝国のために、死の覚悟を固めたのであるが、それは、故郷の花を再び見るだろうか。いや見ない程の強固な決意である」となるのではないか。何のことはない、本歌・元歌では望郷心の方が優勢なのである。これは後方支援の部隊員のためであるのかも知れないが、天皇制イデオロギーが農民兵士にまで浸潤できていないことの証左の一つであるだろう。近代国家として、出来立てほやほやの擬制国家だったからである。

 今日は、『信濃風土記』(NHK長野放送局編集、1979)ともう一冊を古本屋で安価に購入したので、のんびりと読み始めようと思います。

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2017年2月 4日 (土)

征清日誌と軍歌

33026837 日清戦争前の農村社会は、江戸時代のそれと殆ど変化はなかった。明治維新から30年弱経過しているのだが、明治中央政府は天皇制近代国家の形成が急務だったのである。大日本帝国憲法(欽定)の制定(1889年)によって、臣民には納税と兵役の義務が課せられたのだが、天皇の親署のある教育勅語の発布(1890年)によって、事実上、三大義務として国民に捉えられ始めたのである。勅令は明治憲法に規定されてはいるものの、憲法から独立した天皇の大権として発布される命令だったのである。ちなみに、軍人勅諭はやはり天皇の命令として軍人に下賜した訓辞である。維新期に信州の片田舎に出生した山口袈裟治(1873~1965)は(従前)、二十歳に兵役義務に服し、近隣の名士などの送別を受けて、「陛下万歳、兵役諸氏万歳」と謁する中で出立し、赤羽練兵場に入営するのである(p8)。この頃の男子は、未だに小学校や兵役は必ずしも浸透していた訳ではなく、軍人の社会的地位も相対的に低かったが、山里の家に養子に入った山口にとっては、国家と養子先への義理として出征したものと思われる。だから、まだ若輩であった彼の表現が拙いとは言え、就役の慶びの言葉は見当たらない。寒村の中では、出征旗や「数十の国旗等、盛んに祝砲を放ち、送別員は山と為した」(p8)とあるが、皇民化教育も未熟で、未形成の在郷軍人会の見送りもなかったのである。謂わば、この時期によくあった出稼ぎ感覚に近いものであっただろう。しかしながら、この出郷と軍隊経験は、「差別なく公平な」軍隊内の生活を通して、国民意識の萌芽となったのである(『明治・大正の農村』、大門正克著、岩波ブックレット、p36)。実際、入隊した工兵第一大隊での生活は、教練や演習、靖国参拝、酒肴の下賜、外出での東京見物や面会の楽しみ、軍歌の奉唱、三大節や宮中行事の国家祝祭への動員などで彩られている。とりわけ、行軍の頻回には、「余は炎暑中の(十里余りの)行軍は今度は初めてで・・・非常に困難した」(p21)と珍しく弱音を吐いている。ところが甲午農民戦争を契機に日清戦争が開始され、彼は、敷島の和歌(本居宣長)の顰に倣って決死の和歌を認めているように思われる。
 君の為 今ぞ死ぬ身を 思いしに
 又故郷の花を 見るらん
 これは、本居宣長と「抜刀隊」等の軍歌の合作と思われる。この時代、明治政府は「君が代」を始め軍歌の創作によって忠君愛国思想の注入に励んでいたのである。とりわけ、日清戦争前後には、盛んに軍歌が作曲され、「敵は幾万」は最も広範に唄われていて、「抜刀隊」と併せて明治を代表する軍歌となっている(Wiki)。また後者は、以降自衛隊の現在まで、一貫して軍隊の行進曲として通用している(『日本の詩歌』別巻日本歌唱集、園部三郎、中公文庫)。園部は、「これらの(つきつめた気持を表現した)軍歌の大部分がもっていたヨナ抜き五音階が、その後のほとんどすべての基本音階となった」(p63)という卓越する見解を開陳している(続く)。

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2017年1月25日 (水)

云々(でんでん)閣下へ

33359404 トランプ大統領就任ということで、いきなりTPP離脱署名というカウンターパンチを食らわせられた安倍内閣云々(でんでん)は、トランプ詣でに慌てふためいている様で、国会論議は相変わらずの茶番劇になっている。世界全体としては、右翼潮流云々(でんでん)が幅を利かせており、選挙戦の途中からトランプ当選は予想できたはずである。グローバリズムと格差の増大のため、エスタブリッシュメント(既得勢力)云々(でんでん)をこき下ろすことが右傾化を促進したのである。果たして、「民主主義」云々(でんでん)が試される変動期なのである。"We will make America great again"というトランプは、凋落したアメリカ人のプライド云々(でんでん)を刺激して、支持率調査の結果とは異なり、大いに歓迎されているのであるが、ビジネスマンとしての彼の信条は、根っからの右翼であり、その証拠に、欧州の右翼政党云々(でんでん)の歓迎を受けているのである。同類の「遅れた右翼宰相」であるアベは、会いたさ見たさ云々(でんでん)の「籠の鳥」になっている始末である。一方のトランプは、いの一番にイスラエル首相と電話会談し、血盟を誓って直接会談を約束しているのである。トランプの政策は、瑕疵云々(でんでん)があるが一見もっともらしさを伴っている所に肝があるのである。国家権力は、口をあんぐりと開けて混乱と陶酔と諦念云々(でんでん)を待っているのである。よく、歴史修正主義者は南京大虐殺について全否定する。これだけの物証と証言云々(でんでん)があっても全否定するのだ。彼らは屡々「自虐史観」と称して罵倒するのだが、自虐上等なのである。日本人が、自分自身と日本の歴史云々(でんでん)を対象化して相対化すること程、よい意味での人間らしいことはない。自虐したことのない人間を信用することはできないからである。その昔の宴席で、知人の爺さんの言葉を覚えている。酔いが回った所為なのだろう。下士官として中国大陸に派兵された体験を、後ろめたさを感じることなく、民間人を叩き切った自慢話云々(でんでん)を語ったである。彼は人望のある地方公務員ということだったのだが、一瞬宴会場が凍りつき、ほどなく何事もなく宴会は続けられたのである。戦争体験者の誰もが沈黙し開き直った歴史的事実を口走ったからである。久しぶりの著書を味わってみて、その相変わらずの三好節云々(でんでん)に感心したものである。「自虐こそ理性である」(p194)に特に反応したのであるが、使い古呆けた19世紀の超越論的哲学の理性云々(でんでん)というよりは、知的直観力というべきか。いずれにせよ、本年は混乱の予兆となる一年とみて間違いないだろう。無論、云々(でんでん)閣下に知的直観力がないことは疑うべくもない。

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2017年1月12日 (木)

貧乏上等

33519667 三島事件というのをご存じだろうか。当時幼少の私は、帰宅した際に兄から告げられて、「ついにやったか」という多少の興奮しかなかったが、兄は随分取り乱した様子だった。自分としては、文学少年であったために、新潮社の広報誌である『波』を読み続けていたこともあって、三島の自死については予想されたことであった。むしろ、その後の反応に興味があった。この時代錯誤の事件に、新左翼や全共闘は気後れと弔意を示し、右翼や文学界は才能への遺憾と弔辞を表明したのである。誰も彼も、そろいもそろって奇体な反応であることに失望したものである。日本の知識人も大したことないんだな、という感想である。事実、その後の文学の廃頽は進み、もはや自分もそうなのだが、趣味を読書などという粋人は皆無というべきである。これは別に、三島事件が契機であるというべきでなく、むしろ、三島事件を生み出すような文学界の有り様が生み出したのである、と断言してよい。今では、小説の類は全く読まない。何の役には立たないからであって、現実の力の方が文学よりは突出しているからである。実際、今期の芥川賞は誰かと問えば、殆どの衆人は知らない。それ程のことなのである。これは、文学界だけではなく、芸能界、マスコミ、学会、経済界、政界など、いずれの世界でも共通している傾向であって、とても慶賀すべきことである。この本の中では(p185~)、例えば、現代の支配的イデオロギーとして、「機会の均等」論や「自己責任」論や「努力した人は報われる」論や「トリクルダウン」論の四つが打ち破られるべきものとして列挙されている。これらはすべて日本政府によって宣伝・扇動されているイデオロギーであり、世界的にも流布されているものである。これ以外にも、「経済のグローバル化」論や「命の平等」論や「投票権の平等」論など、骨の髄までに遍満しているのである。著者は都市部の新中間層に期待を込めているのだが、それは以上の意味においては、三島由紀夫と同じように、夢物語であると言わなければならない。それ以外の確実な方途は、既に、今も、そして将来もあると言わなければならないのである。

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2017年1月 3日 (火)

差別排外主義との闘い

2017_2 新年早々、不快な思いをして温泉場を後にすることになった。仕方ない、こんな時代だから。それで、やや古い本であるが、『大正デモクラシー』(岩波新書、成田龍一著)を年末年始に読み込んでみた。彼によると、日比谷焼打ち事件を契機に、「国民」が登場し、「帝国」のデモクラシーが開花することとなった。主導したのは、言うまでもなく、吉野作造の「民本主義」である。米騒動は、「日比谷焼打ち事件以来の都市民衆騒擾の延長としての性格を持つ」(p89)という叙述には疑問を覚えるが(実際は全国闘争の様相を呈していたのである)、関東大震災(1923年、大正12年)は、都市住民によって、多数の朝鮮人や大杉栄などのアナーキストや社会主義者、労働組合幹部をなめ殺しにしたのである。ここが歴史の結節点であることは疑いもない、と思っている。都市住民の差別排外主義が蔓延し始めたのである。不況と恐慌の社会状況下、「改造」が左右から叫ばれ、支配階級は、「統合(普選)と排除(治安維持法)により選別的に「国民化」を図った」(p199)のであるが、政党政治の腐敗と汚職が茶飯事であり、これと闘う人士(労働者・農民・部落民など)は国家権力の弾圧と孤立の中で満身創痍だったのである。しかし、「時すでに遅し」だったのである。知識層の「民本主義」を乗り越えた民衆の闘いは続いたのであるが、インテリの怯懦と思想的脆弱性は、むしろ体制側を支えたのである(その中でも、山宣の闘いは心打たれることである)。そして、満州事変は大正デモクラシーを木端微塵に打ち砕いて、侵略戦争になだれ込んで行ったのである。故に、差別排外主義との闘いは、常に日本人に問われている根本問題なのである(これ参照)。

 宣治 <好むと好まざるとも やがて来る その日のために>

 新年にあたって、あの辞典を古本屋に売り払うことに決めました。東大系の学者が居並んでいるだけでなく、内容がお粗末過ぎるからである。元々、東大史学は日清・日露戦争だけでなく、先のアジア・太平洋戦争を使嗾したのであり、東大史学も、それに追随する山川出版も凋落したものである。大学受験で山川の詳説日本史を使用したが、今もって知識として以外、何の役にも立っていない。断捨離の時期が来ているのだろうか。次世代インターネットであるIoT(モノのインターネット)の時代には、自分はあの世行きであるから知らないが、要らないものは要らない。今年はどうなるやら。ブログ読者の皆様へのご挨拶は、この記事にアップした画像をご覧ください。

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2016年12月21日 (水)

農業崩壊の原因と理由

32384845 こういう児童書を読むと、概略を掴めるので至便なこともある。児童向けであるから、読みやすく分かりやすい。しかし、結構な値段であるので、どうしても図書館で調達することになる。しかも、図書館の農業陳列棚は、ごく一部の狭小分野を取り扱うものや、市場経済学者による、日本の農業を破滅するための類のものや、家庭菜園向けの野菜関連のものが多い。しかしながら、知りたいのはそういうことではないことが少なくないのである。それは、農業分野に限ってみれば、農業技術や技能は工業とは異なり、自然や地域性によっても左右するだけでなく、農作物の仕立て方が各人各様なことから、継承性という点で、相当の困難に直面しているのである。実際問題、その技術は、ほとんど農業後継者に伝達されていない。しかも、篤農家は激減しており、喫緊の課題となっているのである。日本農業の衰退の理由は、むしろそれが主因なのであるという指摘がある。果樹農家が卑近にも多いのであるが、彼らは寡黙であり、精農家であるために、そうそう伝授してくれるわけではない。また、高齢化と後継者不足のために(この半世紀の間に、農家戸数は3分の1以下になっており、恐らく、既に200万戸を切っていることだろう)、離農や兼業化してしまった家々も多く、住宅地が混在してしまって(里山の消失)、農業を継続する環境でなくなりつつあるのが現状である。TPP問題は、単純に農業や農協つぶしという訳ではなく、金融部門を狙い撃ちしているのである。要は、協同性を破壊して株式会社化することであり、目的は、経済・信用・共済事業の資産を総取りすることなのである。そして、農協は農業生産のための営農指導のみに特化せよ、というのである。これでは採算が取れなくなるというものである。小泉の息子は、三浦大根も農業も知らないネオリベラリズムの大根役者なのであるが、ど素人が自民党農林部会長というのだから笑わせる。経歴が、やはりというべきか、あのアメリカの「名門」コロンビア大学院で特務機関の教育を受けて修士号を取得したということだから、親父共々、胡散臭い政治屋なのであり、親米派であることを押し隠していないのである。こういう輩どもが農政に関わること自体が農業崩壊に拍車をかけているのであるが、かてて加えて、都市消費者の味覚劣化と無関心が棹差しているのである。

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2016年12月 9日 (金)

真珠湾攻撃の再来

33502673 信濃毎日新聞(信毎)の今朝の「斜面」を寝ぼけ眼で読んだ。勤勉や分かち合いとは真逆のカジノ法案を急ぐアベ政権を辛辣に批判した内容である。「政治家がうそをつくのは当たり前」という「悪性のニヒリズム」が日本を蝕んでいると政権批判しているのである。これは、「農業情報研究所」さんが大ニュースと取り上げているのだが、この「悪性のニヒリズム」というのがポイントである。これはポピュリズムの裏返しである。首相の傘下には補佐官、秘書官、内閣官房参与など、ろくでなしが蜷局(とぐろ)を巻いているのである。この中で、内閣官房参与には国民のことなど毛頭念頭にないポピュリストが居並んでいるのであるが、その中の一人で小泉の秘書から首相秘書官にのし上がり、長野県政の参与と併せて、Wアベの参与として暗躍している人物がいる。この参与は、成果としてはゼロなのであるが、権力を嵩にして未だに政界を渡り歩いているのである。それにも懲りずに、松本歯科大学の特任教授にもなっていて、歯科大学で何を講義しているのやら皆目見当がつかない。思想信条が分からない。それはともかく、悪性のニヒリズムというからには、良性のニヒリズムというものがあるのかというと、それこそニーチェの克服なのであるが、ニヒリズムを誤解する人たちは、悪性のニヒリズム(無)に陥ってばかりなのである。だから、彼らは「生」への欲求がない。だから、アベには他人はどうでもいいのであり、一人、部屋の中でぶつくさ「神ってる」(この流行語大賞は野球好きの愚者の選択である。ちなみに、野球は大嫌いである)そうである(昭恵談)。安倍内閣を終了するのは簡単なのであるが、野党を始め、左翼・リベラリストが分かっていないだけのことである。足場が同じであれば無理なのであり、足場が同じでなくとも、この人物のことがまるっきり分かっていないのである(これ参照)。そうやって、日本は崩壊してゆくのである。いつもとは違い、TPP法案なども使い、真珠湾攻撃が既に始まっているのである。

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