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2021年1月11日 (月)

柳田民俗学の意義

33008928  体力は青春時代の半分以下になっているのだが、精神生活は相変わらずである。これからは少し健康的な生活を心がけるように努めようかな、と思う新年であるが、碌々とした日々を過ごすばかりである。
 遅きに失した緊急事態が首都圏に宣言されたのだが、これもまた予想されたことである。むしろ心配していることは、コロナ特措法の厳罰化を自公政府によって策謀されていることである。「そのような指摘は当たらない」、「まったく問題はない」、「承知していない」、「仮定の質問にはお答えできない」と、言論の封殺を政治信条とした政治屋が宰相となっていることが、抑々の間違いなのである。(天皇制)ファシズムが民主主義の中から派生したという見方は夙に有名なのだが、然りという事態が進行しているのである。ショックドクトリンさながらの市場原理主義者どもの社会改悪である(これも)。しかしながら、世論調査では不支持が支持を上回っているのだが、自・公・維の支持岩盤層が3割弱と依然として存在しているのである。現状維持と現状改悪の勢力を政治の中枢から叩き出して、戦前と戦後の継続性を断ち切る行動が望まれるのである。
 前回、柳田民俗学を批判したのだが、これはあくまでも批判的摂取であって、柳田の著作を踏破する決意は揺らぎはない。日本の近代化が進行する中で、日本の村落共同体が崩壊する過程で柳田がどのような発言をしているのは、現行の時世に必要なことと思われるからである。折口のような得手勝手な民俗学者や国粋主義の三島など、過去を金科玉条して日本歴史の継続性を願望する寝言の復古主義者には何の関心もないが、少なくとも柳田には歴史的事実が存在するからである。ただ、柳田の論述には比定が少なく、抽象的な記述が多いので難解を極めるのである。民俗学者としての柳田と折口との二人の民俗学者には、無限の距離があるのであるが、柳田民俗学は無限の宝庫と言わねばならないのである。新年になっても、農業と介護関連の書物との併読は続くのである。

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