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2021年4月22日 (木)

春の陽光に誘われて

 先日、このコロナ禍の中、春の陽光に誘われて北信濃の小旅行を敢行した。旧豊田村(現中野市)にある高野辰之記念館とその周囲、菜の花ロードを抜けて野沢温泉に宿泊したのである。野沢温泉村と観光協会は、お得な「免疫力UP!キャンペーン」を張っていて、永年北信濃への往問を勘案していたので絶好の機会となったのである。翌日は、おぼろ月夜の館と飯山、更に足を延ばして信濃町の一茶記念館へと宿願を果たしたのである。
 高野辰之の「故郷(ふるさと)」という文部省唱歌は、実はあまり好みではない。特に三番の歌詞は立身出世の内容となっている。明治人の好学の士として上京した辰之は、1909年(明治42)年に文部省小学校唱歌教科書編纂委員となって作詞したのである。後には、東京音楽学校教授や東京帝大の文学博士号を授受して、「志をはたして いつの日にか帰らん」という歌詞の如く、1925(大正14)年に帰郷したのである。時は社会運動が発展して、普通選挙法と抱き合わせで治安維持法の公布によって社会運動が弾圧したされた時代である。これによって、無産運動が成立と分裂を繰り返して昭和恐慌を迎え、十五年戦争に突入してゆくのである。
2021041610280000  国文学者として成功した高野であるが、野沢温泉のおぼろ月夜の館のおいて、その学問観と一つの短歌に関心を覚えたのである。学問観についての解説には、「人間の喜びや悲しみの叫びが歌謡の起源、身振りは舞踊、物真似は演劇の起源」という考えがあり、「実証的で」、「様々な時代に生きた人間の心に深く触れる日本文化の再発見であった」とある。また、隠棲した野沢温泉村から出征する青年に託した短歌には、「海行くも あへて水漬かず 死ぬ価値も 越える名上げて 帰れよき子よ」とあることである。侵略戦争に突入している時代にあって、少なくとも「死なずに帰れよ」と青年を励ましたのである。そこには、戦争に対して不本意な高野の思いも推察されるが、断定はできない。その土地(ふるさと)への愛着と向学への思いも感じられるのであるが、これも明断できない。「死ぬ価値も超える名」とは一体何なのか。その曖昧さが明治人としての限界なのかもしれない。しかしながら、好戦的で偏向した「悪しきナショナリズム」(軍歌・戦時歌謡)とは無縁と思われるのである。ちなみに、唱歌「ふるさと」では海の風景が謳われていない。これもまた高野辰之作詞の所以である。


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