怪しい、怪しい、怪しい
本日の休日は、冬用タイヤからの交換や自転車修理、少し伸び始めた草取りや植え替え、情報処理の教科書的勉強など課題をこなして、佐川前財務省理財局長(前国税庁長官)の証人喚問を途中休憩しながらテレビで眺める一日だった。庭には梅の花が綻び出し、密集した黄色に染まった山茱萸が風景を彩っている。イヌノフグリが足下を賑やかに飾り出している。蕗の薹はやや薹立ちし始めている。快晴の光が背中を温めている。風はゆるりと暖かい。春到来なのにである。
喚問は予想通りの展開である。この人には信念がないらしく、自己保身の権化であることが理解できた。無論、生殺与奪の権が握られていることは疑い得ないのだが、身を切る決意も無いようである。キョロキョロ動く目線が典型的な小官僚であることを証明している。正義感の微塵も感じられない。悲しい人である。財務省の面接試験では、志望者に「なんとつまらない人生だな」と虐められるそうであるが、入省してこれでは財務省のレベルが知れている。ほとんどが東大卒であるが、秀才の成れの果て(白色矮星)である。核心点はすべて「刑事訴追の恐れ」で乗り切った(つもりな)のである。日本国憲法第15条は、(内閣人事局ではなく、)国民の公務員選定罷免権と(国民)全体の奉仕者という公務員の本質を明記している。(国民と)天をも恥じないとなってしまったのだから、悔悛して自白するまで森友問題を追究するのが日本国民の絶対的課題となったのである。国民はなめられているのである。そして、誰が指示し、何のために改竄と偽証はなされたかを徹底追及することによってしか、民主主義は貫徹されないのである。空洞化した日本国憲法が、極右政党である自民党によって改悪を迫られているのは偶然ではないのである。ちなみに、長野高校出身の北村弁護士は、日本国民が誰しも思っている疑義を差し置いて、佐川氏の証言拒否を正しいと反論しているが、長野県民として恥ずかしい限りである。それともう一つ、年齢が近い北村弁護士や佐川氏、及び時の首相の頭髪がふさふさと豊かであるのも、悩みで薄毛になっている自分にとって絶対許せないことである(笑)。
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