アナキストの叫び
午後、居室で読書しながらつらつらと思っていると、カッコウの鳴き声が響いている。季節が来ると自然はそのように対応している。自然は偉大である。人間とは異なるのである。現代の人間がいかに反自然であることを痛感する。農事とは自然と連関する職業であるが、人間界に生息すると、本当に息が詰まる。午前中に図書館に伺うと、職員に規則を命じられて借り出しができずに帰宅する。徒労だったのである。一事が万事で疲弊困憊してしまうのである。このことはコロナ禍である所為でなく、元々そうだったからである。テレビを視聴すると、愚かなMCやコメンテーターや芸NO人など、呆れ果ててすぐにスイッチをOFFにする。読書しても、愚にもつかない著者ばかりで読む気が湧かない。仕方なく庭に出て野菜の育ち具合を観察する。また、気儘に午睡したりして一日を無為に過ごす。コロナ禍での「新しい生活様式」と命じられてみても、そんなことは自分にとって当たり前であって、むしろどんどん外出したいぐらいである。近年は自宅に閉じこもるのが日常であったからである。自宅か田畑か職場かという「晴耕・雨読・曇勤・雪見」の生活が日常であったからである。外出はおろか、店舗にも滅多に出かけない日常であったから、逆手を取って出かけてみようかなと挑発したいくらいである。政治も経済も生活もバカバカしいことこの上ない。頭がどうかしてしまうのではないかと不安になっているくらいである。政治にまともに取り合っているのもバカ、経済が大事だと言って金の心配をするのもバカ、日本は成功事例と自慢しているのもバカである。人間を脱ぎ捨てたらいいじゃないか。国に奉仕して、社会に貢献し、人類愛に目覚め、意義ある生活を送り、・・・、ああバカバカしい。こんな嘘ばかりで苦し紛れの生活はタクサンだと思えないか。ただの奴隷じゃないか。金子文子は、その尋問調書の中で、「地上は今や権力という悪魔に独占され、蹂躙されている」と暴露し、「現にあるものをぶち壊すのが私の職業です」と死地に赴いている(『狂い咲け、フリーダム』p147,152)。学校で使われる検定済み歴史教科書はでたらめである。はしなくも、それは「戦争と革命の歴史」(権力闘争)となっているが、民衆にとっては何の意味がないのである。だから、NHKの大河ドラマは民衆を慰撫するものでしかないのであり、件の局の、そんな輩(古関)に『エール』も受けたくもないのである。
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