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2018年3月12日 (月)

「わたしは東京を侮蔑する」

2018031215570000 面倒臭い一日であった。精神的な疲労が身に襲い掛かっている。人を何とも思わない行政末端で確認作業をし、午後は確定申告のために会場に急ぐと、e-taxの定着を目指して、税務署は指導が中心で要領を得ない。行政は税務に疎い市民を置いてきぼりしているようだ。NHKの天気予報は、最低気温と最高気温を表示して概況を説明するばかりで、自然のあるがままをニュース化せずに、本来的な人間生活を無視している都会人の有り様には呆れるばかりである。千葉県の情景を見せても、薄っぺらな映像で誤魔化すばかりで、この地方では何の意味もないのである。関東圏には、何十年も前に薄暗い青春を過ごしたこともあるのだが、今となっては何の意味もないニュース映像である。花鳥風月は都会の日本人には全く忘れ去られたようである。『鶴瓶の家族に乾杯』という番組は、その地方の自然と人々の生活が垣間見られるので楽しみにしているのだが、興味本位のディレクターの指向が邪魔をして、見飽きた同一地方が繰り返されて興ざめである。地方はもっと千変万化で豊かなのであるが、都市の人間には分からないのだろう。中には、地方に在住しながら地方の因習を強調している大バカ者がいるが、全くもって失笑してしまう。政治腐敗の原因は地方なのか。原発による(核)電力を享受していたのが都市住民なのである。しかも原発被害の風化を許しているのも都会人なのである。自民党一強支配を許して金城湯池になっているのも都市の選挙区なのである。維新も公明も都市選挙区で出張っているのである。確かにごく一部の地方では、長年の自民党支配を受けているのだが、それは今もって都市在住の世襲議員が跋扈しているからである。長野県では、高校卒業した若者の約8割は都市へと流出してしまうのである。地方のロードサイドを占拠してストロー現象をきたして、地方のあらゆるものを収奪しているのである。29歳の高群逸枝は、『東京は熱病にかかってゐる』という詩集で、「私は都市生活、ことに不正に満ち、阿諛と屈辱とに満ちた売文生活に耐えきれない」と表白している(p200)。「いやな醜い東京、わたしは東京を侮蔑する」(p216)と。それは若き日々の四国巡礼の故に覚えた感覚であった。春先の四国や瀬戸内は風光明媚で、さぞかし美しいことだろう。東京では梅が開花したそうである。しかしながら、醜い東京の政治家は、その醜い悪相をテレビで永遠に晒し続けているのである。

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