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2023年3月20日 (月)

『世代の昭和史』の感想メモ

34390982 春の陽光に誘われて、梅の木が八分咲き、山茱萸が開花して水仙がグングン葉を伸ばしている。そんな春の萌芽の中、時々、気休めにNATARSANのフルーツ紅茶を飲んでいる。これがとても自分の嗜好にマッチしない。微妙な感想である。息子の欧州旅行の手土産である。その香味に連れ合いが放置したもので、もったいないので「生けるゴミ箱」である手前が消費している。ネットを覘いてみると、イタリア・トスカナ地方のオーガニック(有機)特産品らしい。バラの実とカルカデ(ハイビスカス)が主原料のハーブティーらしく、酸味があるので、蜂蜜との相性が抜群らしい(牛乳の混合は不可)。そのまま煮出しして楽しもうとする手前が愚かだったのである。
 もう一つ、『アリの一言』を閲覧すると、政府(権力)に対して記者たちが拍手したということである。さもあらん、権力の監視役、社会の木鐸という職業倫理を放擲し、ひたすら記者がキーボードを叩いている政府会見場をテレビ放送で目にすることが多い。まさしく、「この国のメディアは死んでいる」のである。
 閑話休題、『世代の昭和史』である。著者の保阪は小国民世代に微かに入る作家であるが、基本的に戦争要員世代に同情し、小国民世代に共感しているのが基調である。大正(特に10年以降の)時代に出生した戦死者は全世代のそれの87%である。侵略戦争の犠牲者となったのである。通読しながら疑問、疑念を抱いたこと。①東條(戦争遂行世代)だけが悪いのか。司馬の写真を入れ込んで、戦争要員世代を代表させるのには違和感がある。司馬は本当に戦争遂行世代への怒りを体現し、明治の世代を指弾したのだろうか。「明治の栄光」を小説化しているが、その時代に反戦・非戦を貫いた犠牲者への畏敬があるのだろうか。②天皇と国民を一体化した教育が強烈に推進されたのだが、教師批判・非難だけでは一面的ではないか。なぜ天皇制批判にまで及ばないのか。まだまだ不十分と思わざるを得ない。元々、日本は資源が乏しい国であり、近現代の戦争などできない国なのである。③また、「反対するには遅すぎた」論は欺瞞である。それならば、なぜ反戦・非戦の人士は多くいたが、戦後の教科書ではわずかに触れるだけで、彼らの名誉回復すらがなされていないのか、と思うのである。  

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