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2022年2月20日 (日)

戦中派エリートの限界

31840595  少し関心があったので、『血にコクリコの花咲けば』と、『手記ー私の戦争体験』を併読してみた。ともに図書館の廃棄(リサイクル)本である。前者の著者(1923~2007)は経済学者として高名であり、遠藤周作司馬遼太郎と同世代の戦中派である。山田風太郎もその一人である。森嶋通夫と司馬は学徒兵として出兵し、遠藤と山田は浪人生活のまま肋膜炎のために入隊を免れている。
 さて当該の森嶋の著書であるが、彼の生き様は反皇国史観と反マルクスという「意地」(principle)の塊である(単行本p16~17)。換言すれば、完全なる個人主義者であり、戦時の国体明徴の時代にあって、日本の閉じられた社会(天皇制軍国主義体制)に対して反抗したと思っていたのである。しかしながら、なぜ徴兵に応じるのかという問いに対して、彼は、「学問内の戦いは国民の誰もが背負うべき一般的義務(兵役の義務)をまぬがれて戦われるべきではない。だから私においては従軍と『学問的反戦』は両立していたのである」(p103)と誤魔化している。学問的反戦とは何なのか。この出版にあたって、編集者から「なぜ反戦運動が起らなかったか」について記述の要請をされていたのである。明治憲法において、国民の義務は兵役と納税の義務であり、国民の権利は、主権が天皇にあって法律の範囲内で認められた臣民の権利なのであった。
 また彼は、「国民の多くが義務だと言われて従軍させられているのに、自分たちだけが忌避するのは背徳的であるから、私たちは義務を果たしただけに過ぎない」(p267)とも言い訳している。だから彼は、明治中期以降や昭和初期における天皇制の凶暴化に対する批判を何度も繰り返して、末尾において、明治期に形成された国体観念と、明治体制に個人のプリンシプルの尊厳と不可侵を明記しなかったことが天皇制の凶暴化を惹起したのであると結論づけている(p278~278)。その見地から、彼は(宇垣)特攻や戦艦大和の特攻を徹底批判しているのであるが、肝心な明治体制そのものへの批判にまで及んでいないのである。そもそも英国王室のような「マイルドな天皇制は個人主義や民主主義と両立」(p278)しないのである。英国王室や天皇制を批判して国民主権と基本的人権の獲得のために、彼以前にあった、血みどろの民衆の闘争史を知らないか、無視しているのである(歴史認識の欠如)。海軍の通信将校としての彼の優遇は、「軍隊外では想像を絶する食糧不足であることをはじめて知った」(p207)という認識の怠惰であり、「海兵団での夕食は楽しかった」(p221)そうで、敗戦日の夕食には酒と赤飯とぜんざいが提供されたそうである(p241)。彼自身が自省しているように、偽善的愛国者(hypocritical patriotism)として戦争時代を生き抜いたのではないか(p243)。そのことはまた、夫人も喝破していたように思われる(p133、268)。

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