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2021年11月 8日 (月)

異文化交流の重要性

31938451  大阪でボール盤工をしていた頃、昼休みの休憩時に会社の建物に凭れて日向ぼっこをしていた処、一人の同僚が声をかけてきた。大柄で小太り体形で柔和な顔をした中年男性である。満州(中国東北部)の話題となって、耳を傾けたのである。どうやら満州からの引き揚げ体験があるようである。「満州は広いで。首から種箱をぶら下げて箱の両側を両手で叩いて下から種が落ちて種蒔きするんやが、ひと畝一時間かかるんや。返って二時間や。そりゃあ、しんどかったな。そない広いんやで」と満州の体験を披露したのである。多分、開拓団の息子か青少年義勇軍の引き揚げ者だったのだろう。辛酸も感じられない口調で、むしろ懐かしんでいる話しぶりである。
 この書籍を読もうと思ったのは、12年前にテレビドラマ「遙かなる絆」で感動したことが契機だったが、当時、図書館で借用しようとしたが、予約者が多く断念したものである。まだ東北大震災前のことで、「絆」という言葉が人口に膾炙する以前の事である。満蒙開拓の歴史を調べている今、その男性との会話を再度思い起こしつつ、読み始めたのである。
 1945年(昭和20年)の敗戦時の中国東北部(満州)には、155万人の日本人が存在していたそうである。動機はどうであれ、国策も手伝って人々は満州へと続々と移住したのである。自分の家に残っている写真にも親族の一人が写っており、母は「満州へ行ってどうなったか分からない」とポツリと口にしたことがある(祖父は代わりに北海道開拓に赴いたのである)。この著書を読了しての感想には二つある。一つは戦争の風化である。「戦後」とは、「ひたすら戦争を忘れようとする『戦後』でもあったのではないだろうか・・・『忘れてしまった』ことすら忘れつつある世界を眼の前にしているようだ」(p450)と著者は述べている。第二に、「嫌韓嫌中」という悍(おぞ)ましい言葉である。80年代後半以降の経済的繁栄から経済的閉塞への「失われた30年」の継続は、右翼的常態化を促進している。自国中心観(ナショナリズム)ほど危険なものはない。米中対立という潮流の中でも、「中国に行けば、きっと考え方が変わるぞ」(p230)、「中国に行けば、人生観が変わるかもしれないよ」(p402)という帰還した父(孫玉福)の助言は生きている。国家が違えども、人々の異文化交流が大切であることを、この書物は教えてくれるのである。

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