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2020年3月12日 (木)

危機と対応

34012276  自宅待機、イベント自粛、株価暴落、消費の減衰、政治家・官僚の無能など、コロナウィルスの蔓延によってWHOはパンデミックを宣言した。日本政府は、唯々オリンピック開催という国家威信にかけて、あるいは政権維持のためにアドホックな政策を強行している。危機は寧ろアベ政権なのである。
 新聞には、「列島は疫病神に取りつかれ」という川柳が投稿されているが(「信毎柳壇」2/12)、宮本常一はまた、「日本では役人というものは多くの場合、民衆の味方ではなく敵であった」(著作集31、p111)と開陳している。役人のみならず現時の支配階級もまた元々そんなものである。だから周章狼狽する必要はない。寧ろ、これを奇貨として民衆は新しい創見と社会を企図するのみである。唯々諾々としている場合ではないのである。
 2月上旬の上京で感じたことは、都市住民の危機感の無さであった。中国・武漢であれほどの騒擾が見聞されたにも拘らず、対岸の火事として安穏としていたのである。それは、恐懼して誰一人外出していない風景であり、多くの市民が死亡する程の流行であったのである。愚策と流言飛語に惑わされ、想像力も枯渇して、そのことを指摘した者は一人もいなかったのである(カミュ『ペスト』参照)。露呈したのは何か、を思念することが必要である。テレビでは、バライティー番組で笑いこけ、報道番組は芸人がMCとなって無意味な放言を連発している。ドラマ番組でも空疎な都会ドラマが居並んで番宣が頻繁である。そして、緊急事態を改憲に利用しようと目論む権力者とこれに対する無力な野党である(大政翼賛会化)。ここまで来ているのである。この虚実の二重性の故に人々は動揺しているのだが、ある意味では、必然と言わなければならないのである。その問題はあらゆる分野、業態、職種などに遍在しているのであるが、このことを摘出する人は一人もいなかったのである。そして、このような蛸壺社会の有り様に対してどう対峙するのかを誰一人論じてもいないが、それは知れたことなのである。

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