日記・コラム・つぶやき

2020年9月14日 (月)

終焉への道

2020091218030000 陰気な政治屋が日本国の宰相になる。農業に嫌気がさして上京したというが(この自慢の苦労話が東北農民をバカにしているのに吐き気がする)、唯々都会に出て立身出世をしたいだけだったのである。秋田は、国学の士である平田篤胤の出生地であり(彼もまた故郷を捨て出奔した)、奥羽越列藩同盟を切っ先に裏切り、今でも自民党の根城(自民王国)である(県知事も久保田藩の末裔である佐竹氏という驚きである)。そのために、現在も人口流失と過疎化が激しく招来しているのである。一刻も早く改変すべきである。
 ここからは持論であるが、本来、普通科の進学校は廃止するべきである。都会への大学と「有名」大学進学が目的だからである。中学卒業後は職業高校への進学制度を構築するべきである。適性がなければ別のコースへの編入もスムーズに編成されるべきで、学校制度はいつでも進路変更ができるように複線式にするべきなのである。普通科の高卒では社会的に何の意味もないのである。大学入学は20歳過ぎで十分であって、その間に学生は適性と能力を積み上げるべきなのである。医学部は、その意味で最も適性の無いものが所属している典型的な例であり、社会的地位を確保しながら患者を顧客にして荒稼ぎしている人物が多くいるのである。病院を受診してみたら一目瞭然である。患者が死ぬとわかったら何の関心もなく患者を見放すのである。エリートと言われる彼らが、自民党の圧力団体としての医師会と医療皆保険制度に安住しながら、この間のコロナ禍において、国民のためにほとんど役割を先導していないのも尤もなことである。むしろ自公政府のお先棒を担いでいるのである。ある著名な大学の医学部教授会を垣間見たことがあったが、それはそれは「白い巨塔」だったのである。
 また、職業高校や理工系大学にしても、理工系の予算配分を格段に重視するべきである(尤も、文教予算が過少すぎるのであり、膨大で無駄な防衛費を削減すべきである)。資源もなく少子化の時代に唯一期待できるのは、教育の力のみである。文系はリベラルアーツとして留めるのである。1991年に教養部(リベラルアーツ)を廃止するという文科省の失敗があったのだが、近年のノーベル賞受賞者を見てみると、知性がとても感じられないことが多い。教養を積んで理系的思考もできる人間の教育を目指すべきである。普通科の進学校卒で偏差値の高い医学部進学など洒落にもならない。患者の顔も見ず、問診と検査のみで、聴診器も当てずに触診もせず、患者とコミュニケーションも取れない医者などいらないのである。一事が万事、活力の無い日本になっているだが、自民党政治など全くもって時代錯誤と言わねばならないのである。

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2020年8月25日 (火)

人類の試練

34094344 朝晩は三日連続して夕立があって清涼になっているが、日中の10時から16時はやはり暑くて野良仕事はそれ以外の時間に限られている。一時期は夜間に蝉と蟋蟀が同時に鳴いていて、この異常気象を実感したものである。今は、軽く中干しを終えて、盛んに出穂している時期に当たる。水管理は様々な理由で難しく、しっかりと深水にすることができないのが悔しい。間断潅水で凌ぐしかない。「最終的な落水は、ふつう、出穂後35日頃から」と教科書(p69)にあるから、10月1日前後になるから、収穫は10月半ば以降になるのではないか。ここ数年は品質低下となっているので登熟の具合を見守るしかない。
 コロナ禍の中で日本社会が疲弊しているのだが、一向に明るい兆しは見えない。当然と言えば当然である。日本の歴史に虚偽があるからである。高度経済成長を経てバブル経済が崩壊して失われていくばかりの理由を全く自覚せずに、頭の中身は夢遊病に取り憑かれているからである。終戦を敗戦と規定することなく戦前の体制を保持したまま、世界の相対的安定期と米ソ冷戦期の中で、朝鮮戦争やベトナム戦争という他国同士の殲滅戦によって復興と経済成長しただけのことを理解していないのである。「奇跡」は偶然であったのである。歴史認識の愚昧は日本の政界や財界などすべての業界に浸透していて、すべての災禍は人災と化しているのである。役に立たない連中が権力を握り、それに平伏す人間ばかりになっているのである。何をか況やである。申淑玉は「18歳になるまでにバカヤロー!と言える人間を育てろ」と教師に向って要求しているが、教師もまた解放されなければならないことを明言している(『向かい風が吹いていても』p130)。しかしながら、もっともっと歴史的に自覚するためには、不要不急のこの国の宰相には、もっともっと「頑張って」もらいたいものである。
 8月初旬の梅雨明けと同時に、当地でも例年以上の暑さを迎え、お盆を前にして二人の知人が不帰の客となってしまい、収穫して茹で立てのトウモロコシを齧って偲んだことである。面会して色々と話したいこともあったのだが、二つの個人史が失われたのである。アタリは、『21世紀の歴史』の中で、2035年には生態系に甚大な危機が訪れて世界的な多極化を予想し、ホーキングとカーツワイルは、「2045年には人工知能(AI)が人間の知能を超えて(技術的特異点)人類は終焉する」と断言しているが、それ以前にカウンターとしての人間の知性が養成されるのだろうか。人類は試されているのである。尤も、その頃には私はこの世に存命していないので、悪しからず(笑)。

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2020年7月29日 (水)

『農家が消える』

2020071817290000  午前中に田んぼと畑の状態をチェックするのみで、日がな一日、体を休めて午睡もする。年齢を重ねて体力も落ちてきているのである。あの世が近くなり、諦念することが多い。農に生まれて農に死ぬ、ということである。
 日本の農業と農山村の衰退が叫ばれて久しい。しかし、無用の長物である自公政権は農協つぶしを公言している。テレビでは、お笑い芸人が「うまい!」「おいしい!」という番組が氾濫しているが、これを見ると、「酷いもんだな」と嘆息するばかりで、空しく机に戻るのが日常化している。農業生産物に対する畏敬が足りないのである。生産する農家への想像力が足りないのである。半世紀ほど前には、「飯だと聞いたら火事より急げ」という諺があって(『信州ちくま 食の風土記』p147)共食が当たり前であり、「食べものを粗末にするとバチがあたる」あるいは「ご飯(米粒)を残したら目が潰れる」と子どもに諭したものであるが、今では金さえあれば商品として購入し、煮て焼いて食おうが勝手である飽食の時代となっている。驚愕すべきは、出荷された食料の三分の一は廃棄されている常態である。消費者は低廉な野菜が高値となったら不平を鳴らし、農家の手間暇への関心はほとんどない。例えば、イネとヒエの識別や野菜の一番果は早期に収穫することは農家の常識である。このように考えると、都会のテレビ芸人ほど罪深い人々はいない。
 1960年には基幹的農業従事者が1200万人だったが、今では200万人を切っている現状を知っているのだろうか。集約された地域農業の技術や伝統野菜品種が継承されていないこともある。農業後継者不足は地力や地域保全とも連関する。自然との共生は地球環境を守ることでもあるのである。また、食糧安保の考えからも、有事には食料輸入は途絶えて食糧危機が到来することすら予想される。私見によれば、農業の担い手不足の中にこそ日本の全ての問題が集約されているのであり、この視点から見るとすべての、そして異常な日本社会が見えてくるのである(参考文献『農家が消える 自然資源経済論からの提言』)。畢竟、農業への軽視と侮蔑である(野坂の農業論も参照。これも)。

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2020年7月21日 (火)

快癒を祈る

2020072108540000  大学時代の親友からの電話で、同級生が術後の経過がよくないとの連絡があった。聖書集会の繋がりである。職業高校からの、推薦入学ではない文字通り精一杯の進学であり、知り合いもなく、かつ貧窮していたのである。なけなしの親からの入学金5万円も支払って、生計すら覚束ない有様で、アルバイトだけが頼みだったのである(新型コロナの影響で困窮学生のことを想う)。だから、同県人の学寮のS先輩が心配してカネを融通してもらったり、日払いのバイトで糊口を凌いていたのである。夏休みに入ると即座にバイト尽くしで、それで授業料(その後のバカ高い授業料など才能を見捨てているとしか思えない自公政府の施策である)や生活費を賄っていたのである。奨学金が入って漸く大学生活が安定してきたのだが、それでも食費と書物の購入などのために、赤貧に甘んじた大学生活であったのである。衣類や履物はボロボロで、みすぼらしい貧乏学生そのもので、女子学生と付き合うことも、大学生活を「エンジョイ」することも、疎遠であったのである。ひとえに学問研究への憧憬があったのだが、それもままならなかったのである。ただ、大学時代は、何の実績もない、論文審査の極右教授を除けば、大いに恵まれたと思っている。
 その同級生は日本史学科の女子学生で、仄聞によれば、長野県送出の満蒙開拓団に関する研究を選択されていたのだという。自分は自分で孤独な闘いで苦悩していたのであるが、彼女は彼女で私的な悩みを吐露していて、大学内の無教会聖書集会において、キリスト信仰に救いを求めていたのだと思う(その聖書集会での原典購読においてコイネーを習得し、今でも新約聖書の冒頭や「主の祈り」を原語で口誦できている)。彼女の卒論選択は、彼女の内なる声に呼応していたのかと今でも思っている。直接話すことは少なかったのだが、お互いに精神的に相似していたのかも知れない。色白の顔色の中にも真剣な眼差しを覚えている。あまり大笑いすることなく、怜悧で内向的な表情が印象的である。その後は、信仰を守って公務員となり、結婚されて二児に恵まれ、定年して病に取りつかれたそうだが、時々、彼女のその後の人生を一顧することがあったのである。どうか病に伏している彼女が心身ともに快癒することを、衷心より願っている。

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2020年7月 2日 (木)

絶望を希望に変えない経済学

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 偶然、昨年のノーベル経済学賞(偽のノーベル賞である)を受賞したという新刊本を図書館で見かけたので手にしたのだが、期待外れだった。表題とタイトルにも違和感を覚えたのだが、全くもって経済学が無力であることが分かった次第である。彼らの経済学は有害無益であるとも言えよう。アマゾンを覘くと、何とビル・ゲイツが「今夏必読の5冊」に選出と推奨しているらしい。こりゃあ、ダメだと思ったものである。著者の結論は、世界の二極化即ち相入れない分裂した世界という認識に立ち、その危機意識は正しいのだが、その解決策が疑わしいのである。世界の二極化は、根本的には欲望に根差した世界的な経済的格差を招来しているのだが、それに対する回答がよい経済学であるというのが間違っているのである。よい経済学はなぜ悪い経済学と闘わないのか。現実の経済は悪い経済学が席巻しているのである。著者もまた、「よい経済学だけで人々を救うことはできない」(p467)との言辞や「経済というものは硬直的である」(p138、465)とも吐露しているのだが、やはり経済学に一縷の望みを抱いているのだろう。著書の基調には、全体的にはヒューマニズム(p467)とアメリカ経済との関わりの中での開発経済学としての立場が一貫しているのであって、結論もまた良心的な落としどころなのである。経済と経済学の成長神話に対する批判はあるものの、それに対する根本的批判はなされていないのである。今や経済学の中心はアメリカであり、アメリカの経済学者がノーベル経済学賞を数々受賞して領導している。そして、彼らの拠点もアメリカであり、MIT(世界一位、二位を争う大学と喧伝されている)のフォード財団支援の教授ということだが、かてて加えてノーベル経済学賞の「栄誉」とゲイツのお墨付きをもらうような学者に何か意味があるのだろうか。とはいうものの、富の集中問題やシリコンバレーのハイテク技術などの言及には多くの示唆を得たことである。
 本日は終日、遅まきながら、黙々と孤独に、梅仕事(梅の甘酢漬けや梅干し作りの前段作業)に関わったのだが、一つ一つの梅を採取してアク抜きした梅を愛おしく確認しながらの作業であり、不足分の赤紫蘇を購入したり、漬物桶を日光浴させたり、田んぼの水位を確認して雑草対策を案じたりで忙殺された一日であったのである。

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2020年6月17日 (水)

民衆の革命戦略

2020061415090000 14日の午前に田植えが終了する。梅雨模様なのだが、昨日から晴れ上がり、植え直しをしなければならない。米作は、米という漢字に象徴されるように、八十八手の手間が必要である。昨年の稲株を畦に寄せて、苗に太陽光を供給する作業や水抜けがない様に畦塗りを補強する作業など、することが多い。一人で行っている以上は、作業の段取りを頭の中で予定しているのである。
 ところで、数日前の信濃毎日新聞で、世論調査の結果でアベ内閣の支持率が2割弱だったことが話題になったのだが、これは至当であろう。全国紙(中央紙)の4割支持という結果は都市ならではの話なのである。未だに自民支持層は地方(田舎)だと勘違いしている人がいるが、むしろ都市の方が多いのである。この事実は議員数とマスメディアの報道を見れば、一目瞭然である(テレビ番組の劣化は甚だしい)。時代の逆行を表示しているのである。
 そのことを指摘する寄稿が、先日信毎でも掲載されていたので瞠目してみた。新型コロナ禍をめぐるアタリの論考である(ちなみに、この寄稿は、ロイター=共同の配信なので、信毎独自のものではない。ETV特集でも町山氏の放送批評はとても参考になる)。そこでは、「命を守る経済」のために、六つの重大な転換が起こると予言されている。J.アタリは、文明批評家としていくつか的中した思想家としても著名である。内容は、既にこのブログ記事の中で何度も指摘したことである(例えば、これなど)。「①距離ーリモートワークの可能性と都市在住の不必要性②生き方-欲望の経済から命を守る経済へ③普遍的利益ー利潤を目的とした資本主義社会から利他社会へ④透明性-情報の独占から民主主義の手段としての情報の透明性へ⑤未来に備えるー将来の脅威を回避するために命を守る経済へ⑥世界の一体性ー市場のグローバル化から道理や正義の民主的グローバル化へ」である。アタリは人々が少しずつ気付きつつあり、やがて民主的に一般化すれば、大いなる展望が開けることを予想しているのである。しかしながら、このような方向転換において、どのような主体と方法が採用されるべきかが明瞭にされていないが、一部暗示はしている。「私たちはあらゆる戦略を用いてあらかじめ敵を知り、戦いを優位に進められよう」と。このことはマスメディアを媒介する人々(都市在住の一部インテリ・知識人・芸人)に期待するべきではなく、民衆の中から個々の思慮の連帯から始めるべきであると了解している。

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2020年6月12日 (金)

尊大な奴隷

2020061117100000  昨日の大雨で県下は入梅となった。調整しながら田に用水をかける。周囲はすっかり田植えを終えていて、静かな里山風景となっている。その季節となれば農民は、例年のルーティンの作業をする。怠け者の自分は、遅ればせながら追随しているばかりである。
 実体経済と異なる株式市場は急落している様である。コロナ禍というショックドクトリンを利用して、新自由主義市場経済は、国家統制と規制の緩和と称して「自由に」市場に委ねることを一応の方針としているのだが、一歩進んで、強欲にも国家財政を大胆に蚕食しているのである。経産省と電2の癒着はその証左である。アメリカの黒人差別抗議運動は、トランプ大統領を直撃して拡大している。死亡したフロイド氏の姪は、「『アメリカを再び偉大に』と言う人がいるが、いつアメリカは偉大だったのか」と訴えている。日米を比較すれば、日本人は尊大な奴隷であると言わねばならない。これほどのアベ政権の失政がありながら倒壊しないのが不思議である。
 近代の終焉と言われて久しいが、近代の人間中心主義は、現代においては、情報通信技術の発達(IT革命)と生命科学の進展によって、社会「変革」と人間改造は飛躍的に増進しているのである。ここにはパラドックスがある。資産家だけが人間であって、それ以外の者を非人間的に管理と統制を強いる体制である。これはM.フーコーが示唆したことである。また、新自由主義思想は何ら民主主義を必要とせず、グローバル化に伴って国民国家を侵食してゆくのである。アメリカの病は解決せずに、抗議運動は人種差別や経済格差問題などで繰り返されて、「アメリカの終焉」(J.アタリ)となるのかも知れない。これは中国も例外ではない。帝国主義国家とスターリン主義国家との対立の中で、世界は多様化しつつ崩壊してゆくのかも知れないが、その先には、非対称な監視された一元的世界システムが現出するのだろうか。それとも、人々が強盗たちを非対称的に強制して共同性を志向してゆくのだろうか。この10年の、2030年代までの民衆の課題と言わねばならない。
 

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2020年5月22日 (金)

帝大と権力志向

2020051617240001  前回の投稿で、検察庁法改悪法案の強行採決であろうという私見(予想)について、誰かと違い、素直にお詫びしたい(笑)。珍しく(?)外れてしまったのである。やはりアベ内閣の無理筋の強行は国民の不評があり、検察当局との暗闘などが絡んで、一旦退却して宿願の憲法改悪へとシフトしたいという狙いがあると思われる。世論の勝利と断じるのは、そうは問屋が卸さないというところであると思う。国家権力は国民を篭絡するには余りにも狡猾であるのは確かと思われる。むしろ、文春は利用されたのではないか。別に、腹黒川にこだわる理由もなく、行く行く賭けマージャンは暴露されると判断されたからに他ならない。「政界は一寸先は闇」という言葉があるが、これはその世界に所属する人間の慨嘆である。庶民からすれば闇ではないのであり、むしろ自分たちの希望なのである。
 賭けマージャンについては、経験者は多いのではないか。ゴルフや(高校)野球やサッカーなど勝負に関わるスポーツではよく行われることであり、検察(権力)への期待も止めにした方がいい。この人たちはグルである。舌鋒鋭いと言われる郷原もゴニョゴニョ、家族ぐるみの付き合いだったという若狭も涙目。新聞メディアもグルであることが判明しているのである。あの大学卒業生は権力志向が極大であり、庶民からしたら、廃校にした方がいい。支配階級の二世、三世のたまり場なのであり、やはり、50年程前の「帝大解体」であったのである。彼らは変り身も早いことも覚えている。
 夕刻、絹サヤの移植中、カッコウの初鳴きを耳にして、田植えの準備を急がねば、という思いである。

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2020年5月17日 (日)

遍満するナショナリズム

2020051617250000 曇りから雨模様の一日。久しぶりの休日を自宅で満喫する中で、先日播種したポットの様子を眺める。絹サヤは、またの名はサヤエンドウである。連作と酸性土をとても嫌い、施肥の要領が難しく、病虫害も出やすいので、とても栽培が不得手である。しかしながら、何とか今年はいい成果を望みたいところである。ここ数年夏場に栽培しているのだが、多少の収穫のみで、播種して芽が出た頃には鳥の餌になったり、酸性度が強くて生育が乏しかったり、やはり当地では越冬栽培が慣例なのかなと思ったりして創意工夫と試行錯誤をしているのだが、これといった解決策は今のところ見当たらない。これも自分の独善的な農業である所為なのかもしれない。

 世の中は新型コロナの話題で 遍満しているのだが、どさくさに紛れて提出された検察庁改悪法案に対して、珍しく一部芸能人も反対の声を挙げている。この間のコロナ禍に対する政府の失政と遅政は隠しようもない。オリンピック開催に拘っての新型コロナに対する認識の甘さ、アベノマスクや10万円給付などの遅滞、検査制度の構築や検査数の緩慢など数え上げたらキリがない程である。さすが「国民の生命と財産を守る」と豪語する自公政権である。この政権はもっともっと続行するべきである。
 それにしてもこの政権の成果は一体何があるというのか。2007年の年金記録問題を解決できなかった自公政権が、現在もまた飽きもせず継続している現実をどう見るかという問題である。「♯検察庁法改正案に抗議します」というTwitterトレンドが一位になろうが、残念ながら、二重の意味で大勢は変わらないと思われる。それは単なる抗議に他ならず、政権側はこれを無視して強行採決するのではないか。元々、Twitterを使用している者がそれ程いる訳でもなく(世論というのには程遠い)、数の水増しという疑惑もある。また、政権側は自らの保身もあり、国民を見くびっていることもある。その根底には、ともすれば政権側と国民側とのゲーム性が潜んでいるのである。各報道機関による内閣支持率4割の調査がよく発表されるが、これには信憑性がない。自分の家にも調査の電話が入った実体験があるが、平日の日中では、のんびりと応じる訳にはゆかない時間帯である。半分の無関心層や繁忙の人や反対の人ならば、峻拒するか、不快な質問のために中断するのが当然である。だから、半分の、またその4割ということから、支持固定層は2割しかいないのである。国民の8割はアベ内閣を積極的に支持していないのである。
 もう一つの問題とは、自分が国家の奴隷であると自覚しているかどうかである。「まともな国民」としての批判ならば誰にもできるだろうが、それでは国家権力とは対峙できないことは自明である。その有り様を見て国家の側は「真正な国民」を侮り続けるであろうということである。80年代以降の右傾化は、思想的には新自由主義を標榜して市場主義経済となって世界的潮流となっている。しかしながら、いかにグローバリズムが進展しようとも国家が消滅することはない。むしろ、ナショナリズムの回路はあらゆる分野で強化され、遍満しているのである。そのことを自覚した時に政権は倒閣されるのである。この間のコロナ禍と検察庁法改悪法案の国事を見て、そんなことを反芻するのである。

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2020年4月27日 (月)

都会の若者たちへの手紙

2020020110460000 「拝啓 お元気ですか。コロナ禍で社会が混乱し、日常生活が閉塞しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。さて、今回手紙を出すにあたって、多少のアドバイスをして、あなた方の人生行路に資することを願っております。コロナウィルスの蔓延で、政府の不作為やマスコミ報道の錯綜などで不安な日々となっていますが、これらに惑わされずに、戦時のような国家統制と宣伝にも警戒しつつ、自分の力を信じて全力で対処してもらいたいと思っています。
 1、対処方法
 基本は手洗い消毒、マスク着用、人との接触をできるだけ避ける(外出注意)の三点に尽きるでしょう。コロナウィルスは人(宿主)との媒介で生息するものだからです。歴史的に人類は、ペスト、コレラ、スペイン風邪、インフルエンザなどの災禍を何度も経験していますが、新型コロナはこれまでの最大級のものとなっています。したがって、自分で熟慮して冷静に且着実に判断する必要があります。山中教授のHPを参照してみてください。
 2、生存の戦略
 コロナウィルスの蔓延は世界経済に多大な影響を及ぼしています。これからの生活において、客観的に、数ヶ月で解決するものではなく、2~3年の災禍となるのは覚悟しておくべきでしょう。この時、漫然と無為に過ごすのではなく、自分の将来設計をよく練り上げることに注力するのが大切であると思われます。テレビ報道やネット情報に一喜一憂することなく、読書を取り入れましょう。
①PCスキルの向上、今までの勉学の復習、自給自足生活への転換、他の資格取得、必要とあらば転職の方策を練るなど、情報リテラシーの獲得と活用をして、有意義に過ごすのがよいと思います。危機をチャンスに転化することです。これからの時代はとても厳しいものになると認識する必要があります。しかしながら、若ければできることです。
②今の生活を維持していくために、あらゆる方策を講じる必要があります。生き残るために何が必要か、何をしなければならないかを考えて、実行することです。これは同時に、自分のことを客観的に見ることができるかということでもあります。生きるために仕事をして生活費を稼ぐことですが、欲をかき過ぎず、生活費の中で賄って節約と節税に努め、自己管理を徹底することが求められます。総収入の三分の一は家賃、三分の一は生活費、残りは将来資金という「三分の一原則」を遵守して、華美や贅沢を控えることです。
③心身の健康保持に努める必要があります。今回のコロナ禍では、体力・免疫力が生存にとって不可欠です。罹患しても、それらがあれば生還できます。食の大切さを再認識して、しっかり食べて心身を健全にしてください。健康第一です。
④将来と火急の時のために、無難に手元資金(貯金)を残してください。お金が全てではありませんが、将来に備えることです。これが自分が生き抜く基盤(自立)となります。そのために、行政の支援を活用することです。面倒がらず、良く調べて申請して補助を受けてください。至当な市民の権利でありますが、黙っていれば行政は何もしてくれません(申請主義)。また、行政や施政者をむやみに信用してはいけません。声を挙げて批判して要求することが市民の権利であることを忘れてはいけません。主権は我々にあり、彼らは奉仕者であるからです。更に、芸能人やスポーツ選手や学者などにも気をつけてください。彼らは我慢と絆ばかりを要求するだけで(同調圧力)、我々の実生活においては、彼らの放言は無益であることがほとんどです。地方出身者は、沈静化の後にUターン帰郷するのがよいでしょう。都会は死ぬために行くようなものです。他方、都会の人々は地方移住を考えるべきでしょう。なぜなら、都会こそ「三密」そのものだからです。
 以上、老婆心ながらアドバイスを致します。健闘を祈ります。生き残ってください。                      敬具」
※左上の写真は、本年2月1日の上野・アメ横商店街の様子です。 

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