« 一体、何なのか。 | トップページ | コロナ人災中にあって »

2020年4月 3日 (金)

自然の変移と人間

2020040316590001  人事は停滞しているが、自然は待ってくれない。わが家の桜は四分咲きであるが(3月27日開花)、長野地方気象台日本気象協会(長野支部?)による昨日の桜の開花発表には違和感がある。長野市城山の標準木はソメイヨシノであり、標高がやや高く、巷間では既に開花しているからである(満開の所も散見する)。とても人の感覚とずれたものである。また、桜ばかりが注目され、ひばりの初鳴き、燕の飛来、梅の開花、モンシロチョウの初見などや農事暦への注目などがなくなり、天気予報は天気図や気温・湿度や降水確率の数値(データ化)を気象予報士が解説してばかりで、人間の五感と皮膚感覚や目視による自然観察による変移に人々は鈍感になってしまっているのである。夜空は宵の明星と昴(プレアデス星団)が接近して、冬のオリオン座が西に傾いて春の予兆を知らせている(これも)。そして、中央上に月が遠望できる桜の写真(左上)が、わが家の桜の状況である。
 新型コロナウィルスの蔓延は、自然からの反逆との様相を呈し、温暖化や資源枯渇、欲望の肥大と文化・文明の衰退などに対する人類への警告とも言えるだろう。「一世帯に二枚のアベノマスク配布」の政策は、天下稀代の愚策である。東大卒が多い官僚の提案ということだが、官僚と学者の愚昧は、2011年の東北大震災において既に証明されており、懲りない面々である。まして、アベ内閣の生みの親である小泉元首相の退陣勧告もまた笑止千万である。目糞鼻糞、同じ穴の狢というものである。小泉は逃亡の履歴があり、アベもまたしかりである。アベノコトバに「躊躇なく」「総力を挙げて」「まさしく」「しっかりと」などあるが、嘘つきのほら吹き話である。国家もまた人々に幻想を抱かせているのである。

|

« 一体、何なのか。 | トップページ | コロナ人災中にあって »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 一体、何なのか。 | トップページ | コロナ人災中にあって »