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2021年3月

2021年3月27日 (土)

強迫神経症の時代へ

2021032712120001 人間の罪深さは際限のないものである。自然を改変して支配し、半世紀ほどで動植物を絶滅させている。そして、可能な未来において人類はやがて絶滅するのである。人類は科学技術をもって自然を操作することから、人工知能(AI)による支配を受けるようになり、今世紀初めにはヒトゲノム計画が完了して改変に踏み込んでいるのである。社会的には、格差の激化によって人類は二分化し、横軸として米中対立など、縦軸としては人々が零落して無化するのである。富は一部の人間に集中し、多くの人間が管理され貧窮化する。最後に、その一部の人間さえAIと改造人間によって支配されて絶滅するのである。このことはあながち夢想ではなく、だからこそ一層カウンターパワーが求められているのである。
 コロナ禍にあって人々はたいへんな不安の中にあるのであるが、コロナ後の世界を定立しなければならないことは必然である。そのような問題意識は少しずつ人々に浸透し始めている。コロナ前の牧歌的時代は終焉したのであり、もう元には戻ることはできないのである。ドゥルーズによれば、近代の規律と訓練の社会から人々を分散させてデジタル技術によって人々を把握する「管理社会」の到来である。LINEの情報管理問題は氷山の一角にすぎない。個人情報は情報端末を使用する者にはだだ漏れなのであり、それ故、基本的には分散させるのが賢明である。いわゆるGAFAを一元的に利用するのは極めて危険なことである。彼らが個人の情報や性向や消費動向などを把握することはたやすいことであり、それが故、経済格差は愈々激化してゆくのである。コロナ禍はこうした事態を加速すると思われるのである。人々は益々強迫神経症の患者のように生きなければならない時代となっているのである。

 我が家のソメイヨシノが開花した。連れ合いは昨日に咲いたよと勝手に開花宣言したが、本日何度か確認した所、十輪ほどの開花を確認して宣言となったのである。日本政府は、今年「桜を見る会」を開催しないそうである。サクラがいなければならない自・公政府には苦難の時代となり、開催されない(開催されても侘しい)東京オリンピックに、いつまでもタコ踊りを続けるのである。

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2021年3月 7日 (日)

漬物についての誤解

16_1_l  先日、大学時代の友人と電話で野沢菜漬の話となり、野沢菜の約8割以上が長野県産ではないことに驚かれたのである。野沢菜は(信州の平地では)8月下旬か~9月初めの播種、11月下旬~12月初めの収穫が標準的である。それ以外の栽培は他県産となるのである。ところが他県産でも長野県の特産品(野沢菜漬)となり、伝統野菜となっているのである。冬季には観光客やスキー客に提供されて喜ばれているが(ほぼ地元産)、お土産品などの販売品が県産の野沢菜(地元では「お菜」もしくは「菜っ葉」、野沢菜漬けそのものは「お葉漬け」と呼んでいる)ではないことを大抵の信州人は知らないのである。また、信州人は長寿県として夙に有名になっているが、長年の減塩運動が普及して、各戸の野沢菜漬けという冬の風物詩は廃れて、スーパーでの購入となり、消費は減退しているのである。食生活の変化によって、やがて長寿県から漸次陥落してゆくと予想されるが、厚生連が主体となって地域医療体制が比較的整備されているために、沖縄県のように一気に陥落する事態にはならないのではないか。
 さて漬物であるが、長年の消費低迷が続いているのであるが、コロナ禍において需要が上昇したそうである。めでたい話であるが、ここでは現代日本人の漬物に対する誤解について取り上げてみたい。一つは、日本人は漬物文化を知らないことである。漬物の味も漬物の意味も知らないのである。漬物は近年においてパック弁当の片隅に侘しく置かれた浅漬けが主流となっているが、元々、漬物は「香の物」または「お新香」と尊ばれ、立派な副食であり、伝統的な野菜加工品であり、発酵保存食品なのである(発酵でない漬物もある)。食の洋風化と和食離れに伴ってお米を食べなくなっていることも低下の要因となっている。つまり、全体的に和食文化は衰退して、辛み食品ブームがその象徴である(辛みは味覚ではない。肉食と油脂と糖分の過剰摂取と濃厚調味。これ参照)。もう一つの誤解は、漬物が医学や栄養学界から目の敵にされていることである。塩分を過剰摂取するとされているのである。しかしながら、これは大変な誤解である。新つけものにおいては、塩分は梅干しが10%ほどであるが(日本食品標準成分表によれば、塩漬けで4.4g、調味料漬けでは1.5gである)、漬物の大抵は2~3%であり、漬物からの塩分摂取量は、低塩化によって1日1gと少ないのである。また、味噌汁1杯の塩分量は1.2gで、「1日減塩梅干し1個と味噌汁1杯、麺類の汁は残して醤油やソースなどの調味料をかけない」であれば何ら問題がないのである。むしろ、その他の食品の塩分量を心配した方がいい位である。だから、漬物がやり玉に挙げられるのは不当と言わなければならないのである。自分でも梅干しやラッキョウ漬や野沢菜漬などを作って試食し、博識(?)と食に関する信条が生まれたのである(笑)。いけないのは、大臣や高級官僚の「接待漬け」なのである。

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自然農法の自然環境

34124086  3月の声を聞くと、そろそろ農事の開始である。凍みていた地面を見ると日を浴びてぬかるみ、早や雑草が萌え始めている。外気温も生暖かくなるが、それでも三寒四温の季節で、日が陰り出して夕暮れにもなると、気温が下がって足下が寒く感じる。梅や桜の蕾はまだ固い。メジロやムクドリなどは、朝の光を浴びながら食事のために忙しく飛び交っている。ツグミは姿を消したようだ。ウグイスはまだ姿を見せない。信州の農事は3月から12月初めで終了して9ヶ月間である。それ以外の時期においては露地栽培ができない。ところが西日本や温暖な太平洋岸の地方においては、通年露地栽培や促成(抑制)栽培が可能なのである。北日本と北海道は、半年間、雪や寒さのために農事が閉ざされるのである。温室栽培もできるが、施設費と暖房費などの資金がかさむだけでなく、自然に負荷をかけてしまうのである。長野県の山間高冷地では、キャベツや白菜などや夏野菜(トマトやキュウリなど)の抑制栽培が盛んに行われて、端境期の高値販売が可能となっているが、平地では秋野菜は酷暑のために不可能である。また、5月の黄金週間になっても霜害の惧れがあるのである。霜が降りると折角植えた野菜苗は萎れ、果樹の果芽も台無しとなるのである。だから、霜注意報に農家は濃密な関心を払うのである。そう考えると、実労働の農業期間は7ヶ月と限られるのであるが、北日本では半年以下と言ってもいいだろう。自然農法はこのような地球環境下にあり、東日本の年配者の多くが「北国の春」を始めとした春の歌を愛唱する所以である。

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2021年3月 2日 (火)

反ヒューマニズムへの階梯

9d8ac3528435eb2b4c2803fb11ea4a16206x300  全国の農業集落数は、2020年においては13万8千になっていて、漸次その数は減少している(2020年農水省センサスこれ)。この本が執筆された1978年の14万2千と比較すれば、それ程減少していないのではないかと勘違いするが、限界集落の離散や集落の都市化・混在化の流れは止まることはない。農業人口(基幹的農業従事者)は136万人程となり、高齢化(7割)と併せて、減少が一段と加速化しているのである。村落共同体としてのムラ社会は形骸化して崩壊の一途である。戦後の自民党政府による農業政策が一貫して失敗していると言っても過言ではない。ムラの崩壊と同時に都市化が進展し、農業の多面的機能が強調されてもその流れは止まらない。戦後直後の一時期を除けば、元来農業は弱かった、と著者は強調している(p199~201)が、狭い集落道路を車で運転していると、「ああこれは元々リヤカー道だったんだな」と感慨を覚えることがある。水田や畑、農道や農業用水、神社や寺院などの風景を眺めていると、そこには子どもの姿もなく、人影も殆どない。村はずれの幹道では車が引きも切らずに走っているのとは対照的である。共同体の残骸と言ってもいいだろう。しかしながら、いかに都市化が進もうとも、村落共同体は形骸化しながら下げ止まりするのではないか。なぜなら、農業は基礎的産業として生き残るのではないか。そこに人間の生活があるからである。農業が存廃される時、人間もまた廃棄されるからである。欧州の農業政策では、小農が推進され、手厚い補助金によって保護されているそうである(『コロナ後の食と農』吉田太郎、参照)。
 もう一つの懸念があるが、それは気象庁の指針に沿って長野地方気象台が本年度から「生物季節観測」として、動物17種をゼロに、植物26種を6種に縮小するという発表されたことである。動物のヒバリやウグイスの初鳴き、ツバメやホタルの初見、県農産物であるアンズやリンゴの開花などを全廃することになったのである(信濃毎日新聞2020年11月11日号)。60年前には、河川にはアヤメが咲いてホタルが飛び交い、麦畑にはヒバリが空高く囀り、夏にはヒグラシが鳴いて夕涼みをしたものであるが、今日のムラでは、これらの動植物はほぼ全滅しているのである。農産物は堆肥ではなく化学肥料によってつくられていることを知っている人は少ない。人気のイチゴやトマトが化学肥料の味をしていることにも気付かないのである。自然の循環をせずにゴミを外部化して焼いたり埋めたりしている社会なのである。そして油脂過剰で大味なグルメの番組が花盛りなのである。転倒したこの社会を正すのはいつになるのか心配である。衰退・全滅した先の未来はどうなるのか。けだし、自然環境とその土地から切り離された人間そのものが問われているのである。

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