パンドラの箱を閉める
稲刈りと稲架掛けを終えた畦で、ひっそりと咲く野菊と赤まんま(イヌタデ)である。冷涼な風や秋雨に時々花を揺らす。好きな風景であるが、来る冬に向けて備えを促すものである。新米の試食は10月下旬となるだろう。
振り返ると、日本においてネオリベラリズム(新自由主義)が全盛となったのは2000年代だったような気がする。その頃は仕事で忙殺されていて、時代考証どころではなかった。時代は一気に変転していたのであり、それまで当たり前だった富の再分配の考えが否定され、詐欺と虚偽が当たり前の社会となったのである。その時登場したのがコイズミ=アベ内閣であったのである。経済的格差が助長され、協同性が破壊されて、いびつな個人主義(自己責任=自己負担)が跋扈したのである。支配的な価値観が競争原理と成果主義を包含して、金融資本主義が国民生活に浸透し、富と地位がエグゼクティブ(上級管理職)や政治屋に集中して、人々を一元的にグローバル支配してゆくあり方である。例えば、ネットやスマホはその具体的な支配道具である。金融と情報化が融合したのも幇助したのである。また、「平和」や「絆」や「開発」などの言葉も、正反対の意味へと変移したのである。「平和」は新植民地主義戦争やパワーポリティックス(権力政治)と核を含む強大な軍事力によって守られるという偏頗な思考が蔓延している。反共主義を唱える統一協会(勝共連合)というカルト宗教に嵌る人々がいるが、これは人間の協同性を否定するばかりでなく、それによって人類が発展してきたこと(人類史)を否定するのである。どう考えても可笑しい。金の亡者となり、思考が退化した人々と言わなければならない。しかしながら、この異常事態の中で、国家と資本主義は凋落の一途を進むのである。アベ銃撃事件は、急いでパンドラの箱を閉めなければならないことを人々に示唆したのである。
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