終焉への道
陰気な政治屋が日本国の宰相になる。農業に嫌気がさして上京したというが(この自慢の苦労話が東北農民をバカにしているのに吐き気がする)、唯々都会に出て立身出世をしたいだけだったのである。秋田は、国学の士である平田篤胤の出生地であり(彼もまた故郷を捨て出奔した)、奥羽越列藩同盟を切っ先に裏切り、今でも自民党の根城(自民王国)である(県知事も久保田藩の末裔である佐竹氏という驚きである)。そのために、現在も人口流失と過疎化が激しく招来しているのである。一刻も早く改変すべきである。
ここからは持論であるが、本来、普通科の進学校は廃止するべきである。都会への大学と「有名」大学進学が目的だからである。中学卒業後は職業高校への進学制度を構築するべきである。適性がなければ別のコースへの編入もスムーズに編成されるべきで、学校制度はいつでも進路変更ができるように複線式にするべきなのである。普通科の高卒では社会的に何の意味もないのである。大学入学は20歳過ぎで十分であって、その間に学生は適性と能力を積み上げるべきなのである。医学部は、その意味で最も適性の無いものが所属している典型的な例であり、社会的地位を確保しながら患者を顧客にして荒稼ぎしている人物が多くいるのである。病院を受診してみたら一目瞭然である。患者が死ぬとわかったら何の関心もなく患者を見放すのである。エリートと言われる彼らが、自民党の圧力団体としての医師会と医療皆保険制度に安住しながら、この間のコロナ禍において、国民のためにほとんど役割を先導していないのも尤もなことである。むしろ自公政府のお先棒を担いでいるのである。ある著名な大学の医学部教授会を垣間見たことがあったが、それはそれは「白い巨塔」だったのである。
また、職業高校や理工系大学にしても、理工系の予算配分を格段に重視するべきである(尤も、文教予算が過少すぎるのであり、膨大で無駄な防衛費を削減すべきである)。資源もなく少子化の時代に唯一期待できるのは、教育の力のみである。文系はリベラルアーツとして留めるのである。1991年に教養部(リベラルアーツ)を廃止するという文科省の失敗があったのだが、近年のノーベル賞受賞者を見てみると、知性がとても感じられないことが多い。教養を積んで理系的思考もできる人間の教育を目指すべきである。普通科の進学校卒で偏差値の高い医学部進学など洒落にもならない。患者の顔も見ず、問診と検査のみで、聴診器も当てずに触診もせず、患者とコミュニケーションも取れない医者などいらないのである。一事が万事、活力の無い日本になっているだが、自民党政治など全くもって時代錯誤と言わねばならないのである。
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