コロナ=五輪禍において
スポーツは、部活で陸上競技部に所属していたことと、息子がサッカーで活躍していた関係上、関心は多少あるが、それら以外のスポーツはほとんど興味がない。嫌いな野球とゴルフは見る気がしない。あほらしい。スポーツ選手は意外なことに短命で、身体に悪い。ましてや観戦時間を要して、この齢になると自分の時間がもったいない。しかしながら、これらの二つの競技は、ニュースでも筆頭に報じられるほど日本人に人気があるようだ。少年期には野球にも興じていたが、今となってはあほらしい。金がかかるゴルフは、庶民のスポーツですかと疑念を感じている。無駄な競技で自然環境に悪い。それにスポーツがはやると民俗的祭りが無くなるという始末である。況や汚リンピックをや、と言わなければならない。
時宜にかなって復刻継承版を繙読してみた。信毎記者が追った全国一の長野県開拓団の記録である。記者の一人は、実際に中国東北部(満州)に渡った経験のある記者であり、それらの記事には迫真性があって生々しい。初版は1965年(東京五輪の1年後であり、生存者は壮年期である)である。今となっては歴史記念碑的記事と出版なのである。この本によれば、長野県開拓史の幕開けは大正2年秋に遡及するという(p183)。祖父は次男坊のため職を求めて全国各地を見聞し、大正後期に北海道開拓へと選択した。それは満蒙開拓の時代に先んじており、兵役免除ということもあったらしい。実家には英語や露語の教則本が残っていて、空気銃が隠されていたのを目にしたこともある。祖父母の北海道開拓では、雪が舞い込む狭い掘立小屋で、家族一同が一つの布団で身を寄せて冬の寒さを凌いでいたという。成功して帰省した祖父母が「内地」という言葉を何度も口にした覚えがある。しかし、今となっては都市生活へのあこがれもあって、祖父母等の土地は蕭然とした二束三文の土地になっている。満蒙開拓団の生活が想像できるが、悲劇的なのは敗戦に伴う引き上げ体験である。軍属に「大陸の花嫁」として渡満した老婦人(現存)に、「(引き揚げは)そりゃあ大変だったよ。でもね、親切な中国人が助けてくれたお陰なんだよ」と聞き取りしたことがあるが、前回でも記したが、大半は悲惨の極みである。守ってくれる筈の関東軍は逃亡して、国家によってかの地に見殺しにされたのである。当時の担当大臣や役人は、戦後出世して首相や大臣、(長野)県知事などになっているが、反省も呵責も感じることがなかったのである。解説した黒崎正己氏の言うように、「戦争には被害と加害の両面があることは冷静におさえて・・・(このコロナ=五輪禍においても)政府の無策と無責任を問い、実効性のある施策をとらせるべき」(p225)なのである。今夏は、満蒙開拓平和記念館を訪問したいものである。
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