民衆は忘れない
『日の丸は見ていた』の続編である。少国民とは戦中の国民学校の小学生のことである。櫻本のこの本は、戦時下の少国民の文章、戦時歌謡、戦中詩へと話が進む。彼は幼稚園を経営していた経歴もあってか、児童文学者が徹底糾弾される。櫻本を含む少国民の怒りが爆発しているのである(p202)。特に、「大人は適当な言辞を弄して少国民を錬成し、少国民はひたすらその言辞を信じて、『大君の辺にこそ死なめ』と煽動された。そんな大人の先頭陣に、少国民詩の文学者が位置したことを忘れてしまったら、少国民よ、浮かぶ瀬もないだろう」(p248)と訴えて、「少国民詩の呪縛力は、その頂点で、『後につづけ』全員特高隊員である、というおぞましい正体を露呈した」(p275)と解明している。音楽の教科書などにも、戦争協力した山田耕筰、堀内敬三、信時潔、中山晋平、古関裕而等の作曲家が記憶されている。現代では、阪神と早・慶大の応援歌はその例である。気持ち悪いとしか言えない。戦前も戦後もなく継続しているのである。ビッグモーターと損保、ジャニーズ(吉本興業)とマスメディアとの癒着は、当然の如く、剔抉されていないのである。戦後の経済成長も、ある意味では、世界情勢の特異性もあって特攻精神で実現したとも考えられる。戦後の戦争責任はその下で曖昧とされたのである。
政治分野でも然りである。自民党の二世・三世議員の跋扈によって、相変わらず収賄、殺人、便宜供与など、戦前の政党政治の腐敗は天皇制ファシズムとして敗戦を招き、戦後もそれが継続しているのである。将来の世代に何の責任を取らないことに怒りさえ覚える。余りにも腐敗と退行のために、最近はニュースも新聞も聞いたり、開いたりする意欲が減退し、自分のなすことに集中するようになっているが、これではならないと思い直す始末なのである。宗教分野でも同様なのだが、真の野党勢力の奮起を期待したいものである。その際に重要なのは、些末な差異に拘泥することなく、統一戦線を組むことである。そして、戦線内の相互非難をしないことと、民衆を鼓舞することなのである。
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