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2020年5月

2020年5月27日 (水)

アナキストの叫び

2020052710000001 午後、居室で読書しながらつらつらと思っていると、カッコウの鳴き声が響いている。季節が来ると自然はそのように対応している。自然は偉大である。人間とは異なるのである。現代の人間がいかに反自然であることを痛感する。農事とは自然と連関する職業であるが、人間界に生息すると、本当に息が詰まる。午前中に図書館に伺うと、職員に規則を命じられて借り出しができずに帰宅する。徒労だったのである。一事が万事で疲弊困憊してしまうのである。このことはコロナ禍である所為でなく、元々そうだったからである。テレビを視聴すると、愚かなMCやコメンテーターや芸NO人など、呆れ果ててすぐにスイッチをOFFにする。読書しても、愚にもつかない著者ばかりで読む気が湧かない。仕方なく庭に出て野菜の育ち具合を観察する。また、気儘に午睡したりして一日を無為に過ごす。コロナ禍での「新しい生活様式」と命じられてみても、そんなことは自分にとって当たり前であって、むしろどんどん外出したいぐらいである。近年は自宅に閉じこもるのが日常であったからである。自宅か田畑か職場かという「晴耕・雨読・曇勤・雪見」の生活が日常であったからである。外出はおろか、店舗にも滅多に出かけない日常であったから、逆手を取って出かけてみようかなと挑発したいくらいである。政治も経済も生活もバカバカしいことこの上ない。頭がどうかしてしまうのではないかと不安になっているくらいである。政治にまともに取り合っているのもバカ、経済が大事だと言って金の心配をするのもバカ、日本は成功事例と自慢しているのもバカである。人間を脱ぎ捨てたらいいじゃないか。国に奉仕して、社会に貢献し、人類愛に目覚め、意義ある生活を送り、・・・、ああバカバカしい。こんな嘘ばかりで苦し紛れの生活はタクサンだと思えないか。ただの奴隷じゃないか。金子文子は、その尋問調書の中で、「地上は今や権力という悪魔に独占され、蹂躙されている」と暴露し、「現にあるものをぶち壊すのが私の職業です」と死地に赴いている(『狂い咲け、フリーダム』p147,152)。学校で使われる検定済み歴史教科書はでたらめである。はしなくも、それは「戦争と革命の歴史」(権力闘争)となっているが、民衆にとっては何の意味がないのである。だから、NHKの大河ドラマは民衆を慰撫するものでしかないのであり、件の局の、そんな輩(古関)に『エール』も受けたくもないのである。

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2020年5月22日 (金)

帝大と権力志向

2020051617240001  前回の投稿で、検察庁法改悪法案の強行採決であろうという私見(予想)について、誰かと違い、素直にお詫びしたい(笑)。珍しく(?)外れてしまったのである。やはりアベ内閣の無理筋の強行は国民の不評があり、検察当局との暗闘などが絡んで、一旦退却して宿願の憲法改悪へとシフトしたいという狙いがあると思われる。世論の勝利と断じるのは、そうは問屋が卸さないというところであると思う。国家権力は国民を篭絡するには余りにも狡猾であるのは確かと思われる。むしろ、文春は利用されたのではないか。別に、腹黒川にこだわる理由もなく、行く行く賭けマージャンは暴露されると判断されたからに他ならない。「政界は一寸先は闇」という言葉があるが、これはその世界に所属する人間の慨嘆である。庶民からすれば闇ではないのであり、むしろ自分たちの希望なのである。
 賭けマージャンについては、経験者は多いのではないか。ゴルフや(高校)野球やサッカーなど勝負に関わるスポーツではよく行われることであり、検察(権力)への期待も止めにした方がいい。この人たちはグルである。舌鋒鋭いと言われる郷原もゴニョゴニョ、家族ぐるみの付き合いだったという若狭も涙目。新聞メディアもグルであることが判明しているのである。あの大学卒業生は権力志向が極大であり、庶民からしたら、廃校にした方がいい。支配階級の二世、三世のたまり場なのであり、やはり、50年程前の「帝大解体」であったのである。彼らは変り身も早いことも覚えている。
 夕刻、絹サヤの移植中、カッコウの初鳴きを耳にして、田植えの準備を急がねば、という思いである。

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2020年5月17日 (日)

遍満するナショナリズム

2020051617250000 曇りから雨模様の一日。久しぶりの休日を自宅で満喫する中で、先日播種したポットの様子を眺める。絹サヤは、またの名はサヤエンドウである。連作と酸性土をとても嫌い、施肥の要領が難しく、病虫害も出やすいので、とても栽培が不得手である。しかしながら、何とか今年はいい成果を望みたいところである。ここ数年夏場に栽培しているのだが、多少の収穫のみで、播種して芽が出た頃には鳥の餌になったり、酸性度が強くて生育が乏しかったり、やはり当地では越冬栽培が慣例なのかなと思ったりして創意工夫と試行錯誤をしているのだが、これといった解決策は今のところ見当たらない。これも自分の独善的な農業である所為なのかもしれない。

 世の中は新型コロナの話題で 遍満しているのだが、どさくさに紛れて提出された検察庁改悪法案に対して、珍しく一部芸能人も反対の声を挙げている。この間のコロナ禍に対する政府の失政と遅政は隠しようもない。オリンピック開催に拘っての新型コロナに対する認識の甘さ、アベノマスクや10万円給付などの遅滞、検査制度の構築や検査数の緩慢など数え上げたらキリがない程である。さすが「国民の生命と財産を守る」と豪語する自公政権である。この政権はもっともっと続行するべきである。
 それにしてもこの政権の成果は一体何があるというのか。2007年の年金記録問題を解決できなかった自公政権が、現在もまた飽きもせず継続している現実をどう見るかという問題である。「♯検察庁法改正案に抗議します」というTwitterトレンドが一位になろうが、残念ながら、二重の意味で大勢は変わらないと思われる。それは単なる抗議に他ならず、政権側はこれを無視して強行採決するのではないか。元々、Twitterを使用している者がそれ程いる訳でもなく(世論というのには程遠い)、数の水増しという疑惑もある。また、政権側は自らの保身もあり、国民を見くびっていることもある。その根底には、ともすれば政権側と国民側とのゲーム性が潜んでいるのである。各報道機関による内閣支持率4割の調査がよく発表されるが、これには信憑性がない。自分の家にも調査の電話が入った実体験があるが、平日の日中では、のんびりと応じる訳にはゆかない時間帯である。半分の無関心層や繁忙の人や反対の人ならば、峻拒するか、不快な質問のために中断するのが当然である。だから、半分の、またその4割ということから、支持固定層は2割しかいないのである。国民の8割はアベ内閣を積極的に支持していないのである。
 もう一つの問題とは、自分が国家の奴隷であると自覚しているかどうかである。「まともな国民」としての批判ならば誰にもできるだろうが、それでは国家権力とは対峙できないことは自明である。その有り様を見て国家の側は「真正な国民」を侮り続けるであろうということである。80年代以降の右傾化は、思想的には新自由主義を標榜して市場主義経済となって世界的潮流となっている。しかしながら、いかにグローバリズムが進展しようとも国家が消滅することはない。むしろ、ナショナリズムの回路はあらゆる分野で強化され、遍満しているのである。そのことを自覚した時に政権は倒閣されるのである。この間のコロナ禍と検察庁法改悪法案の国事を見て、そんなことを反芻するのである。

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