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2023年2月16日 (木)

凍てつく信州の寒さ

33675963 酷寒である。多分、今日は真冬日(一日の最高気温が氷点下)となるのではないか。内陸性気候に因るのである。寄る年波には、ズボン下(股引)が必須であるばかりでなく、就寝時は布団の中に湯たんぽを入れる。連れ合いは西日本出身なので、彼女の在宅時は、石油ファンヒーターのお出ましとなる(自分一人の時は、ワークマンの防寒ズボンと半纏を愛用しているので点火なし)。エアコンはあるが、殆ど稼働しない。わが家の節約生活は非常識である。世間では室内暖房器具の使用が当たり前になっているのである。回顧すれば、小学校の教室は石炭だるまストーブであったが、中学校の新校舎はスチーム暖房になっていて驚いたものである。
 こうした暖房器具は、時代に伴って変遷している。冬の夜には、掘り炬燵の周囲を布団を固めて、一家で寝ていたのは60年前の姿である。当然の如く、ストーブやエアコンはなく、火鉢程度である。当時の信州の家屋は隙間風が入り込み、寒暖差もあってその冷え込みが尋常でない。北海道から来訪した祖父も、その寒さに震えていたものである。掘り炬燵に入れる消し炭と木炭は、次第に豆炭も活用され始め、50年前になると豆炭あんかが登場し、布団の足元に入れて自室で一人寝する。電気炬燵も普及して、個室でラジオ講座やオールナイトニッポンに齧りついて夜更かししていた。それでも、翌朝目を覚ますと、吐く息の蒸気が布団の襟に凍り付いていることもあった。やはり電気炬燵と豆炭あんかだけでは部屋は寒く、半纏を着て寒さを凌いでいたのである。信州の受験生は二つの敵があった。一つは受験ライバルであるが、二つ目は氷点下の寒さである。受験の日々は寒さとの闘いという面が強かったのである。受験日には雪降りの中での、凍てついた会場入りということも稀ではない。暖かい地方の受験生が恨めしく思うこともあったのである。上京すると冬でも快晴の青空が毎日のように広がることに驚いた。薄いジャンパー着用で十分であり、他の学生にはキリギリス学生と見えたことだろう。
 他県の人には、信州は雪が多いというイメージがあるのだが、これはちょっと違う。確かに山沿いは2、3mの積雪があり、遠い銀嶺が美しいが、平地(盆地)での積雪は高々10cmほどで(昭和38年の最高60cm)日中に融雪してしまうことが多い。むしろ、夕方以降底冷えが始まり、みるみるうちに氷点下となって足元が冷えるのである。そして、翌朝のアイスバーン状態となった道路を運転する恐ろしさとなるのである。氷点下2、3度程度なら、「あれ、今日はあったけえ(暖かい)な」と思ってしまうのである。京都に住んだことがあるが、痛いと感じる寒さではなかった。大阪にもいたが、全然寒くない。大体、雪がちらほらと舞い散る程度で、吐く息が白くない。沖縄では毛布一枚で過ごした。南北に細長く狭隘な日本でも、所変われば気候(気温)も変わるのである。

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