温故知新という時代
それにしても、酷い世の中になってきたものである。散々アメリカ大統領選挙に付き合わせられた挙句に、この自・公政府の体たらくである。トランプかバイデンかの選択は、コカ・コーラか ペプシコーラの差異に過ぎず、どうでもいいことなのである。また、政府の新型コロナ対策は責任放棄であり、知への憧憬もなく、むしろ権力を行使しての学術会議任命拒否問題など、劣等感丸出しである。政府の任命するコロナ専門家会議など御用学者の巣窟である。相変わらずの劣化であり、とても喜ばしい事柄である。なのに株価は日本銀行に買い支えられて上昇し、賃金が低下して非正規労働者の雇用ばかりになり、人々の生活は窮乏化しつつある。その一方、支配階級に金融資産は集中して逆トリクルダウンとなっている。これこそが自由主義経済政策の真意なのである。昨日も、国民の関心もなく種苗法改悪案の衆院通過を報道されていたが、ザル法を制定しても何の意味がないばかりか、種の自家採取も制限され、種苗企業の独占化や遺伝子組み換え作物の輸入促進や化学肥料・農薬企業の寡占とセット化など、小規模家族農業を壊滅させる新自由主義政策なのである。今や世界の農業は、アグロエコロジーへとシフトしつつあるのにも拘らず、農業部門において日本政府はまた、大規模農業と海外アグロビジネスなどに拝跪しているのである。政府の施策には、全く逆のこと(反対)をすることが正鵠を得ているのである。グレタさんは国連演説で、「なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね」と訴えているが、全く至当である。このコロナ禍の現状にあって、再度この演説を肝に銘じるべきである。新型コロナの蔓延の根本的原因は、ワクチンによって解決されるものではない。JOCは、ワクチンによって東京オリンピック開催可能の理由としているが、これが完全に間違っているのである。
夕方近くの時雨を聞きながら、こんな本を一瞥した次第である。午前中の晴れ間に落ち葉掃除と最後の干柿作りをしたのは正解であったのである。牧歌的な時代とも批判できるだろうが、復古主義ではなく、温故知新と見直すこともできるだろう。
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