究極の災害・人災
この所、長らく積読していた図書館の廃棄本を読み進めている。彼は戦後の短歌界を一新したアララギ派の歌人であるが、余り評価されていないような気がする。影響を受けた歌人として、知っている限りでは、道浦母都子(昨年で信毎歌壇の選者から退いたことが残念である)と荻原慎一郎である。実感に根付いたリアリズムと生活者からの政治意識という点で、石川啄木にも似ているのではないか(他方で、石川啄木は典型的な遊び人でもある)。歌は、このような作者の屹立する表出であらねばならないという思いである。もう少し、この本を読み進めてみよう。
年賀状の中の一枚に、「熊も政治屋も駆除が必要ですね」という添え書きをつけた先輩がいた。彼は日大全共闘の闘士であった。今は息子に譲りながら会社経営をして、狩猟を趣味として(彼から始めて『狩猟界』という雑誌を知ったのである)、その関心からの付言と思われて、内心一笑したのである。年末の自民党の裏金問題と、年始の能登地震と飛行機同士の衝突事件という人災と災害が続いていることに、人々は新年早々不安の渦中にあるにもかかわらず、政治の退廃はとどめがないのである。政治は人々の生活に直結しているにもかかわらず、人々はそうした教育を受けずに洗脳に囚われているのが現実である。政治は、忌避されるものでなく最も論議されなければならない問題なのである。知識人は何のために仕事をしているのか。世界の戦争の惨禍・惨状をいつまで傍観しているのか。無能な政治屋の跋扈という日本の政治状況(究極の災害・人災)をいつまで座視しているのか。知識人の決起が待たれている、2024年の冒頭の有り様なのである(リーフェンシュタールの「服従的な空虚」とアーレントの「悪の凡庸さ」)。
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