« 私の「貧乏物語」 | トップページ | 長塚節の真髄 »

2019年12月 2日 (月)

『村里を行く』

00835446 著作集25のタイトルは、「村里を行く」である。1943年12月に上梓された宮本の著作である。これが目的は、「村人の人情や、感銘の深かった話や、黙々として国土たらしめようと努めておられる人々の姿」(p9)を報告して、都市と村里の精神的結合を目指したものらしい(p15)。そうして、その降り出しとして「国学発祥の家」が語られ始めているのである。宮本の著作集を探索するのは、別に彼を心酔している訳ではない。彼の記述や撮影した写真から、その時代を貫いた習俗と観念を知りたいという一心であって、彼自身が見聞した常民観を知りたい訳ではない。むしろ瀬戸内を内円として中四国の民俗的考察が多岐に亘り、煩わしく感じることがないことではない。関心領域が異なるからである。彼の眼を通したフィルターを振るい落としながらの閲読なのである。刊行された年(昭和18年)は宮本が36歳であるが、抑々、なぜ彼が兵役を免れて全国各地を渉猟できたのかという疑念がある。この懐疑は兎も角、丸山眞男の弟子である藤田省三は、宮本の『村里を行く』を読むに及んで、長谷川如是閑と並んで保守主義的翼賛運動と規定しているが、同時に藤田は、宮本の思想を「汲み出して意識的に活用すべき多くの材料を包み備えている」とも洞察しているのである(p327)。しかしながら、明治以来の天皇思想と国家主義は、戦後民主主義の社会の中でも息づいており、先般実施された一連の大嘗祭儀式に象徴されていることや、日本のあらゆる分野への国家主義の浸透にも見られるのである。戦後の擬制的天皇制民主主義が溶解し、大幅な天皇制国家主義の滲出へと変転しているとみて良いであろう。今の時代に、宮本の叙述を読み解く意義は何だろうか、という問いかけをするのは意味のないことではない。常民思想が国家に絡めとられる危惧が考えられるのである。実際問題、我々の周囲や生育過程には、国家主義の装置(神社や議会や教育など)がごろごろ転がっており、幼い頃に仄聞した大人たちの「戦争で日本はアジアを解放した」という言説に唖然としたのである。あの「日本国憲法」ですら、第一条は天皇規定から始まるのである。戦後続いた自民党政権は、明治政府と全く同一で、国家思想の称揚や政治的腐敗と私物化が横溢しているのである。今ではモリカケ疑獄や桜を見る会違法事件である。また、自民党の源流は、歴史的に戦争責任から回避した国家主義者と右翼連中の残党が結成したものである。中曽根元首相もまたこれらの一人である(これ参照)。自民党を二度も除名された石橋湛山の言辞のように、「死もまた社会奉仕なり」という言葉を思い出すのである。

|

« 私の「貧乏物語」 | トップページ | 長塚節の真髄 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

民俗学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 私の「貧乏物語」 | トップページ | 長塚節の真髄 »