多様性社会への嘱望
先日、ライオン舎ができたとのことで、早速茶臼山動物園に夫婦で赴いた。平日なので来園者は少なく、ゆっくりと鑑賞できた。鑑賞するという言葉に多少の疑問を抱くが、世界の希少動物保護のためにはやむを得ないことだろう。動物園オタクとして、これまで天王寺、京都市、神戸市、旭山、上野、城山、茶臼山などを訪ねている。長野市は市として全国唯一二つの動物園を所有していると思う。この度、茶臼山動物園は、開園40周年ということでライオン舎をオープンしたとの事である(これまではレッサーパンダがメインであった)。園舎全体にライオンの咆哮が轟いていたのは言うまでもない。近年は、動物の権利と福祉などへの配慮から、動物を檻の中に閉じ込めて鑑賞するという従来の展示方法から、有名な旭山動物園の行動展示から始まった本来の動物生態を実現するのが動物園の主流となっている。動物にはどんどん自由になってもらいたいという願いを持っている。だから、イヌ・ネコの中心で、芸能人が面白がる動物番組は全く見ず、「地球ドラマチック」とダーウィンが来た!」など、選んで視聴している。
しかしながら、もっとも憂慮しているのが人間という動物である。人間という動物ほど怖ろしいものはいない。アリストテレスは、「すべての人間は、自然本性(φύσις)によって、知ることを求める」(『形而上学』冒頭)と述べて、観想(θεωρία)こそが最高の幸福と主張している(『ニコマコス倫理学』)が、近現代においては、全く当てはまらない。人間の欲望は肥大して、他の生物を疎外して地球規模の破壊(戦争と環境破壊)をするばかりでなく、人間改造にまで波及しているのである(AIとBT)。宗教カルトが政治に影響を及ぼし、多様性社会が嘱望されているのにも拘らず、一極社会へと突き進むという有様である。どんな社会を望んでいるの、とライオンに聴いてみたいものである。
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