異常な気象と政治
酷暑の夜涼みのために庭に出ると、南西の中空に木星が明るく輝いている。が、驚いたことに多勢の油蝉が桜の木を中心に合唱していたのである。あれ、蝉は日中に鳴くのではないかと疑うのだが、彼らもまたこの暑さに悲鳴を上げているのだろうか。自然は改変している。どこかおかしい。気象予報士はデータに依存して予報が外れても責任を問われない。だけでなく、天気図と温度ばかり並べ立てて、異常な気象と自然の改変の本質を忘却している。そのくせ、傲慢にも自然現象を予知できると思い込んでいる。人間の生活にも積年の人間の感覚をも視野に入れないから、数値に則っているばかりである。そしてコロナ禍での五輪である。コロナ対策は無策で、終には自宅療養を勧めて国民の命と健康をないがしろにしているのである。こんな無知蒙昧な政府は今日の危機の時代にあっては無用なのである。まともな人間なら自公政権には与しないのである。この政権が東日本大震災時でなかったのは幸いであった。維新はそれらの補完物にすぎない。白井聡はその『永続敗戦論』と『国体論』で日本がアメリカの属国であり、国体が戦後も護持されたことを明らかにしているが、元々自民党とはその戦犯であり、国民無視の羊頭狗肉の政党なのである。最近日本の学会で人気のあるエマニュエル・トッドは、その現実の経験主義者として日本の核武装を提言して日本人にある贖罪意識を否定しているが、その反戦・反核主義が日本の暴走を食い止めているのである。他方、現代は「エリートの生き残りのためにポピュリズムが必要不可欠になってきた」(『思考地図』p151)との彼の指摘はよく理解できる。支配階級は愚民政策をとって利用していくのである。その最大活用がコロナ禍における汚リンピックなのである。「いざ始まれば、反対していた人も五輪開催を喜ぶ」との言辞はその証左であろう。しかしながら、人々の意識の中で、今の政権が欲望の権化であり、人命無視の愚昧な政府であることが愈々浸透つつあるのである。
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