陰険と健気
宮本常一の次に、民俗学の嚆矢であり、泰斗である柳田国男に挑戦し始めているのだが、手始めに『遠野物語』を繙読している。が、どうにも考えがまとまらない。民俗学とは、民間伝承をもとに庶民の生活を把握してその文化の発展を探る学問だが、柳田民俗学が日本民俗学の始原とあっては、これを踏破するほかはないのである。問題意識は、全集を読み進める過程でより鮮明になってゆくのかなと思っている。
この所、「信濃毎日新聞」の社説を含めて論調が極めている。これは進取の精神に富む県民の意向に沿ってもいるだろうが、歴史的岐路という編集局の危機意識から由来するのかも知れない。戦前、大正デモクラシーの影響があって県民の闘いが隆盛したのであるが、経済的恐慌という外在的要因と軍事ファシズムの要因から、二・四事件等により運動が根絶やしされた歴史がある。それへの反省も考えられるが、「信毎」は本来「県政の御用機関」であったことや小坂一族の創業事業とあることから、安易に信用できる訳ではない。事実、松本サリン事件での虚偽報道や田中知事を辞任させるキャンペーンなどを扇動し、田中康夫を除く歴代知事が、長野県護国神社の支援組織の会長職を務めて寄付集めをしているのだが(憲法違反)、開き直る現官僚知事への追及が極めて鈍いものとなっている。国政や県政から独立した反権力を貫くことができるかどうかが問われているのである。現時の学術会議任命拒否問題でも然りである。それにしても陰険で陰湿な宰相である。
脱穀も終わり、「赤まんま」と「ノコンギク(野菊)」が可憐にしかも健気に畦を彩っている。ノコンギクとヨメナの違いは難しく、葉がざらつくので大体わかる。山々は紅葉を終えて、愈々冷涼となって冬の気配が感じられる。大根や人参を収穫するが、正月まではもたないだろう。古米が少しカビが生えて匂いが付き、新米の保存に留意しなくては。あと三年半程で生活稼ぎの仕事に終止符を打ち、自在に農業の時間を確保したい。果樹にまで手を伸ばすことができるだろうか。
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