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2020年2月18日 (火)

上京譚(その2 上野駅編)

2020020219160001_20200218100001  一国の宰相のように、たった5000円で宿泊・宴会ができるニューオータニやANAコンチネンタルのホテルにしようかと迷ったのだが、どうやら自分のような一庶民は相手にしてくれないだろうと忖度して、別のホテルに決めた。ホテルは傲慢にも人を選ぶのである(笑)。
 宿泊の前に、とりあえず上野駅に用事があって移動する。上野は、大学受験に失敗して、東北からの上京組と一緒に、三人でお互いに慰め合って動物園で遊楽した場所であった。当時と異なる点は、人混みが増えて在住異国人や外国人旅行客が多くなっていることである。また、ビル化が進んで店舗が増えて、人通りも多く歩行が困難であったことである。だから、手をつなぐカップルが少なく、久しぶりに嫁さんとつないだ手も途切れがちである。お互いに前に出たり後退したり、歩行が至難を極めたのである。しかしながら、上野駅は昔の外観そのままで懐かしく写真に収めたのである。この駅は、石川啄木が「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と慨嘆した駅である。敗戦直後には靴磨きの少年や戦争孤児にあふれ、アメ横に見られるような闇市が展開された下町であり、高度経済成長の時代には東北からの集団就職の少年少女の終着駅である。東北新幹線が東京駅まで延伸されるまで(1991年)は東北人の玄関口であったのである。それは『あゝ上野駅』や『津軽海峡冬景色』というヒット曲に象徴されていた時代である。ABAB前の信号で見上げると、やや左手に「ひよこ饅頭」のビル看板を発見する。東京在住の叔父さんが、ひよこ饅頭やひよこサブレを手土産にして長野に来訪したことがあり、てっきり東京銘菓と思い込んでいたが(多分、上野駅辺りで購入したのだろう)、実は福岡の銘菓であることを知ったのはずっと経過した時期である。昨今では、東京土産で東京バナナを頂くことが多いが、幹線駅ではその菓子を買えとばかりに前面に出て辟易する。新宿バスタのコンビニ土産店でもしかりであった。お上りさんではないので当然の如く購入することはない。元々、名産品や銘菓は地元のスーパーで見つけるのが主義だからである。旨い食材や名品は、地元の人が見極めたスーパーでこそ発見できると思うからである。池之端をぶらぶらしていると、確か『サラメシ』で紹介された鰻割烹『伊豆栄』を見つけるが、残念ながら懐の採算外でした。止む無くガード下の『じゅらく』に入店する。
 東京は物価が高い。貧乏な地方人には生活ができない。中央集権・一極集中・単一化が進捗していて、東京はホントに怖い。青春期に、よくまあこんな都会の片隅に生息したものである。しかしだ。テレビのクイズ番組でも見かける天才・秀才と評価される人が集まる所でも、コロナウィルス対策他、政治課題が山積しているにもかかわらず、「鯛の腐った頭」を始め、無様な姿をさらして何の解決もできない現状では何をか況やである(つづく)。

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