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2020年5月17日 (日)

遍満するナショナリズム

2020051617250000 曇りから雨模様の一日。久しぶりの休日を自宅で満喫する中で、先日播種したポットの様子を眺める。絹サヤは、またの名はサヤエンドウである。連作と酸性土をとても嫌い、施肥の要領が難しく、病虫害も出やすいので、とても栽培が不得手である。しかしながら、何とか今年はいい成果を望みたいところである。ここ数年夏場に栽培しているのだが、多少の収穫のみで、播種して芽が出た頃には鳥の餌になったり、酸性度が強くて生育が乏しかったり、やはり当地では越冬栽培が慣例なのかなと思ったりして創意工夫と試行錯誤をしているのだが、これといった解決策は今のところ見当たらない。これも自分の独善的な農業である所為なのかもしれない。

 世の中は新型コロナの話題で 遍満しているのだが、どさくさに紛れて提出された検察庁改悪法案に対して、珍しく一部芸能人も反対の声を挙げている。この間のコロナ禍に対する政府の失政と遅政は隠しようもない。オリンピック開催に拘っての新型コロナに対する認識の甘さ、アベノマスクや10万円給付などの遅滞、検査制度の構築や検査数の緩慢など数え上げたらキリがない程である。さすが「国民の生命と財産を守る」と豪語する自公政権である。この政権はもっともっと続行するべきである。
 それにしてもこの政権の成果は一体何があるというのか。2007年の年金記録問題を解決できなかった自公政権が、現在もまた飽きもせず継続している現実をどう見るかという問題である。「♯検察庁法改正案に抗議します」というTwitterトレンドが一位になろうが、残念ながら、二重の意味で大勢は変わらないと思われる。それは単なる抗議に他ならず、政権側はこれを無視して強行採決するのではないか。元々、Twitterを使用している者がそれ程いる訳でもなく(世論というのには程遠い)、数の水増しという疑惑もある。また、政権側は自らの保身もあり、国民を見くびっていることもある。その根底には、ともすれば政権側と国民側とのゲーム性が潜んでいるのである。各報道機関による内閣支持率4割の調査がよく発表されるが、これには信憑性がない。自分の家にも調査の電話が入った実体験があるが、平日の日中では、のんびりと応じる訳にはゆかない時間帯である。半分の無関心層や繁忙の人や反対の人ならば、峻拒するか、不快な質問のために中断するのが当然である。だから、半分の、またその4割ということから、支持固定層は2割しかいないのである。国民の8割はアベ内閣を積極的に支持していないのである。
 もう一つの問題とは、自分が国家の奴隷であると自覚しているかどうかである。「まともな国民」としての批判ならば誰にもできるだろうが、それでは国家権力とは対峙できないことは自明である。その有り様を見て国家の側は「真正な国民」を侮り続けるであろうということである。80年代以降の右傾化は、思想的には新自由主義を標榜して市場主義経済となって世界的潮流となっている。しかしながら、いかにグローバリズムが進展しようとも国家が消滅することはない。むしろ、ナショナリズムの回路はあらゆる分野で強化され、遍満しているのである。そのことを自覚した時に政権は倒閣されるのである。この間のコロナ禍と検察庁法改悪法案の国事を見て、そんなことを反芻するのである。

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