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2021年2月17日 (水)

人生は余りにも短い

33099413  第二回目の東京オリンピックで、政財界とスポーツ界が混乱している。当たり前だろう。オリンピックそのものが「スポーツの祭典」ではなく、利害の争奪戦だからである。はしなくも、コロナ禍という事態の中で、そのことが暴露されただけでなく、組織委員会長の女性蔑視というだけではなく、差別発言事件によって、政権の腐敗もあって国勢の式微が顕著となっているのである。そして、会長の後任人事が決まらないというのである。後進がいない、欲得ばかりの人事支配などで、もっともっと混迷を深めたらいい。まるで、アジア・太平洋戦争末期の大日本帝国の有り様である。新自由主義の経済思想がグローバル化と相まって、多くの若者とひとり親世帯が貧困に落とし込められているのは、自公政権のお陰である。格差社会の底が抜けて、女性と若者・子どもの自殺が激増している事態である。人々に絶望しか与えない政党・政府は、一刻も早く、破壊した方がいいのである。
 このところ、全集を紐解くこともせずに、批評・評論の本ばかり手にして分かったような気になっているのは、怠惰の極みという誹りを免れないだろう。生活そのものがだらしなくなっているのである。再度柳田の全集に没入する決意である。今日は雪降りの一日で、夜になると積雪となっていて、闇夜に浮かぶ、とんぼりとした雪景色を眺めていると、幼少の頃に見た静謐な雪化粧であったのである。寂しさと貧窮、そしてその中にあっての「常民」の息吹、日本人はこれを原型として忘れてはならないことなのである。明治人である柳田國男は、このことを忘れてはいまい。営々とした「常民」の暮らしの中に日本人の原型を透視しているのである。
 静養したりWiFi環境を改変したりの雑用の一日であった。既に着手した終活の活動はできずに、ボツボツと読んでいるのがこれであったのだ。身を入れて終活に専念しなければと思う次第である。今年一年はコメ作りは中止して、野菜と果樹に集中しようかなどと雑念が種々に思い浮かぶのである。したいことは山ほどあるのだが、この齢となると、完遂できることは限られている。人生は余りにも短い。これはよくよく銘記すべきことである。

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