『昭和の記録 私の思い出』
「降る雪や明治は遠くなりにけり」(中村草田男)という俳句があるが、昭和もまた遠くなったものである。何と、明治維新から敗戦までと、敗戦から本年までは、それらの間隔は等分の77年なのである。そして、昭和が終焉して33年も経過しているのである。この『昭和の記録 私の思い出』を10日間を要して漸く読了した。「歴史は庶民によって作られる」という言葉さながらに、昭和の時代状況を彷彿させる好著である。権力側の改憲派の増長と庶民側の護憲の衰退という時代の流れの中で、庶民の歴史を発掘することは大いに意義のあることである。教科書の歴史は殆ど権力者側の記録であって、これだけが日本の歴史ではないのである。よくある日本史は、天皇と武士どもの権力闘争の歴史であり、こんなものをいくら学んでも現実の生活には何の役に立たないである。インテリと称される層が新自由主義者どもにコロッと騙されるのは、洗脳され易く、生活の知恵がないからである。自然環境が破壊されて人心が荒廃するのはこれがためである。だから、権力者側の改憲は峻拒すべきであって、民衆の側の改憲はよりよい憲法へと断行すべきなのである。守旧の改憲派は歴史を巻き戻すものだからである。今こそ人々は前期の近現代史を総括して、次の時代を創始しなくてはならないのであるが、テレビやインターネットを眺めると、頭が右螺子の人物と情報が蔓延している有様である。時代錯誤とガラパゴス天国の日本に成り果てているのである。
以下に読書感想を記すと、①小林謙三さんの「朝鮮ユキさんのこと」の一文が秀逸であった②戦前と昭和30年頃までは北信州の農業は穀桑式農業なのだなと再確認した③実業に従事していた者は強い④当時の様々な思い出が焦点を帯びて具象化できた⑤「父との思い出 雪の綿内駅」もまた感動的な文章であった⑥戦争や赤貧的窮乏によって斃れた人々の歴史(筆記されていない歴史)もあり、記憶されてしかるべきであること⑦「野菜は頭で作るもんじゃないで」(p471)という言葉は印象的であったことである。
この本の掉尾は、「昭和の記憶・・・我が家の『昭和』には、『粘り強さ』と『ひたむきさ』そして『家族の笑顔』があったのだと、しみじみと感じています」(p476)で締め括られているが、昭和は誠に激動の時代であったが、ただ一つ付記すれば、天皇の元号で時代を象徴させてしまう不名誉を恥じなければならないことである。
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