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2020年2月

2020年2月28日 (金)

上京譚(その3)

2020020117580000 近年、東京がいかに都市としての資本投下がなされていること(都市計画)、学術文化面においても一極集中していることは理解できる。インバウンドの外国人観光客が蝟集していたことでも分かる。それなりに多くの人々を魅了していることは否めないのだが、高速バスで関越道から目白通り、山の手通り、青梅街道をスルスルと侵入すると、新型コロナウィルスばかりでなく、災害にも劣弱であることが露呈しているのも誰にでも認識できる。高層ビルは一瞬に道路をふさぎ、火災の劫火が市街地をなめつくすことが必定だからである。東部は地震や風水害に弱いことも明らかである。東京は政治、経済、文化、情報などすべてが集約しており、これが東京という首都の脆弱性を諸に規定しているのである。謂わば、一瞬にして日本の社会システム中枢が崩壊する危険性があるのである(東京もしくは国家に無縁であることが最も強靭なのである)。
 東京のある人が「会社帰りの飲み屋街としていいところだ」という口車に乗って、夕食のために神楽坂に繰り出す。飯田橋駅(坂下)から歩いたのだが、ここは大正時代に隆盛した花街ということで、江戸情緒をどことなく感得できる街である。車道と歩道が分離していて歩きやすい。ほんのりとした街灯や店の看板の明かりが灯す夜の街が美しい。坂道の所為なのか、集団とならずに歩く人の声が喧噪でないのがいい。裏通りの店や路地の狭隘はとても魅力的で、とんだデートスポットじゃないか。久しぶりに石畳の坂道をそぞろ歩くのも気持ちいい。これには恋人気分になった連れ合いとの二人でした(笑)。飯田橋西側は外堀を埋め尽くしたこと(外堀通り)もユースホステルの階上から眺めると判然としている。翌朝は寝覚めよく起床して、外国人らと朝食を共にする。日本人は当てにならない。とてもフレンドリーで眺望もよく、パンも御飯も両方欲張って大満足である。所用を済ませて、夕刻には新宿バスタに向かい、○○水産というところで魚介を堪能して東京を後にしたのである(全国的に○○水産と称する居酒屋が増えているが、こんなにまかせて魚を食べていたら、いづれ、人間は魚を絶滅させるだろう)。地元に到着すると、自家用車の窓はバリバリと凍り付いていたのである(「上京譚」終了)。
 この間の新型コロナウィルス対策に関する政府の対応を見ていると、このだらしのない自公政府の姿が如実に顕現しているという思いである。後手後手の対応だけでなく、発表が棒読みであり尊大である。この人たち(アベやハニュウダやアソウなど)は、普通の人たちと会話したこともないだけでなく、国民の生命と財産など全く無頓着であるということは、表情から見て明瞭である。
 

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2020年2月24日 (月)

落日の日本

33261358  昨日、犬あっちイケーの『のど自慢』を眺めていて嘆息したのは、歌謡曲・演歌もしくはJ-POPばかりになっていて、人口に膾炙する歌唱曲がなくなり、歌詞内容も空疎で平板になっていることだった。1970年までは『のど自慢素人演芸会』という番組名であって、長唄・講談・民謡など多種多芸であったのだが、絶滅危惧種の民謡もまた、21世紀になると番組から消衰したとの事である。人々は生活に即して唄うことはなくなったのである。その代表と言えば、AKBや嵐ではないか。容姿やダンスが注目され、リズムやメロディー中心であって歌詞など付け足しに過ぎない。言い換えれば、ふわふわしているだけの事なのである。
 魯迅といえば、中学校の国語教科書にも取り扱われて、覚えている者が多いのではないか。自分も光村図書の教科書で読んだような気がする。「気がする」というのは、あまり印象に残っていないからである。多分『故郷』であると記憶する。覚えているのは精々、北原白秋の『落葉松』と志賀直哉の『清兵衛と瓢箪』と宮沢賢治の『よだかの星』と太宰治の『走れメロス』程度である。関心は文学になく、理数系科目だったからやむを得ないだろう。
 彼は中国近代文学の父とも称され、日中の青少年に影響を与えているが、取り分けて、日本人の読者は多く、人気が高いと言わねばならない。太宰治の『惜別』という小説の中でも演出されている。しかしながら、太宰の魯迅青年像は、太宰流に多分に脚色されており、参考にはならない。それはあくまでも、「独立親和」を願っての、敗戦直前に国の委嘱を受けた国策小説である。そのフレーム内のフィクションにすぎない。太宰は魯迅の文学論や思想には全く関心がなく、魯迅の革命性には微塵も触れていない。むしろ、他の革命的な中国人留学生と距離を置く人物像として描かれている。傍観者としての太宰自身を投影しているのである。しかしながら、戦争賛美や戦意高揚を促すものとなっていないことが幸いしている。「真の愛国者は、かえって国の悪口を言う」、「東京の人の愛国心は無邪気すぎる」などと細部で巧妙に批判しているが、大要は変わらない。だから、あくまでも小説として楽しむだけのことであり、両者の文学観への嗜好は読者に委託されているのである。しかしながら、革命性がないことによって、日本人は何度も敗戦に際会することになるのである。もっともっと、この無能なアベ政権は、行き着くところまで続行すべきなのである。

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2020年2月18日 (火)

上京譚(その2 上野駅編)

2020020219160001_20200218100001  一国の宰相のように、たった5000円で宿泊・宴会ができるニューオータニやANAコンチネンタルのホテルにしようかと迷ったのだが、どうやら自分のような一庶民は相手にしてくれないだろうと忖度して、別のホテルに決めた。ホテルは傲慢にも人を選ぶのである(笑)。
 宿泊の前に、とりあえず上野駅に用事があって移動する。上野は、大学受験に失敗して、東北からの上京組と一緒に、三人でお互いに慰め合って動物園で遊楽した場所であった。当時と異なる点は、人混みが増えて在住異国人や外国人旅行客が多くなっていることである。また、ビル化が進んで店舗が増えて、人通りも多く歩行が困難であったことである。だから、手をつなぐカップルが少なく、久しぶりに嫁さんとつないだ手も途切れがちである。お互いに前に出たり後退したり、歩行が至難を極めたのである。しかしながら、上野駅は昔の外観そのままで懐かしく写真に収めたのである。この駅は、石川啄木が「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と慨嘆した駅である。敗戦直後には靴磨きの少年や戦争孤児にあふれ、アメ横に見られるような闇市が展開された下町であり、高度経済成長の時代には東北からの集団就職の少年少女の終着駅である。東北新幹線が東京駅まで延伸されるまで(1991年)は東北人の玄関口であったのである。それは『あゝ上野駅』や『津軽海峡冬景色』というヒット曲に象徴されていた時代である。ABAB前の信号で見上げると、やや左手に「ひよこ饅頭」のビル看板を発見する。東京在住の叔父さんが、ひよこ饅頭やひよこサブレを手土産にして長野に来訪したことがあり、てっきり東京銘菓と思い込んでいたが(多分、上野駅辺りで購入したのだろう)、実は福岡の銘菓であることを知ったのはずっと経過した時期である。昨今では、東京土産で東京バナナを頂くことが多いが、幹線駅ではその菓子を買えとばかりに前面に出て辟易する。新宿バスタのコンビニ土産店でもしかりであった。お上りさんではないので当然の如く購入することはない。元々、名産品や銘菓は地元のスーパーで見つけるのが主義だからである。旨い食材や名品は、地元の人が見極めたスーパーでこそ発見できると思うからである。池之端をぶらぶらしていると、確か『サラメシ』で紹介された鰻割烹『伊豆栄』を見つけるが、残念ながら懐の採算外でした。止む無くガード下の『じゅらく』に入店する。
 東京は物価が高い。貧乏な地方人には生活ができない。中央集権・一極集中・単一化が進捗していて、東京はホントに怖い。青春期に、よくまあこんな都会の片隅に生息したものである。しかしだ。テレビのクイズ番組でも見かける天才・秀才と評価される人が集まる所でも、コロナウィルス対策他、政治課題が山積しているにもかかわらず、「鯛の腐った頭」を始め、無様な姿をさらして何の解決もできない現状では何をか況やである(つづく)。

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2020年2月 8日 (土)

上京譚(その1)

2020020209490000 上京するのは久し振りである。福島原発人災事故後の年だから、おそらく9年ぶりかと思う。叔父さんの訃報を聞いての東京行きだった。今回のそれは、野暮用の付き添いだから気軽なものだが、それでも東京は怖い。
 早朝の暗闇の中を急いで高速インターにてバスに乗車する。車内は意外に女性客が多い。静かに眠る気配が占有しているが、時折スマホや動作で生ずる音が微かに聞こえる程度である。上越新自動車道の横川SAでトイレ休憩した後、目覚めると武蔵野丘陵と雑木林、工場や倉庫、加えて田園風景が黎明の中に続いている。雪国生まれの者には、関東平野の冬の快晴が信じられない。それも何日も続くのである。南東を眺めると、雪肌の富士山がくっきりと遠望できる。6時45分頃、東の地平線近くから日の出が見られ、眼にもまばゆい。三好インターで一呼吸置くと、荒川を超えて都内へと侵入してゆく。まだ乗客は眠りについている者が多い。直行バスとあって降車する人は一人もいない。目白通り沿いはマンションが林立している。東京らしい風景である。新宿が近づくと物音や小声が聞こえだす。高層ビルが増えて見上げることが多い。これが都庁かと見上げる。どうしてだろう。到底災害時に耐えられないことが予見されるにもかかわらず、生活の選択をする神経が分からない。足下には揺れる岩盤層があるのである。東京は怖い。
 バスタ新宿に降り立つと、温かい。暖冬ということを差し引いても寒くない。東京の冬は快適である。中央線の車内は、土曜とコロナウィルスの影響なのか、シートに座ることができる。東京駅構内となると、人で溢れて歩行が困難である。東京はやはり若者の街である。歩くことが非常に多い。トイレを探すのにも難儀する。右側通行で歩くのが通例なのだが、左側通行する人が多い。エスカレーターは逆に、左側に寄って右側を開けて右側通行することになっているらしい。雑然と歩行する人が多いので交差することが多く、人除けのために疲れてしまう。東京はまた、坂などの起伏も多く、がけ崩れや自転車が使いづらいと思う。意外にもマスク姿が少ない。安穏としていて警戒心が足りないように思う。他人まかせ、行政任せなのである。唯々、自分たちの中で完結して熱中することができるのである。こういう人たちが選挙をしたら怖い。二重基準(ダブルスタンダード)があるからである(つづく)。

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