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2018年11月15日 (木)

都市の愚劣

2018110110340001 既に、田地は長閑な風景が広がるばかりである。二ヶ月ほど、ブログ更新がなかった訳であるが、露ほどの進展はなく、新米の収穫がなされただけである(これで来年に備えた大凡の食い扶持ができた)。今年は酷暑と多忙のために、畑の方は茫々として静まり返り、耕作物はない。僅かな草花が畦を彩っているばかりである。冬将軍の到来を前にして、田畑を自然に任せている次第である。こんな折りに、『宮本常一著作集』の精読に再挑戦してみたのである。再読でもある。やっと第二巻を読了した所である。『宮本常一が撮った昭和の情景』との併読なので、遅々としたものである(第二巻については、かつて記事投稿を行っている)。
32260806_2 近頃、明治維新の歴史を狂瀾を既倒に廻らすような文献・著作が続々と刊行されている。明治維新礼賛の歴史観が文科省検定済歴史教科書や司馬などの文学・歴史書などによって洗脳されてきたのだが、今や潮目が変わり、歴史の見直しが着実に進行し始めたのである。その反動としての単純な江戸時代礼賛者にも辟易するが、その傾向は確かなものになっている。NHKでは「西郷どん」が放映されているが、維新の「志士」の側からの視点で演技されて、そのために、「でんでん首相」は桜島を背景にして総裁選出馬を表明したのだが、愚かしいのにも程がある。それでこの「著作集第二巻」を精査すると、宮本は僻地・離島、農村、地方小都市の遅延を慨嘆するのであるが、「明治以来の政府の政策はまったく地方衰微のためのものであった」(p45)とあるように、その根源を表明している。明治政府による「国内植民地」(=植民地主義)化だと断罪しているのである。具体的には、1873年の地租改悪などによる地方資本の略奪や地方の教育投資熱などを列挙している。実際、明治初年には総人口3300万の内、都市人口は300万人であり、それ以外は地方に暮らしていたのである。中央集権体制が整備されていく中で、「向都離村」は激増するのである。この状態は現在でも同様であり、テレビやスマホなどの情報端末が都市への関心を喚起して、人やモノやカネがより一層都市へ還入して行く(ロードサイド化とストロー現象)のである。宮本は、「政治を批判し、中央に抵抗する精神」(p55)を推奨して地方の自立を推奨するのだが、彼の僻地解消策としての「交通網の確立」(p182)と市場(消費)経済の拡大は、愈々それを促進するばかりである。つまり、彼もまた、近代主義者としての限界性を保持していたのである。「都市と農村の区別をこえた、強烈な国民文化を生み出したい」(p101)という期待は、テレビ番組やネット右翼の愚劣な内容を見れば、夢幻なことであったのは相違ないのである。

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