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2018年12月

2018年12月10日 (月)

日本人の破壊性

32260807 小春日和の今日、著作集第三巻を読了する。東北と北海道は積雪で大変らしい。厳しい冬の生活は、どちらかというと、記録されることが少ない。それだけに、正月や春の訪れに対する思いは切実である。ために、若者が都会に出てしまうのは、ある意味では当然なことかもしれない。北信州では、お葉漬け(野沢菜漬け)の時期であるが、50年前までの冬の風物詩は廃れて、スーパーでの購入になって、各家々での作業風景はほとんど見られなくなっている。しかしながら、野沢菜を漬けること自体がお年取り・正月の準備であり、そのものだったのである。敷衍すれば、9月に野沢菜の播種からお年取り・正月の準備が始まっていたのである。よく誤解されているのが、大晦日の料理=おせち料理である。お年取りでは、黒豆も数の子も栗きんとんも昆布巻きも出てこない(筈)である。生家では、焼き鮭、里芋煮、鯉こく、なます、酢だこ、茶碗蒸し、お煮かけなどの料理が炬燵大の朱塗り広蓋の中に広げられていたのである。これのどこがおせち料理なのであろうか。当地では、お年取りがメインの行事であって、おせち料理を食する習慣はなかったのである。元旦は「寝正月」で雑煮を食べ、二日から挨拶回りや仕事始めとなるのである。今様のように、「元旦早々から初詣などといって社寺へまいる客のふえたのは、年夜のまつりがうすれて来たことに大きな原因があるようで・・・昔は正月のにぎわいは二日が中心であった」(p275~276)のである。キリスト教徒でもない日本人がクリスマスを祝うという倒錯は、バブル期の80年代に始まったのであるが、経済至上主義と新しい所有観念は、正月の様相もクリスマスの有り様も変えてしまったのである。日本人は伝統を重んじていると自慢しているが、「実際には自分たちの生活の中できずきあげてきた有形(無形の)文化をのこそうとしなかった」(p69)のであり、その現象は、生活誌や建造物など身の回りには多くの破壊されたものが検証されるのである。

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