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2019年8月 7日 (水)

8.6広島原爆の日に

2019080418230001  「8.6」と言えば、広島原爆の日とすぐに脳裏に浮かぶ。まだ、そんなことが当たり前の時代に育ったのだが、今ではただの年中行事の一つに化してしまっているのではないか。この国の首相の式典挨拶を聞けば分かるというものである。核廃絶へと一ミリも進まないのに何が「橋渡し」か。参院選の結果でも、改憲なぞ何の政治議題になっていないということが明示されたにも拘らず(8割る2の高々4%)、それを強行しようという一群の策謀は許されないことである。一昨朝の信毎一面では、(民事)憲法裁判記録が86%廃棄されていることが報道されている(これも)。公的資料を廃棄する日本人のあり様は、県内では、敗戦時の長野県庁資料消却、長野オリンピックでも帳簿消却が夙に有名である。森友・加計疑惑でも、関係閣僚や官僚による記録を廃棄した、もしくは嘘の口裏合わせが行われたことはついこの間のことである。カネで買われた2020年の東京オリンピックもまた然りである。広島・長崎の経験は、被害者であると共に加害者でもあり、日本人の中で幾世にも伝えなければならないものである。
 大学時代に長崎から入学した後輩がいたのだが、彼の姉の夫が原水禁の事務局長とのことで、そのつてで原水禁でアルバイトをしたことがあった。広島と長崎は初めての訪問であった。長崎の大会を終えると解散になったので、しばらくは同じく廃寮化攻撃にある長崎大学の学寮に寝泊まりして長崎見物などをしながら核問題に思慮したものである。また、その時に食した長崎駅前と町場の食堂でのチャンポンの美味しさは今でも忘れられない。のちに、大阪にてチャンポンのチェーン店で口にすることがあったが、全く別物であって落胆したものである。広島での思い出は、アルバイトに明け暮れて余りないのだが、大阪でひっそりと生活する被爆者を通じて怒りを覚えたものである。その人は恐らく被爆二世の人で、結婚することもなく独身で、大阪によくある文化住宅の二階で息を潜めていたのである。また、被爆が遠因と思われる生活苦などの理由で、両親が離婚して苦しんでいる広島出身の女性にも出会いもしたのである。核爆弾=原発であり、庶民の生活と命を奪う一切の施政者の策動を決して許してはならないのである。

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