現代の感情と思考
立憲民主党の枝野代表の「自民党は変わらない、変われない」という批判は、けだし至言である(立民党を支持している訳ではないが)。そして自民党新総裁の人事を一瞥すると、そのことが判然とする。相変わらずの世襲・派閥政治であり、強欲・反動政治である。自民党の本質から考えて、日本の没落は確定したようなものである。
『満蒙開拓の手記』を図書館で借り受けて、その実相を把握するために読んでみた。一般開拓団約22万人と満蒙開拓青少年義勇軍11万の総勢32万人の凄絶な体験記の一部である。長野県から渡満した地域は「満州国」の、さらに東北部であるソ連国境付近が多いために、ソ連軍の参戦後は逃亡・帰国のために阿鼻叫喚の引き揚げ体験が大半である。文字通り侵略戦争の盾とされたのである。肝要な点は、それが国策の下で敢行されたことである。このことは忘れてはならないことである。戦後補償は軍人・軍属ばかりで、遺族会は戦後において終始一貫とした自民党の支持団体となってきたのである。これに反して、開拓の人々は一顧だにされずに放置されたのである。その惨状は先にこのブログ記事にも紹介したのであるが、こちらの手記の方が経緯と実情と戦後について詳細であり、青少年義勇軍たちや満蒙開拓に随伴した看護師や教師たちの手記もあって広範な記載となっている。夫や子どもを失いながら帰国した婦人たちは、侵略戦争の責任を問い(p122)、国への怨恨を吐露し(p185)、平和を誓う思いを訴える(p283)ものが比較的多いのである。そして、家産を始末して渡満した引き揚げ者には、「内地に帰っても、しばらく親戚の家を渡り歩いたが、誠に苦痛にみちたものでした」(p269)と、補償もなく白い目で見られて艱難は続いたのである。中国在留邦人の問題がその証左である。70年代までの平和教育から、今ではそれも忘却しつつある現代にあって、これらの体験記などの一級資料を渉猟することは、同じことを繰り返さないためにも意義があるのである。戦後の長野県教育においては、中央ではなく県独自の教科書で習った時代もある(現在は理科と生活だけとなっている)。科学的で合理的な思考が求められたのだが、現代においては、戦争体験者の負い目や苦難は記憶から失われ、一時的で右翼的感情や思いが横溢している時代なのである。自民党の総裁選(権力闘争)において、そのことが如実に顕現しているのを見たのである。
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