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2019年12月

2019年12月29日 (日)

長塚節の真髄

33056594  「ポツンと一軒家」というテレビ番組が好調のようで、そういう自分も欠かさず毎週番組を待っている。理由は沢山ある。一つは、キー局が垂れ流す番組が大半を占有し、ジャニタレや吉本芸人などが鬱陶しい(キモい)からである。そればかりでなく、バラエティなどで彼らに忖度する俳優・タレントが多くて毎度辟易する。テレビっ子であった自分には、同じようなクイズやグルメ、駄弁などが煩わしい。東京中心と芸能人の内輪話が貧弱で、全く興味が湧かない。東京バイアスが罹っていて、つまらないのである。これは、自分が地方暮らしをしているばかりか、加齢して死期を迎える世代になった所為なのかもしれない。しかしながら、地方の人と自然は限りなく多様であり、教訓に満ちていることが知られ始めているということでもあると思う。「ポツンと一軒家」の番組プロデューサーは、その人気の理由を「予定不調和」に求めているが、そういう興味本位で番組が構成されていることに視聴者の関心があるのではない。里山に抱かれる地方の豊かさとその地域社会に生きている人間の生き方を羨望しているのである。東京には都合2年居住したことがあるが、至便であるがただそれだけである。日本は単一な東京がある訳でなく、地方に出かければそこに(半)自然があり、人がいるのである。だから、その番組への自分の興味は、映像に映り込む植生や家屋様式や人間模様などに注視している。所や林の話が冗長でないのもいい。
 直近の読書は、全集での長塚節の「土」であった。漱石の序文があり、農民文学の嚆矢としてこの作品は後世に遺されたのである。漱石は、軽佻浮薄で何も考えない若者に対して「苦しいから読め」と勧め、自分の娘が年頃になれば、「読ましたいと思って居る」と書き留めている。一般の読者には、北関東の方言の難解さにとどまらず、「土」にあるつぶさな自然描写は苦役に他ならない。例えば、「初冬の梢に慌しく渡つてそれから暫く騒いだ儘其の後は礑と忘れて居て稀に思い出したやうに枯木の枝を泣かせた西風が、雑木林の梢に白く連なつて居る西の遠い山々の彼方に横臥て居たのが俄に自分の威力を逞しくすべき冬の季節が自分を捨てゝ去つたのに気が付いて、吹くだけ吹かねば止められない其の特性を発揮して毎日其の特有な力が軽鬆な土を空に捲いた。」(全集第1巻、p366)という、正岡子規の写実主義を正当に継承する彼の風景描写に、かなり読む進んだ読者はもう一度その苦しさの故に通読を逡巡してしまうだろう。しかしながら、ただ写生しているのではなく、ストーリーは思いがけなく、答えのない転機が訪れるのである。ここに長塚の小説の真髄が現象しているのである。若い頃、茂吉の「万葉秀歌」に親しんだことがあったが、彼の「実相観入」による短歌にも感心したのであるが、多分、茂吉もまた長塚節を最大評価していると想像される(但し、茂吉はまた戦争協力の短歌を創作していることを覚えていてもよい)。そして、今は自然の中で逞しく生存する雑草に関する参考書を読み耽っている年末である。

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2019年12月 2日 (月)

『村里を行く』

00835446 著作集25のタイトルは、「村里を行く」である。1943年12月に上梓された宮本の著作である。これが目的は、「村人の人情や、感銘の深かった話や、黙々として国土たらしめようと努めておられる人々の姿」(p9)を報告して、都市と村里の精神的結合を目指したものらしい(p15)。そうして、その降り出しとして「国学発祥の家」が語られ始めているのである。宮本の著作集を探索するのは、別に彼を心酔している訳ではない。彼の記述や撮影した写真から、その時代を貫いた習俗と観念を知りたいという一心であって、彼自身が見聞した常民観を知りたい訳ではない。むしろ瀬戸内を内円として中四国の民俗的考察が多岐に亘り、煩わしく感じることがないことではない。関心領域が異なるからである。彼の眼を通したフィルターを振るい落としながらの閲読なのである。刊行された年(昭和18年)は宮本が36歳であるが、抑々、なぜ彼が兵役を免れて全国各地を渉猟できたのかという疑念がある。この懐疑は兎も角、丸山眞男の弟子である藤田省三は、宮本の『村里を行く』を読むに及んで、長谷川如是閑と並んで保守主義的翼賛運動と規定しているが、同時に藤田は、宮本の思想を「汲み出して意識的に活用すべき多くの材料を包み備えている」とも洞察しているのである(p327)。しかしながら、明治以来の天皇思想と国家主義は、戦後民主主義の社会の中でも息づいており、先般実施された一連の大嘗祭儀式に象徴されていることや、日本のあらゆる分野への国家主義の浸透にも見られるのである。戦後の擬制的天皇制民主主義が溶解し、大幅な天皇制国家主義の滲出へと変転しているとみて良いであろう。今の時代に、宮本の叙述を読み解く意義は何だろうか、という問いかけをするのは意味のないことではない。常民思想が国家に絡めとられる危惧が考えられるのである。実際問題、我々の周囲や生育過程には、国家主義の装置(神社や議会や教育など)がごろごろ転がっており、幼い頃に仄聞した大人たちの「戦争で日本はアジアを解放した」という言説に唖然としたのである。あの「日本国憲法」ですら、第一条は天皇規定から始まるのである。戦後続いた自民党政権は、明治政府と全く同一で、国家思想の称揚や政治的腐敗と私物化が横溢しているのである。今ではモリカケ疑獄や桜を見る会違法事件である。また、自民党の源流は、歴史的に戦争責任から回避した国家主義者と右翼連中の残党が結成したものである。中曽根元首相もまたこれらの一人である(これ参照)。自民党を二度も除名された石橋湛山の言辞のように、「死もまた社会奉仕なり」という言葉を思い出すのである。

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