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2021年7月

2021年7月18日 (日)

東大・早慶大閥の解体・一掃

Trhw9qsv5l  数年来没落しつつある日本企業による事業・資産・株などの売却が顕著となり、コロナ=五輪不況として一気に露見し始めている。その内、技術力のある下町の中小企業も狙い撃ちされるだろう。オリンピック協賛企業の五輪期待は急速に萎んで、マスコミ報道の堕落も目を覆いたくなるほどである。新聞やテレビはインターネットに広告費を奪われて、若者は旧来のメディアに依存しなくなってきているのである。テレビの劣化は激しく、Eテレにまで進出する芸人に席巻され、番組制作が若者シフトに舵を切っている局もあれば、スポーツ番組に集中したりする局など右往左往しているが、内輪話やワイドショーで臆面もなくコメントする御用芸人や政府寄りの偏向報道をする御用記者やMCなどもあって信用を失いつつあるのである。一刻も早く、そのジャ〇ーズと吉〇を始めとするお笑い「芸人文化」と、東大・早慶大閥を解体・一掃させなければ復活は難しいだろう。こういう輩が政権と癒着するのは当たり前であり、昨夜も風呂上りに、そんな輩が出演する番組を偶々見ていた。クリエーターの発言を注視していたが、MCや出演者どもが喋々しい。特にプロセーラーと自称する人間には怒り心頭であった。何十億という資金を企業に依存していることを事も無げに自慢して、若者を「夢」「平和」「笑顔」「人柄」などと空疎な言葉で説教する姿は、少なくともこんな時代(無責任にも若者に地球規模の課題を押し付ける時代)に果敢に挑戦する若者に失礼である。こんな驕慢な大人になって欲しくないと切に願ったものである。あまつさえ、若者に資金援助もしないのである。他方、宮本亜門の発言は節制的で出演者に共感的で好もしかった。今後、この番組は宇宙ベンチャー企業人やら「トップランナー」と称されるビジネスマンやらが続々と出演するだろうが、そんな輩に現実の課題は突破できないし、未来は来ないのである。右傾的でねじの外れた都会人には、市井で精進している「トップランナー」に気付きもしないだろう。このような番組を視聴するようなビジネスマンは、羨望の塊のような人間と想像させるのである。時代遅れも甚だしい。おそらく地頭の悪い東大・早慶大閥の輩が製作・編集しているのだろう。お陰で昨夜は珍奇で哲学的な夢を見てしまったのである(笑)。呑気に夢を見たかったのに…。

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2021年7月13日 (火)

コロナ=五輪禍において

34216595 スポーツは、部活で陸上競技部に所属していたことと、息子がサッカーで活躍していた関係上、関心は多少あるが、それら以外のスポーツはほとんど興味がない。嫌いな野球とゴルフは見る気がしない。あほらしい。スポーツ選手は意外なことに短命で、身体に悪い。ましてや観戦時間を要して、この齢になると自分の時間がもったいない。しかしながら、これらの二つの競技は、ニュースでも筆頭に報じられるほど日本人に人気があるようだ。少年期には野球にも興じていたが、今となってはあほらしい。金がかかるゴルフは、庶民のスポーツですかと疑念を感じている。無駄な競技で自然環境に悪い。それにスポーツがはやると民俗的祭りが無くなるという始末である。況や汚リンピックをや、と言わなければならない。
 時宜にかなって復刻継承版を繙読してみた。信毎記者が追った全国一の長野県開拓団の記録である。記者の一人は、実際に中国東北部(満州)に渡った経験のある記者であり、それらの記事には迫真性があって生々しい。初版は1965年(東京五輪の1年後であり、生存者は壮年期である)である。今となっては歴史記念碑的記事と出版なのである。この本によれば、長野県開拓史の幕開けは大正2年秋に遡及するという(p183)。祖父は次男坊のため職を求めて全国各地を見聞し、大正後期に北海道開拓へと選択した。それは満蒙開拓の時代に先んじており、兵役免除ということもあったらしい。実家には英語や露語の教則本が残っていて、空気銃が隠されていたのを目にしたこともある。祖父母の北海道開拓では、雪が舞い込む狭い掘立小屋で、家族一同が一つの布団で身を寄せて冬の寒さを凌いでいたという。成功して帰省した祖父母が「内地」という言葉を何度も口にした覚えがある。しかし、今となっては都市生活へのあこがれもあって、祖父母等の土地は蕭然とした二束三文の土地になっている。満蒙開拓団の生活が想像できるが、悲劇的なのは敗戦に伴う引き上げ体験である。軍属に「大陸の花嫁」として渡満した老婦人(現存)に、「(引き揚げは)そりゃあ大変だったよ。でもね、親切な中国人が助けてくれたお陰なんだよ」と聞き取りしたことがあるが、前回でも記したが、大半は悲惨の極みである。守ってくれる筈の関東軍は逃亡して、国家によってかの地に見殺しにされたのである。当時の担当大臣や役人は、戦後出世して首相や大臣、(長野)県知事などになっているが、反省も呵責も感じることがなかったのである。解説した黒崎正己氏の言うように、「戦争には被害と加害の両面があることは冷静におさえて・・・(このコロナ=五輪禍においても)政府の無策と無責任を問い、実効性のある施策をとらせるべき」(p225)なのである。今夏は、満蒙開拓平和記念館を訪問したいものである。

 

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2021年7月 2日 (金)

政治的責任のけじめの無さ

64yoron20190906jpp00693065_310_20210702100901  このコロナ禍の中で、東京オリンピックに突撃してゆくようだ。開催後には衰退への最後の一撃である大不況と新型コロナの蔓延が待ち構えているのではないか。1964年の東京五輪では、快晴の空の下で、田舎の年端もゆかない少年は、父母の稲刈り手伝いに励んでいたのである。ラジオで聴いた後、母にせがんで握りしめたお金を持って書店に向い、緊急出版した写真集を買い求めたのである。戦後の復興、高度経済成長とはまだ無縁で、麦藁葺の屋根の下で質朴な農家の暮らしだったのである。今や、アマチュア主体の五輪からプロの商業五輪と化して、「パンとサーカス」という見世物興行となっているのである。欲望と利害が渦巻いて、選手はその駒の一つであるという自覚もないのである。まともな感性を持つ人間ならば、すべてが空虚なのである。
3fd77d24e716640ce43f7daa24d30adf  「大陸の花嫁」とは、「満蒙開拓」移民の妻として中国東北部(満州)に渡っていった花嫁のことであるが、ソ連の参戦で関東軍は逃亡して、開拓団と大陸の花嫁たちは戦場に置き去りにされて、中国残留日本人孤児や中国残留婦人の悲劇を生むことになったのである(『日本歴史大事典』改変)。大陸の花嫁は戦争の人柱として犠牲となった国策花嫁である。総数は不明である。満蒙開拓移民が約32万人であり、帰国できたのは11万人余りなので、大陸の花嫁は、その半分の半分と推定して約2~5万人前後だろうか。長野県の開拓移民数は4万人弱であり、全国一位である。その半分の2万人の女性が大陸へ渡ったと推理される。大陸の花嫁は、客観的には戦場の盾として(国策)、主観的には「生活の貧しさから抜け出したい」(p52)という動機だったのだが、それは実態として侵略そのものであったのである。彼女らの阿鼻叫喚は、この本を読めば瞭然であり、ネットにも数々の体験記が残されている。「敗戦後は栄養失調や寒さや病気で骨と皮ばかりになって死んで行き、野っ原に捨てられてね、裸にされて、犬などに食べられてね」(p37)という惨状であり、他にも強姦や子殺しも体験し、関東軍は橋を渡ると壊して開拓団の婦女子は見殺しにされたのである(p93)。更に、兵隊と異なって大陸の花嫁には戦後補償もなかったのである。ここでも、その責任の所在が雲散霧消しているのである(p124)。国家と軍隊は人々を守らない。しかも日本人の政治的責任のけじめの無さは、戦前戦後も一貫しているのである。しかしながら、移民送出を推進した信濃教育会と、敗戦直後公文書を焼き尽くした長野県庁等の責任は消えた訳ではないのである。

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