「新しい戦前」
「新しい戦前」という言葉は、昨年末に「徹子の部屋」でのタモリの発言で話題になったが、家永三郎が著した『戦争責任』の中で、彼もまた使用しているのである(p17、1985年)。彼の転回は、1950年前後の冷戦の激化によるものであって、それまでの彼は、侵略戦争の傍観者であったのである。現今の軍拡増税路線と敵基地攻撃能力の保持は、戦前回帰の兆候ともいえるのだが、岸田内閣の最終目標が憲法改悪であるが故に、数段も「新しい戦前」に接近しているのは間違いないだろう。ウクライナ戦争において、表面的にはロシアによる侵略戦争であるために、御用学者と防衛庁を動員してのマスコミ宣伝によって、ウクライナ支持の世論に腑分けされたのである(左翼すらも)。すっぽり抜けているのがアメリカ帝国主義の世界支配戦略である。一部の左翼は、レーニンの民族自決権論を誤解して、愛国心を扇動するゼレンスキー政権を支持しているのである。帝国主義に対する闘いという原則を放棄してしまったのである。
2000年代になって、ソーシャルメディアの一般的普及や検索エンジンの頻用によって虚実の乖離が進捗し、世界の二極化と格差が拡大している。チャットGPTの登場は、一段とそれを促進することになるだろう。もはや「止められない」(養老孟司)とも言われているが、そのような虚言は単なる科学信仰である。それならば、戦争(核兵器)は止められないし、地球と生物の破滅は止められないという言説と同じである。5月にはG7広島サミットが開催されたが、広島を選挙区とする首相によって(生まれも育ちも広島ではない)、広島を反戦・反核都市ではなく、アメリカの世界戦略の一環としての(核)戦争挑発都市=軍都として変質されたのである。アメリカによる二度目の核ボタンの持ち込みがあり、原爆資料館を視察してロシアの打倒を共々に一層誓ったのである。
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