アリストテレスへの回帰
朝、庭前の畑を眺めると、見事に茎を根元から噛みきられて、二十日大根と枝豆の枝葉が無残な姿を晒している。ネキリムシの仕業である。早速、周囲を掘り起こして発見即捕殺するのであるが、既に5匹以上捕殺している。化学肥料は殆ど使用せず、くず野菜や糠などからの自然堆肥を畑に漉き込むために、発生はやむを得ないだろう。対策としては、①防虫ネット(寒冷紗)で幼苗をべた掛けする、②籾殻で幼苗の根元を守る、③発見即捕殺、④やられたら間引き苗の移植か、再びポットに播種をするのみである。自然農法に近いものだから、苛立ちを抑えて怒りに燃えず(笑)、気長に構えるのみである。
少し関心があったので、岩波新書を通読してみた。中畑氏の関心と学究は、いつの間にかプラトンからアリストテレスに移行した様である(多分、都立大から九州大への遍歴時代があり、『魂について』の翻訳が契機と推定される)。近年、哲学界はアリストテレスへの関心が高まっており、東大系の『アリストテレス全集』旧版の特徴は、『形而上学』とその倫理学に傾斜しており、術語の難解さと不正確さも伴って、古色蒼然としたアリストテレス像となっているのは否めない。新版を読んではいないが、より平明で精確さをもつ翻訳となっているだろうと思う。そして肝心な『アリストテレスの哲学』だが、アリストテレスの見地と方法論が的確に提示され、章立てで近現代の反アリストテレス潮流に反論している内容である。西洋古代哲学史専修の学生以来、ドイツ観念論と京都学派の「包囲網」を潜り抜け、二十年来アリストテレス原典を文献学的に読み込んだ精華と言えるだろう。所々に彼の言葉遣いと本音が垣間見られるも一興だったのである(例えば、「四つのし」や師である藤沢令夫への言及、p13,194)。最近の東大閥と慶大閥の著作は、余程のことがない限り、信用していないのである。
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