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2021年12月

2021年12月 4日 (土)

女性の時代

Iimg900x12001589569509dbwirt631178  東栄蔵の『信州の教育・文化を問う』を読んだ折に、紹介されていた本が『昭和・女を生きる』であった。市中で入手できないので図書館で相互貸借で借受して熟読してみた。長野県カルチャーセンターでの文章講座において、横関光枝さんは「わが青春の”空白の年表”」という原稿を書き上げたのである。時は1986年である。その後1990年に、その原稿を基にして上記の本を上梓したのである。片田舎の貧農に生まれ、一軍国少女として生きた女の半生記である。
 彼女は1929年(昭和4年)の生誕であるから、都合、昭和の時代を生きたのである。家父長制という厳しい現実の中で、女として周囲から邪険にされ、農業の働き手として酷使され、文学も横文字も知らずに軍国少女として戦争末期に御牧ケ原修練農場で実習した体験が綴られている。昭和になっても明治の社会は依然として続いていて、「農村の女性の一生は、男性とくらべると『いえ』との関係がつよく、『いえ』(家父長)を媒介にして社会とむすびついていた」(『明治・大正の農村』大門正克、岩波ブックレット、p14)のである。人々は、社会的矛盾と生活の困窮に苦しんでいたのだが、女性は更に性的差別という重圧が加わっていたのである。著者は、「私の生きた少女時代は真暗闇で、目の前の物の正体が何も見えなかったのである」と悲嘆している(p47)。昭和19年(1944年)、14歳の彼女は国民学校高等科を卒業して、「(女なんて)穀つぶしだ」(p71)と蔑まれた父の下から離れたい一心で、一年間御牧ケ原修練農場に入所する。国家による自力更生運動の一環として創設された学校である。御牧ケ原の台地は、古代から望月の牧として馬の生産地として著名である。時は昭和不況の影響もあり、戦争は益々激化している頃である。もしかすれば、彼女も「大陸の花嫁」として渡満したかも知れない(p60)。彼女にとって、ここでの体験は、家族も含めて誰にも開陳していない「心に傷ついた哀しみ」(p63)であった。まことに書くという行為は心の棘を抜くことなのである。
 敗戦後も、「七つ泣き鼻取り」(誘導が難しい牛の鼻を取って代掻きをする学童の仕事。大人への試練としての農事)の仕事もやらされ、母と一緒に女の性を父親から罵声を浴びせられたが、彼女は本に出会った。歌も母から覚えた。家出して母の愛情にも気が付いた。そして貧乏な小学校教員と結婚する。その後は貧窮の中でも、出産と子育てをしながら多くの女性との出会いを経験し、女性としての自分を回復していく記述で感動的である。「女になんか生まれなければよかった」と母と泣いた過去の私は、今となっては苦労も吹き飛び、「私は幸せだった」(p231)と満足感を噛み締める。男女同権、男女共同参画、男女雇用機会均等の時代と呼称されているが、むしろ、これからは女性の時代ではないかと思われる。横関さんのような女性は身近にも多くいたが(90歳代以上)、彼女の、自分史として総括したその内容は、歴史学的にも民俗学的にも貴重な文献となっているのである。

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