映画・テレビ

2016年10月20日 (木)

『君の名は。』と方言

32993572  言葉を拾っていくと、方言は無限にあるのだが、ある程度のことで妥協して出版するしかない。それが、この辞典である。確かに使用されていた方言が、いつの間にか衰退してしまっていることが多々ある。ましてや、テレビやスマホによって、共通語が幅を利かせている状況では、方言はいつかは衰滅する運命にあるのかも知れない。文化(cultura)が農業や労働(colere 耕す)から切り離されて文明(civilizatio)化するにしたがって、「人間の養殖場」である都会(civitas)中心の文明が、地方に浸潤して多様性を喪失させ、単一化する。それを近代化というのなら、そんな近代化は要らないと言わなければならない。映画や演劇や音楽などが一様に不振なのは理由があるのである。子供の頃には、「ひょっこりひょうたん島」や「モスラ対ゴジラ」などがあり、炬燵で「少年画報」や週刊漫画雑誌を愉しんでいたものであったが、今では、テレビとスマホが席巻して、少年少女総体を愉悦させる番組や話題が皆無である。制作側の人間や芸能人の器量が拙陋になっている所為もある。笑えないし、愉しくもない。俳優がバラエティ番組に出演し、番宣して自己満足しているだけでなく、肝心のドラマのストーリーが興ざめである。『君の名は。』は、男女の身体が入れ替わるという設定からして、とりかえばや物語からの焼き直し(最近では『転校生』)であり、ファンタジーに逃げるという方法も今様である。しかしながら、進化していることもある。アニメの美しい精緻な作画であり、楽曲とのマッチであり、秘匿されたサブテーマである。終局の余韻といい、ヒット作となることは間違いなかったのである。興行のための映画という側面は致し方ないことだと思う。『君の名は。』を鑑賞した息子が、感動したのかどうかは知らないが、顔見知りの中年女性には不評であった。おそらく、そのご婦人は理解不能であったことだろう。ちなみに、新海誠監督は厳しい自然が当たり前の県内出身者である。コツコツと努力する人柄と見た。

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2013年10月29日 (火)

『トンイ』のメッセージ

190pxhan_hyojoo_2  このところは、稼ぎの労働をするばかりで、読書もそっちのけで、専ら『トンイ(同伊)』をYou Tubeで視聴している。ハングルと英語の総復習でもある。『イサン』のような権力闘争の話ばかりでなく、脚本や演出、時代背景やシーンなどを丹念に1話から追っている。断然こちらの方が秀逸であるであることは相違ない。このドラマでは、いくつかのメッセージが秘匿されているが、これは追々記述してみたい。ヒロインの女優であるハン・ヒョジョ(한효주)は、これと言って眉目秀麗という程ではないが、そこらにいるような、ごく普通の佳人という感じで、悩みながらしかも初々しく演じきっているのが好感を持てる。とても内省的な性格も感じられる女性である。日本の女優は比肩するべくもなく、日本の映画・ドラマは、夾雑で卑猥で喋々しい。日本社会も日本人も、すっかり様変わりしてしまったのである。

 今月15日、山本太郎議員を除いて、衆参国会において2020年東京五輪成功決議がなされたそうである。これを知って、空恐ろしい思いがした。東北復興や原発事故・汚染水問題が解決の目処も立たないにもかかわらず、嘘と利権の東京五輪に賛成するなどということは、共産党も社民党も軍門に下ったということである。完全なる大政翼賛会である。しかしながら、闘う人士は社共主要打撃論に陥ってはならないし、自らの優越心に浸って自陣営の仲間を罵倒してばかりでは敵を利するだけである。共同戦線を結びながら、自・公連立政権打倒のために闘うべき時である。戦争はドンパチで始まるのではない。国家による戦争策動は既に始まり進行していると認識するべきである。戦争遂行のためには、まず民衆を反動的イデオロギーに染め上げなくてはならないのが総力戦の近代戦争の鉄則である。民衆は反動と闘い、生き延びなければならないということは、『トンイ』のメッセージの一つでもある。

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2011年7月19日 (火)

油断大敵

20110717073752  深水がありすぎて今年の稲作はやや失敗か。クサネムやイナゴなどが発生し始めて、管理をより入念にしなければならない。稲の花が咲くお盆に向けて、修正できるかというところです。油断大敵、毎日通い詰めなければならない。

20110716181939  歴史は繰り返すのではないか。NHK連続テレビ小説「おひさま」の視聴率は好評のようです。戦前も扱って年配の視聴者を呼び返したこと、大震災の経験から悲喜交々の日常生活の幸せを噛み締められること、安曇野風景の美しさ、感情描写がメリハリのある台本力、さらに、「平成の高峰秀子」と絶賛される井上真央の演技力などが功を奏していると思う。嫁はんと二人で、「これ、ありえねぇ」とか、「ちょっと変」という筋書きや動作が評価することもありますが、概ね、好作品になっているようです。実は一方で、韓国ドラマの「イ・サン」も鑑賞しているのですが(なあ~だ、しっかりテレビを見ているじゃあねぇか、という皮肉は無視して・・・。というのは、若かりし日の一時期、演出家志望でありまして、ドラマには関心あります)、「イサン」の方が、目や表情に役者の旨さを感じざるを得ない。「おひさま」にはミスキャストの役者が散見してしまい、見続けるの辛いというのが正直な感想である。笑顔や希望には、人を動かす力があるということは言うまでもないが、それは同時に、事態を隠蔽する役目を果たす力もあるのである。そしてその力は、一つの世論と体制に従わせ、それ以外の考えや思想を持つ人々を無視したり、排外したりするあり方を想像させる。仔猫たちも、桜の木の下で、排泄をしながら見ています(笑)。

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2010年5月20日 (木)

オトコの介護

32395798  NHKの連続ドラマ・「ゲゲゲの女房」の人気は上々ということです。主人公を演じる松下奈緒さんも美人でもあるし・・・(笑)。水木しげるが紙芝居の絵師や貸本漫画家出身であることにいささか感動した。少々ひねた少年時代でしたので、ジャンプ漫画のようなスポコンや冒険漫画には全く興味がないし、ジャンプ全盛時代には漫画読者を卒業してしまったので、当時のおどろおどろしい気味のあった少年漫画が懐かしい。結構、戦争の余韻と混乱があったので戦記漫画もいろいろとあったなあ、と感慨。

 今、日本には約100万人の男性介護者がいるという。この本は、このことのもっている意味を明らかにして、ネットワーク作りの必要を訴える内容のものである。嘗ては介護は嫁の仕事とされていた時代は様変わりし、介護者の三分の一は男性介護者の時代になっているのである。そう言えば、介護殺人・虐待の記事やニュースを見聞することが多くなってきている。加害者の約7割は男性介護者ということである。男性による「老老介護」、「子の介護」、「息子の介護」、「シングル(独身)介護」が急増しているのである。男性介護者の一番の問題なのは、失職による経済的基盤が揺らいで貧困の引き金になるということである(p27、107)。掃除や洗濯などの家事は努力次第で賄えるが、貧困化が殺人・虐待を誘引することは間違いないだろう。これに高齢化と未婚、孤立化が拍車をかけている(p106~)。同居家族がいる家庭では、基本的に、在宅介護サービスの利用制限があり、介護保険の適用外となっていることがネックとなっているのである。編著者は、家族支援者支援がこれからの介護保険の課題と訴えている。まことに尤もなことである。それから、男性介護者は、その特性を生かして、こうした介護・介護保険の改革の狼煙となる可能性があるのだとエールを送りたい。介護が女性だけの仕事だと思ったら大間違いだということでもある。

 

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2010年5月 4日 (火)

想像力欠如の時代

20100504192908  だらだらと一日を過ごしました。寝るのが大好きなので昼寝をしました。川中島平の農家では、昔から、春の彼岸から秋の彼岸まで、お昼寝をする習慣でした。だから、夕刻になって野菜の苗植えをしました。今年は野菜が高値ということで、節約志向のかみさん命令でもあります。ついでに花も。今年は天候不順ということもあり、又、休日は曇りもしくは雨模様で、久しぶりに休日の晴天になり、やっとのことでの農作業でありました。

 このところの関心は、NHKの朝の連続ドラマ、「ゲゲゲの女房」であります。小学生の時、鬼太郎の似顔絵を講談社に送ったところ、入選してゲゲゲの鬼太郎のソノシートを貰ったことがあります。チャンチャンコ姿や髪型や雰囲気が似ているので、まんざら嫌でもなく、毎週読んでいました。やっぱり奇態な少年時代でした(笑)。「ゲゲゲの女房」は、ただそこにあることの幸せをテーマにしているようです。何か目的や資格や金銭のためではない生活の豊かさを訴えているようです。また、東京・調布市はゲゲゲ一色のようで、市民になると「ゲゲゲ特別住民票」を交付してくれるそうです。妖怪の街になっているようです。また、境港市はゲゲゲの街に既になっているようで、日本全国がゲゲゲの街になったらいいな、と内心思っています。そういえば、その頃の昭和には、幽霊や妖怪話があちらこちらにあったと記憶しております。比較すると、味気ない時代と世の中になったような気がします。想像力が欠如しているのではないか。そんな余裕も無くなってしまったようである。

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2009年3月16日 (月)

韓流ドラマ

07205102  大阪で過した経験が長かったので、コーリアンには親近感がある。大阪東部で生活していたので、空気のように、朝鮮・韓国の雰囲気を感じ取れた。「在日」の方々が当り前のように生活しているのである。チマチョゴリの美しさ(春にはとても似合う)は例えようもない。袖・襟、白、合わせという究極の美を服飾として完成させている。朝鮮の春はレンギョウを始めとする黄色に始まるといわれる。だが、白に拘るその感性は、チョゴリに反映している。朝鮮高校の女子学生が春風になびかせているオッコルムは、何か律動させる風景を醸し出していた。NHKで放映されている「ファン・ジニ」(こちらの方が分かりやすい)を毎回鑑賞している(ために、日曜朝は寝不足である)。これを「ガラスの仮面」と批評する人もいるが、そういうことよりも興味があるのは、自然やファッション・衣装や作られ方の民族的な感性である。韓流ファンが多いのは頷ける。だがこの年では、ハングル文字は読めるが、日常的な意味まで理解できない(逆に、韓国人は漢字を読めない時世ということである)。それが残念である。WBCやディスカバリーよりも、ファン・ジニに嵌まっている今日この頃である。

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2008年5月26日 (月)

「ちりとてちん」再考

20080526094014  テレビは見ない、と公言しているが、実は選択して見ているのだ(笑)。NHK連続テレビ小説やアラフォーなど。妻子が点けているいるので、気になるとつい画面に釘付けになる。という訳で、「ちりとてちん」(Wikipediaの項参照)について。

 ようこそのお運びで。前回のテレビ小説「ちりとてちん」は、平均世帯視聴率が過去最低という評判である。しかし、見続けた人にとっては、「ここ二十年間での最高傑作」という褒めようである。朝日の文化欄でも、、「時計代わりにならぬ充実度」とべた褒めである。「(落語好きな)ホリイのズンズン調査」(週刊文春連載)では、(主人公が)最後に落語を捨てるなよお、と悪態をつきながら、号泣回数を調べ上げつつ、最後まで落語的だった、と褒め上げている。その他、賞賛の声は数知れない。身近な人でも、泣きながら「良かった」と洩らす人は多い。関西での視聴率は、終盤にかけて跳ね上がっている。大阪制作のため、「ちりとてりん」の評価は関東圏ではイマイチだが、関西のよさを理解していない故であろう。大阪の名誉の為に記しておく。時宜に適した落語を題材にしたストーリー、有名でない配役陣、キチンとしたキャラクター分け、さりげないナレーションなど、どれも申し分のない内容のある企画だった。努力すれば何事もできるのではなく、できなくて苦悩する「へたれ」な主人公の生き様は、確実に視聴者の心を捉えたようである。時代は、地位・名誉や成功・裕福や自己負担・責任などの画一的な価値観に対する飽きへと口を開いているのであろう。喜怒哀楽の生活の中で、抗いながら生きるそれぞれの人生の無様さ・ひたむきさを、見事に描いて仕上がっている番組だった。少し不明でもあるが、「ふるさと」や「家族」ということもテーマになっていた。しかし、どれもこれも視聴者の思いと共振したのではないか。視聴しなかった人には、文字通り「一生の損失」と断言してもいいだろう。

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