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2023年8月

2023年8月22日 (火)

「新しい戦争責任」

2023081706270000  酷暑である。清掃のおばちゃんが「昔は30度を超すことは滅多になかったのに、今は35度が当たり前になって弱ったもんだ」とタオルで汗を拭っていた。実際、蝉の鳴き声は少ない。野菜や果物の生育が不順である。物価とガソリン価格の高騰する中、政府は原発汚染水放出やミサイル共同開発を国会の審議もなく専断している事態なのである。戦争の足音がひたひたと聞こえ始めているのである。
 家永三郎は、その著書の中で「元来日本人には理想なく強きものに従ひ其日々々気楽に送ることを第一とするなり。・・・斯くして日本の国家は滅亡するなるべし」(p285)という永井荷風の日記を取り上げている。戦後の国語教科書でも、北原白秋、高村光太郎、与謝野晶子、斎藤茂吉、釈迢空(折口信夫)等の詩歌で彩られている。絵画や音楽の世界においても同様で、戦争責任など毫も触れられていない。後年それを知って、なあんだと呆れかえって失望したものである。戦争責任は戦後一貫として追及されていないのである。戦犯が日本の首相になり、靖国神社に合祀されて崇拝されるという無責任なのである。家永は戦争責任論を展開する過程で、同時に教科書裁判をも闘った自由主義者である。注目すべきは、戦後世代は戦前世代の生理的・社会的遺産を相続している訳だから、戦前世代の行為から生じた戦争責任を自動的に相続している(p309)という家永の持論である。敗戦から80年弱となって戦争体験者は鬼籍に入り、二世・三世の政治屋の政権による戦争国家化が加速しているのである。
 第二に、家永の戦争責任論は、「自虐史観」という俗論とは異なって、アメリカや旧ソ連の連合諸国の戦争責任をも論じているのである。日本国内に未だに米軍基地があり、アメリカの核の支配下にあって空域もまた米軍に占有されているのである。治外法権が当然視されて独立国とは言えないのである。米大統領が米軍基地から出入国することからも、アメリカの属国とみても間違いない。このことこそ「自虐」なのである。アメリカの世界支配戦略に追随していることは、「新しい戦争責任」をも現出することになるのである。それでなくとも、日本の特異的な経済的発展は、朝鮮戦争とベトナム戦争によって支えられていたのである。

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2023年8月 1日 (火)

「新しい戦前」

2023072311200000  「新しい戦前」という言葉は、昨年末に「徹子の部屋」でのタモリの発言で話題になったが、家永三郎が著した『戦争責任』の中で、彼もまた使用しているのである(p17、1985年)。彼の転回は、1950年前後の冷戦の激化によるものであって、それまでの彼は、侵略戦争の傍観者であったのである。現今の軍拡増税路線と敵基地攻撃能力の保持は、戦前回帰の兆候ともいえるのだが、岸田内閣の最終目標が憲法改悪であるが故に、数段も「新しい戦前」に接近しているのは間違いないだろう。ウクライナ戦争において、表面的にはロシアによる侵略戦争であるために、御用学者と防衛庁を動員してのマスコミ宣伝によって、ウクライナ支持の世論に腑分けされたのである(左翼すらも)。すっぽり抜けているのがアメリカ帝国主義の世界支配戦略である。一部の左翼は、レーニンの民族自決権論を誤解して、愛国心を扇動するゼレンスキー政権を支持しているのである。帝国主義に対する闘いという原則を放棄してしまったのである。
 2000年代になって、ソーシャルメディアの一般的普及や検索エンジンの頻用によって虚実の乖離が進捗し、世界の二極化と格差が拡大している。チャットGPTの登場は、一段とそれを促進することになるだろう。もはや「止められない」(養老孟司)とも言われているが、そのような虚言は単なる科学信仰である。それならば、戦争(核兵器)は止められないし、地球と生物の破滅は止められないという言説と同じである。5月にはG7広島サミットが開催されたが、広島を選挙区とする首相によって(生まれも育ちも広島ではない)、広島を反戦・反核都市ではなく、アメリカの世界戦略の一環としての(核)戦争挑発都市=軍都として変質されたのである。アメリカによる二度目の核ボタンの持ち込みがあり、原爆資料館を視察してロシアの打倒を共々に一層誓ったのである。

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