尊大な奴隷
昨日の大雨で県下は入梅となった。調整しながら田に用水をかける。周囲はすっかり田植えを終えていて、静かな里山風景となっている。その季節となれば農民は、例年のルーティンの作業をする。怠け者の自分は、遅ればせながら追随しているばかりである。
実体経済と異なる株式市場は急落している様である。コロナ禍というショックドクトリンを利用して、新自由主義市場経済は、国家統制と規制の緩和と称して「自由に」市場に委ねることを一応の方針としているのだが、一歩進んで、強欲にも国家財政を大胆に蚕食しているのである。経産省と電2の癒着はその証左である。アメリカの黒人差別抗議運動は、トランプ大統領を直撃して拡大している。死亡したフロイド氏の姪は、「『アメリカを再び偉大に』と言う人がいるが、いつアメリカは偉大だったのか」と訴えている。日米を比較すれば、日本人は尊大な奴隷であると言わねばならない。これほどのアベ政権の失政がありながら倒壊しないのが不思議である。
近代の終焉と言われて久しいが、近代の人間中心主義は、現代においては、情報通信技術の発達(IT革命)と生命科学の進展によって、社会「変革」と人間改造は飛躍的に増進しているのである。ここにはパラドックスがある。資産家だけが人間であって、それ以外の者を非人間的に管理と統制を強いる体制である。これはM.フーコーが示唆したことである。また、新自由主義思想は何ら民主主義を必要とせず、グローバル化に伴って国民国家を侵食してゆくのである。アメリカの病は解決せずに、抗議運動は人種差別や経済格差問題などで繰り返されて、「アメリカの終焉」(J.アタリ)となるのかも知れない。これは中国も例外ではない。帝国主義国家とスターリン主義国家との対立の中で、世界は多様化しつつ崩壊してゆくのかも知れないが、その先には、非対称な監視された一元的世界システムが現出するのだろうか。それとも、人々が強盗たちを非対称的に強制して共同性を志向してゆくのだろうか。この10年の、2030年代までの民衆の課題と言わねばならない。
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